殺したいのは誰?(2)
夢と現実の狭間。
床に伏せて、口からは涎を垂らしたまま、それでも意識の一部は外に向けている。そんな状態。
遠く、団体がこの小屋に近づいているのを察知する。
「来た」
覚醒した俺は立ち上がる。
体は、少なくとも見た目はあの森に入る前の状態に戻っていた。コートも新品同様、進撃も完全な状態でそこにある。
「行くの?」
ベッドから降りて、俺の前に立つアルからは死の影は消えている。多少肌が白いが、それ以外はかつてのアーシャにそっくりだ。
「ああ、行く」
俺は短く答えてから、
「髪、長いな。切った方がいいか」
ふと視界の邪魔になったので、そんなことを言う。
「ああ、そうね。髪さえ切れば、村にいた頃のブレイクと変わりないものね。ちょっと待って、切ってあげる」
そう言うと、どこからか錆びたはさみを探し出し、それで俺の長い髪を切り始める。
じゃきり。
「勝てると思う?」
じゃきり。
「どうかな」
じゃきり。
「あたしね」
じゃきり。
「ああ」
じゃきり。
「あなたが勝って生き延びれてもうれしいし」
じゃきり。
「ああ」
じゃきり。
「あなたが負けて、今度こそ無様に苦しみぬいて死んでくれても嬉しいわ」
じゃきり。
髪切りが終わり、俺は返事をせずに小屋を出ていく。
「あの小屋ですな」
部下を引き付けれてゴールの指示通りに動いていたロックの目が、その小屋を捉える。
「どうする、ロック?」
ゴールの漠然とした質問に、
「行きましょう。俺とブレイクがやりあってる間に部下にアーシャを殺させてもいいし」
「俺は?」
「ゴールさんも、一応来てください。今度こそ、間違いなくアーシャを殺せるかどうか確認してもらわないと。まあ、俺が守るから心配ないですよ」
「なるほど」
「ええ、それで……っと、小屋から、出てきましたね。おお、ブレイクだ、全然変わってないな」
そして、ロック達は足を止める。
ロックと兵士が数十人、そして少し後ろの方にゴール。距離は一キロ程度。
それだけ確認して、俺は進む。
急ぐわけでもなく、ただ歩いて集団との距離を詰める。
集団は足を止めている。
無言。
お互いに、無言のまま、距離を詰める。
ロックは自然体。ゴールもやる気なさそうにローブの裾を弄んでいる。
ロックの部下である兵達は、近づいてくる俺に警戒心も露わに、身構えている。
「ブレイク」
ようやく、普通に声が届く距離まで近づいたところで、ロックが呼びかけてくる。
「どうして生きてるんだ、お前も、アーシャも」
答える必要がないので、俺は黙って進撃を構える。
「言葉は不要ってか、恰好いいじゃねえか」
言い終わる前に、ロックは懐に飛び込んできていた。
剣の抜き打ち。
それを、進撃で受け止める。
鍔迫り合いだ。
「……ぐっ」
やはり、膂力は向こうの方が強いか。押し負けそうになり、姿勢が崩れる。
「くく、どうした、お前、むしろ力は弱くなってないか? ぼろぼろで回復しきってないって、そんな感じだぜ?」
ロックが至近距離で囁いてくる。
おそらく、その通りなのだろう。
「おい、お前ら、今のうちにあの小屋に行け。こいつは俺が抑えとく」
ロックが部下に指示を飛ばし、兵達が動く。
ここだ。
俺は、一気に体の力を抜く。そうしながら、体を捻ってその場から抜ける。
「させるかっ」
背を向けた俺に、ロックが剣を振ってくる。
いいぞ、斬らせてやる。
俺は、あえてそれを防がずに避けようとする。
避けきれない。それは、分かっていたことだ。
背中に一撃。背骨をかするような一撃を食らう。
激痛。
だが、そんなことはどうでもいい。
大切なのは、この瞬間、俺が自由になったこと。そして。
「はは」
ロックは笑う。目の前の光景に。
