目覚め(3)
村に戻ると、ちらほらと村人が農作業をしていた。
誰も彼も、俺をちらちらと横目で見ながら、一緒に歩いているバクルとアーシャに挨拶している。
「ああ、そこの人が、例の」
農具を片手に持った麦わら帽姿の老夫婦は、バクルとアーシャに挨拶した後で、少し遠慮がちに俺に顔を向けてくる。
どうやら、俺がウォードッグだということは村の人間は皆知っているようだ。
「ああ、どうも」
俺は一応頭を下げる。
「大変だろうけど、頑張ってねぇ」
優しそうな老婆の方はそう言って顔をくしゃくしゃにする。
頑固そうなその夫は、皺だらけの顔を少しも動かすことなく、目だけでじろりと俺を睨みつけて、
「ふん、こんな線の細い若造、そんな強いとも思えんがな」
「ちょっと、あんた」
妻に窘められても止まらず、
「おい、若造。悪いことは言わんから、できないことはできないって言えよ。それで、逃げちまえ」
それきり、その老人は背を向けて去っていく。
ぺこぺこと頭を下げながら、老婆もその後を追っていく。
「その……気にしないで。この村に、よそ者はめずらしいってだけ、だから」
済まなさそうな顔をして、アーシャが謝ってくる。
「気にしてないよ」
軽く返す。
事実、気にしていない。
ああいう奴を圧倒的な実力で見返すのも、こういう異世界に転生する話での醍醐味だ。
「とりあえず、お主にはあの小屋を提供しようと思うのだが、いいか?」
「ああ、あの倉庫? まあ、寝るには不便はなさそうだけど」
食事とかはどうすればいいんだ?
「食事は私が作るわ」
心のうちを読んだかのようにアーシャが言う。
「うちに食べに来てもいいし、そっちに食事運んでもいいわ」
「いいのか、そんなことしてもらって」
「魔力以外、お金とかで報酬を払えないんだから、それくらいさせてよ」
「了解。アーシャの食事、楽しみだな」
俺がほんの軽口のつもりで言うと、
「は、はぁ? 何よ、それ」
とアーシャは口を尖らせつつ、かすかに頬が赤い。
ほんと、見た目に反して分かりやすい奴だな。
「あっ」
風鈴のような声がして、見れば、アルが俺達の姿を見つけて飛び上がっていた。
そのまま無言で駆け寄ってくると、アーシャに向かってタックルするように飛びつく。
「ああ、もう、甘えん坊なんだから」
アーシャは困ったようなことを言っているが、顔はまんざらでもなくアルの頭を撫でている。
アルは顔を緩めて抱きついたまま、頭をぐりぐりとアーシャの体にこすりつけるようにしている。
「さて、お主、これからどうする?」
バルクが声をかけてくる。
「本当なら、さっきのミッションで一日が潰れるはずだったんだがな。予想以上に早く終わった。どうする、村の案内でもするか? 何一つ面白いものはないがな。それとも、この世界についての知識を入れておくか?」
「いや……」
依頼自体はさっさと終わったが、その前の素振りなんかもあって、結構時間が経っている。太陽の位置は既に昼を越えている。
それに、何よりも俺はこの世界に来てから何も食べていない。
「なあ、アーシャ、アル」
じゃれあってる二人に向かって声をかけると、二人ともきょとんとしたそっくりな顔で振り向く。
「さっそくだけど、昼ご飯、一緒に食べていいか?」
俺の言葉に、アルは体を強張らせて明らかに怯え、アーシャはそんなアルを見て微笑みながら、
「うん、いいわよ」
アーシャとアルが暮らしている小屋は、バクルのものと大差のない小屋だった。
そのテーブルにアーシャとアルが隣り合って座り、向かい合って俺が座ることになった。
俺と二人の間、テーブルに置かれているのは金属製の鍋だ。中には、どろどろとしたものがまだ煮立っている。
「これは?」
「ミールって言って、豆と小麦を、スイの汁で似たものよ」
食器を準備しながら、アーシャが答えてくれる。
「スイ?」
豆と小麦は分かるけど。
「ああ、知らないのね。えっと、森の中に生えてる植物で、茎から甘い汁がでるの」
「へえ」
知らなかった。おそらく、この世界独自のものだろう。
「それで煮たら甘くなるのよ。この料理、アルの大好物なの」
言われてみれば、さっきからアルは怯えていた俺のことを一切忘れたように、目を輝かせ、手に木製のスプーンを持ったまま、ずっと鍋の中身を見ている。
口も開いていて、今にもよだれがたれそうなくらいだ。
「さっ、それじゃ、いただきましょうか」
アーシャによって全員にスプーンと木椀が配られて、食事が始まる。
「ミール、ミール」
歌うように言いながらアルが鍋に手を伸ばすのを、
「こらこら、危ないでしょ、待ちなさい、アル」
アーシャが窘めながらアルの椀によそってやる。
俺もさっそくいただく。
