満たされないひたむきさを見た
図書館にて、夜間中学校の生徒さんたちの作品展示を見た。国籍や年齢も様々なその作品の中でも、眼を引いたのは「手」についての十七文字の言葉と、彼らの作文だった。そこには戦争や教育の断絶の向こう側から聞こえてくる圧倒的にリアルな声があった。そこに綴られていたのは、満たされなかった人生を埋めようとするかのような言葉に対する純粋でひたむきな憧れと、諦観と憧憬に満ちた労働の記憶だった。
ある生徒の方は、父親がくれた画引き辞典(漢字字典)で知る限りの名前に使われている漢字から始まる言葉と意味をノートに書き写した。昼間は仕事のため出来ない。夜の蒲団の中で一つ二つと拾っていったという。その作業が終わった時には、二十年の歳月が流れていたとあった。その後、夜間中学校に在学している彼女の作文(これは作文のレベルをはるかに凌駕した詩に限りなく近い作品であるが、あえてそのスタイルを尊重する)は、かっちりとした日本語であった。
もう一つ印象に残ったものがある。ジグゾーパズルなのだが、枠と内側の大きなピース一つだけで構成されている。B4位のベニヤ板に生徒さんたちが描いた花の絵が色鮮やかだ。おそらく先生はこの絵を切り刻むことができなかったのではないか。私は、こんなに優しいジグゾーパズルを知らない。
およそ本当の作品とは、生きてきた重みを発条に明日を見るひたむきさに結実するのではないか。そのようなことを痛烈に感じて、暫く展示ブースを立ち去ることが偲びなかった。
他に生徒さんたちの故郷の思い出の中で一番美しい光景をフェルトを使って作品にしたものもありました。アジアの国々の花や蟹や魚や子ども、神社など様々にありました。添え書きに生徒さんたちの過ぎ去った幸せの時がありました。その時と現在とに戦争の断絶を感じざるを得ませんでした。