嬉しかったからだ。
自分の一撃を受けながらも逃げたブレイクがとった行動に、感動すら覚えていた。
それは虐殺だ。
いや、そんな人間的なものじゃあない。破壊だ。
一撃を食らいながらもブレイクがしたこと。
それは刀を使っての攻撃だった。だが、ロックに対するものではない。
ブレイクが、巨大な刀を振り、その衝撃で、ロックの部下達の武器が、武器を持った腕が、首が、胴体が、ずたずたに切り裂かれ、宙を舞っている。
その血肉をロックに対する目つぶし代わりにして、ブレイクは跳ぶ。
その姿に、ロックは嬉しくなってくる。
血肉をかき混ぜて、そこかしこにぶちまける。
一瞬でいい。一瞬、ロックがとまどってくれれば。
その隙に、全てを済ませる。
「ひぃ」
「ああ」
さっきの一撃で武器を砕かれ、あるいは腕を持っていかれ、もしくは目の前で戦友が死に、戦意を喪失した兵達。もう、逃げ出そうとしている兵達の間を、縫うように跳び回る。
跳びながら、進撃を振るう。
「ぎゃっ」
「があ」
一撃振るうごとに、兵の顔が削り取られる。潰れる。斬り飛ばされる。
一瞬、逃げようとする兵の中に見覚えのある影を見つける。熊が鎧を着ているような影。
ダイか。
俺や村のことを教えて、その職を手に入れたわけか。賢いな。
「ごしゅ」
確かに目が合い、ダイが何か言おうとするが、その前に俺は進撃でその顔の上半分を削り取る。
衝撃で、ダイが首にしていたロケットが宙を舞い、蓋が外れる。そこには見覚えのある犬の獣人の娘の写真があるのが見えるが、どうでもいい。
俺は、次の兵に刀を振るう。
「ブレイク!」
血と肉の中を突き進んできたロックが俺に迫る時には、既に兵士は全て五体バラバラの状態でその場にばらまかれていた。
そして、凄まじい音がして進撃とロックの剣がぶち当たり、もう一度鍔迫り合いになる。
「見違えたな、ブレイク。よくぞ殺した」
部下の血肉で顔を汚しながら、ロックは笑っている。
「なるほど、ウォードッグだ。ゴールさん、悪いけど、今すぐ下がってくれ。これからは、あんたを守りながら殺しあう自信がない」
「いいぞ、兵士長。存分にやれ」
そう言って、ゴールは下がっていく。
「ああ、身体能力は大して変わらないどころか落ちている感もあるが、見違えたぜ、ブレイク。何があった?」
全身の力を使って俺の体勢を崩そうとしながら、ロックが言う。
「お前に」
答える必要はないが、俺は何となく口を開く。
「お前達に、感謝している」
「何?」
きょとんとするロック。その隙に、俺は蹴りをロックのみぞおちに打ち込む。
「おっとお」
だがクリーンヒットする前に、ロックは自ら後ろに跳んで、衝撃を殺す。
「危ねえ危ねえ、あんまり妙なこと言うなよ」
そして距離をとってから、俺とロックはお互いに剣を構え直す。
これまでの、相手の攻撃を防ぎながら攻撃する攻防一体の構えではなく、攻撃のみに特化した構えだ。お互いに。
「削りあい、といくか、ブレイク、楽しみだな」
そして、ロックと俺は同時に一撃を繰り出す。
ロックは驚嘆していた。
この状況にだ。まさか、あのブレイクを相手に、こんなことになるなんて思ってもみなかった。
最初の一撃。お互いに防御を捨てた一撃は、お互いの体に触れることなく終わった。
そして、二撃、三撃。互いに相手の攻撃を防がず体捌きだけでかわしながらの攻撃は、お互いに相手に傷一つ与えられない。
素晴らしい。
ロックは驚嘆している。
相手の技術ではなく、身体能力でもなく、精神力に驚嘆している。
少しでも怯えて攻撃が鈍れば、あるいは体の動きが固くなれば、それが即、死につながるこの状況。この状況で、自分と同じようにブレイクが攻撃を避け、刀を振るい続けている。