かなり熱そうなので、スプーンにすくってからふうふうと息を吹いて、冷ましてから口に入れる。
「うん、なるほど」
素朴な味だ。
豆入りのおかゆ、それにほのかに甘みとどこか青臭い感じがあるというか。
単純な味だけど、まずくはない。
「甘あい」
アルは嬉しそうに口いっぱい頬張っている。
「本当にアルはミールが好きね」
汚れたアルの口周りを、アーシャは布でぬぐってやる。
仲のいい姉妹だ。
どうして、この姉妹が二人だけで住んでいるのか。両親はどうしたのか。
色々と聞きたいことはあるけど、それはまだ踏み込みすぎだろう、多分。
俺はアーシャとアルと一緒に食事をしながら、色々と話をする。
この世界に来たばかりなのだ。話すべき話はいくらでもある。
例えば、俺の元の世界について。
「それで、これくらいの、箱みたいなものがあって、そこに色々と映るんだ。別の場所の出来事とか、あるいはどこにもない、作り事とかが」
「へー、すごおい」
さっきまで怖がっていたアルも、俺が元いた世界について話し始めたとたん、目をきらきらさせて食いついてくる。
「他にも色々、乗り物があるんだ」
「えっと、それ、お馬さんみたいな?」
「違う。鉄でできてて、人を乗せて走るんだ。そういうのが、道を、何千、何万と走ってるんだ」
「何万って、どのくらい? この村の人より多いの?」
「多い」
「この村の、畑にある麦より?」
「多い」
「じゃあ、じゃあ、その麦の、つぶつぶを、全部あわせた数より?」
「多分、多いな」
「すごおい!」
アルがはしゃいでいると、
「でも、ブレイク」
一方のアーシャは、気遣わしそうに上目遣いになって、
「あなた、その、帰りたくないの? 話を聞いている限り、魅力的な世界みたいだけど」
「全くならない」
ミールをかき込む。
「あそこでは、俺は転生前の状態なんだ。こんな、強い姿じゃない。こっちで強いウォードッグとして皆の役に立った方が、よほどやりがいがあるよ」
本心から言うと、アーシャは俯いて黙ってしまう。
さっきまではしゃいでいたアルもそんなアーシャを見て大人しくなる。
何だろう、あれか、ひょっとして、アーシャは両親をウォードッグに殺された、とかか? だとしたら、ちょっと無神経なこと言ったかもな。
妄想が膨らむ。
「ああ、そうだ。そういや、言葉が通じるのって、不思議だな。別の言葉のはずだよな、実際」
強引に話題を変える。
「え、ああ、そうね。召喚する際に、そこも変換できるようにしているみたい。実際は、普通の召喚でも、転生式まではいかなくても、自動的にある程度召喚する相手を改造した上で召喚することになるみたいよ。だって、そもそも別の世界の存在がこの世界で息ができるかどうか分からないでしょ」
「そりゃそうか」
盲点だった。
大気の構成も違うだろうから、他の世界の人間をそのまま召喚したら、その人間にとってこの世界の空気が毒ガスだってこともありうるわけだ。
「食べるものだって、こっちの食べ物が食べられるかどうか微妙なところでしょ」
「なるほどねえ。例えば、これを食べて死ぬかもしれないもんな」
「えー、こんなおいしいの食べて死なないよお」
アルがミールを擁護する。
「この村に来てから、これしか食べてないのに飽きないわね」
ミールにぞっこんのアルを、アーシャは呆れ顔で見る。
「あ、この村についても質問があるんだけど」
「あら、何?」
「俺がやってた、その、ゲームでは無限世界にはいくつもの国があったんだ。街があって、なんていうか、この村よりちゃんとした場所に人が住んでたんだけど」
「ああ、そういうこと」
「そうそう、ゲームと実際の世界は違うのか気になってな」
「違わないわよ。ちゃんと国があるし、街もある。この村は、隠れ里みたいなものなの」
「隠れ里?」
「そう色々な理由で人里に住めない人たちが逃げてきた作った村。だから、生活レベルも低いのよ。本当なら、この森も村も一応、ヴィエヌって小国に属しているわ」
「じゃあ、そのヴィエヌって国の役人とかにこの村が見つかったら……」
「まずいわね、実際」
少しだけ、村民の俺に対するよそよそしさに納得がいく。
確かに、見慣れない人間に警戒するのも仕方ないだろう。
「だから、逆に言うとブレイクの仕事はいくらでもあると思うわ。モンスターや盗賊の被害を、この村の住人は国に訴えることができないわけだし」
「ああ、そうか、それが丸ごと、俺のウォードッグとしての仕事になるわけだ」
食いっぱぐれはなさそうだ。
「そうそう……あら」
と、アーシャが目を丸くする。
その視線を追うと、俺とアーシャの話に飽きたのか、それとも単に腹一杯になったからか、アルが目を半分つむってゆらゆらと揺れている。
