賛美される狂気
彼らは父母を殺してほしいと願う。
狂気はいまや狂気とされず、戯画ならば酸鼻極める惨状さえ賛美すらされる。モラルは放り出され宗教は発火点を持たない。
私の感じる若い感性たちは知らないのだろう。父母は子に殺されたいと願い、その命のためならその肉体を差し出す事さえ厭わない。死を挟み越えられない断絶が親子にはある。もちろんその断絶は肉親に限らず誰との間にもあるが、その甘えをお互いに受け入れるには時間と存在の密接な共有が必要なのだ。もしかして、この瞬間においても無数の若い彼らが餓えているのは、それなのか。個人のバリアを乗り越えて死を共有する家族。そんなものありふれたことだと、私はなぜ言えないのだろう。どこか希薄な闇がwebの行間に漂っている。
しかし、子は親を殺さなければならない。その手で「親殺し」を体験することで、保護される対象から離脱して「大人」になるのだ。もちろんそれは心理的なものであるが、時に肉体的なぶつかり合いを生じることもあるだろう。
結局、反抗期などという一般的な理想はなんだか面倒臭い観念になりつつあるようだ。本来、子どもたちの反抗期を迎えることが出来ることは、非常に心楽しいことだろう。我も彼も生きて、それなりに幸せだからこそ発達の経緯を味わえる。それは素晴らしいことだ。だから、彼らに言いたい。直接その心の中の親を殺せ。やり方は心のままに。そこから新しい関係が始まる。
反抗を美化するつもりはありません。それは極めて自然でありふれたものだから。
14.11.13
らしくなく踏み込んでるなー