あの時のブレイクでは、想像もできなかった状況だ。
いいぞ。
知らず知らず、ロックの口元に笑みが浮かぶ。
堕落してからは、惰性の生を伸ばすために、危険は避け、勝てる勝負しかしてこなかった。今回も、勝てるだろうと判断したからここに来た。
それだけというのに、素晴らしい。予想以上だ。
終わりかもしれないな、これで。そんな期待が頭を過ぎる。
いや、期待のし過ぎは禁物だ。落ち着け。落ち着け。
互角に見えた斬り合いは、ゆっくりと、だが確実にロックの有利に傾きつつある。
「ははっ」
ロックが笑う。
知ったことか。別に、有利不利は関係ない。ただ、俺は。
「う」
とうとう、斬られた。右脚だ。右脚が、浅く。
それを皮切りに、次々と全身が斬られていく。少し、ほんの少しだけかわすのが間に合わなくなっている。
脚が、腕が、顔が、胴体が、浅くだが、斬り刻まれていく。
「どうした、読めるぜ、お前の動きが」
ロックが笑う。
「経験の差、技術の差だな。お前の動きに、もう慣れた。それで、ほら、傷つけば、更にそれだけ動きが鈍る。回復の時間は与えてやらねえぜ」
言うロックの動きが、加速する。
まだ、あれが全速力じゃなかったのか。
新鮮な驚き。
必死で、その動きに食らいつく。
昔は、攻撃力と速度を極めたなんて思っていたもんだけど。
その速度を目の当たりにして、俺は思う。
速さもこいつの方が上か。
だが、もはやそのことに悔しさなどなく、諦めも落胆もなく。危機感すらない。
どうでもいいのだ、そんなことは。
そして、ロックは再び驚嘆する。
「これは……何が、何かが違う?」
思わず呟いている。
素晴らしい。
傷を負って、全身のダメージで相手の動きはどんどんと鈍くなっていくはずだ。そのはずだ。
奇妙なことに、ブレイクは全身にダメージを負わせても、むしろ動きが素早く、そして独特になっていく。読み切れない。
勝ったと思っていたのに。
まるで、満身創痍で戦っているのが常であるかのような。
だが、それでも。
「やはり、勝つのは俺か」
笑う。
距離の取り方、身のこなし、全ての技術が勝っている。
傷を受けてなお鈍らない動きと独特な動きをもってしても、その差は埋まらない。当然だ。当然の話だ。
こうなる前は、死ぬくらいに努力と鍛錬を重ねて、強くなろうとしてきたのだ。
それが、簡単に覆ってたまるか。
息が上がる。
全身が真っ赤に染まっている。それでも、俺の刀を振る速度は鈍らない。そうだ、それでいい。
血を吐きながら、刀を振るう。
既に再生速度を優に上回る傷を受けている。
負けるかもしれない。それでいい。
傷一つ負わせられないまま、死ぬかもしれない。それでいい。
俺はそんなもののために、ここにいるんじゃないんだ。
ともかく、刀を振れ。
それだけを念じる。
腕が千切れそうになっても、脚が落ちそうになっても、それでも刀を振り続けなれば。
そうしなければいけない。
「ブレイク、しぶといな」
奇妙なほど嬉しそうに、ロックが言う。
だまって刀を振り続ける。
妙だ。
ロックのその思いは、ブレイクの体に剣を打ち込めば打ち込むほどに深くなっていく。
どんなに傷を負わせても、ダメージを与えても。刀を振る速度も攻撃をかわす速度も落とさず、むしろ動きが独特になり、向こうの攻撃は読みづらく、こちらの攻撃は当てづらくなる。
それはいい。
それでも、勝っているのはロックの方だ。
まだ一撃も食らっていない。相手の全ての攻撃をかわし、こちらの攻撃はどんどんダメージを蓄積している。
だというのに。
だというのに、何だというのだ、これは。
一歩、ロックは後ろに下がる。
「押されているのか、俺が」
剣を振り、跳びかわしながらロックは呟く。