「もう、お昼寝の時間ね」
「邪魔したな」
立ち上がる。
「あら、もういいの?」
「ああ、アルの昼寝を邪魔しても悪いしな。腹ごなしに、村を散歩でもしてくるよ」
「そう、じゃあね」
「ばいばい、ブレイク」
半分寝ているアルが、その短い手を振ってくれる。
俺も笑顔で手を振り返して、小屋を出る。
アーシャはもちろん、アルとも、仲良くなれそうだ。
よかった。
楽しく暮らしていけそうだ。
夕食は自分の小屋、あの倉庫でとることにした。
そうそうお邪魔してもあの姉妹に迷惑だろうと思ってだ。
食事は、野鳥を焼いたものをアーシャが持ってきてくれた。喜んで一人、その焼いた鳥をつつこうとしたところで、バクルがやって来た。
手に一升瓶のようなものを持って。
「やるか?」
聞かれたが、俺は黙って首を振る。
元々、酒なんて飲んだことが無い。
そうして、テーブルもないので小屋の床に二人で座って、食事が始まる。
とは言っても食べるのはもっぱら俺で、バクルはただ酒を飲んでいる。
オイルランプによる灯りで、俺とバクルの影がゆらゆらと揺れている。
その影を見ながら、何をしにきたんだろうと不思議に思う。
「どこまで聞いた?」
さっきから凄いペースで酒を飲みながら、顔色一つ変えずにバクルが聞いてくる。
「どこって……」
戸惑いながらも、俺は昼に食事をしながらアーシャから聞いたことを話す。
別に、隠すような内容じゃあない。
「本当に、それだけか?」
話を聞き終えたバクルは、じろりと三白眼で俺を睨みつけてくる。
「ああ、それだけだ」
そんな目を受けても、俺はぶれない。
かつての俺だったら、その目で見られただけで震えていたかもしれない。けど、今の俺はブレイクだ。
堂々と言い返す。
「そう、か」
安心したような、がっかりしたような顔をしてバクルはもう一口酒を呷る。
「もう、お前はあの娘とは会わない方がいいのかもな、お互いのために」
ぽつりとバクルが言う。
瞬間的に思い出す。
俺の妄想を。
ウォードッグという言葉に、どこか引っかかりを覚えていたアーシャの姿を。
「ああ、でも、ほら、アーシャと会わないと、俺、食事もらえなくて餓死しちゃうし」
何やら暗い方向に話がいくかもしれないと身構えつつ、俺はあえて冗談めかす。
不誠実な気もするが、とりあえず、だ。
「ふん、ウォードッグが餓死なんぞするものか」
酒を一口含んで、バルクは口を歪める。
「魔力させ供給されれば、寝食を必要とせず、半死半生の状態からも完全に再生する。ウォードッグとはそういう存在だろう?」
「え、マジで?」
そんなこと、ありえるのか?
とはいえ、考えてみれば、ゲームではその通りだった。HPがゼロになっても魔力さえあればじきに回復したし、別にものを食べたり睡眠をとらなかったら体力が減少していくという仕様にもなっていなかった。
「知らなかったのか」
逆に、俺の反応でバクルが驚く。
「魔力とは、生命の源そのものだ。それを供給されているウォードッグは、それが無ければ消える代わりに、あれば永遠に消えない。不老だし、不死に近い」
「不老不死!?」
あまりのことに大きな声が出る。
「何だ、本当に何も知らないんだな」
にやり、とバクルは笑い、酒を飲む。
「不老ではあるが、不死とは違うがな。魔力による再生を上回る、致命的な攻撃を受けてしまえば、やはりウォードッグといえども死ぬことは死ぬ」
いや、それにしたって、ぶっ飛んだ話ではある。
けど、魔力が生命の源そのものだっていうなら、そうかもしれない。何より、確かにゲーム内ではキャラクターは歳をとって死ぬということはなかった。
まあ、ゲームだから当たり前と言われればそれまでだけど。
「やれやれ、こんなことなら、余計な気を回すんじゃなかったわ」
「余計な気?」
「アーシャに惚れるなと釘を刺したかったのよ。器量よしじゃからな。今じゃわしが父親代わりよ、そりゃあ、ウォードッグになんぞ手を出されたら敵わんわ」
「なんだ、そりゃ」
結局、娘が連れて来た男友達が彼氏なんじゃないかと疑う父親の心境なだけか。
真剣に色々と考えて損した。
「だけど、お主じゃあ無理だな。あの娘はしっかり者じゃからな、同じようにしっかりした人間を好む。今、わしに教えられるまで、魔力やウォードッグについての基本を知りもしなかったようなふわふわした男じゃあ、とてもとても」
急に上機嫌になったバルクは立て続けに酒を呷る。
「ぐっ……」
確かに、自分のことなのに調べようとも聞こうともしなかった俺の迂闊さは間違いない。
反論の仕様が無く、俺は呻きながら焼いた野鳥をむんずと掴むと、癪なのをぶつけるように噛み千切る。