インタールード(3)
ゴールとロックは、白い部屋の中央で、向き合って座っている。
男達の両手には、ワイングラス。空になっているが、注ごうとする動きはどちらにもない。
「今」
ゴールが目を見開く。
「はい?」
「今、アーシャの魔力を感じた」
「殺したんじゃなかったですっけ?」
特に緊迫感もなく、ロックが聞き返す。
「殺した。多分、バクルの策か」
「あの老いぼれは殺したじゃないですか? ああ、まあ、死後も効果のある策なんていくらでもあるか。しかし、どういうことか分かりませんけど、いいようにやられましたね、ゴールさん」
皮肉な笑みを浮かべるロック。
「いや、小手先の策でどうにかなる問題とも思えない。確かにアーシャは死んだしな。おそらく、あまりにも馬鹿げていて想像すらしなかったような手を使ったんだろう」
「で、殺しに行きますか?」
「そうだな」
ゴールは少し考える。
「ロック、あの、ブービー……」
「ああ、ブレイクですね」
「そうだ、ブレイク。あいつが生きていると、確かそんな風なことを言っていなかったか?」
「ああ、はいはい、そうだ、そうだった」
ぽん、とロックは手を打つ。
「ランキングの最下位に、まだ名前があったから、なんでか知らないけど生き延びてるみたいだって話になりましたね。どうでもいいから、忘れてました」
「生きていたアーシャと、生きていたブレイク。無関係とは考えられないな」
「ああ、じゃあ、また会えるかもしれないですね、アーシャを殺しに行けば、ブレイクに」
「会いたいのか?」
その嬉しそうな口調に、ゴールは少し眉をひそめる。
「いや、別に。けど、こういうイベントがないと、脳みそ腐っちゃうでしょ」
「ふん。お前、俺達の脳髄や精神が腐ってないとでも思ってたのか?」
その問いに答えず、ロックは苦い笑みを浮かべる。
そうだ、自分達は腐っている。
そんなこと、ずっと前からわかっていたことだ。
魔術師もウォードッグも、永劫の時を生きる。その中で、殺し合い、消えていく者達がいる。
けれど、本当は、大部分の消えていく魔術師もウォードッグも、自らの意思で消えていくのだ。わざと殺されに行ったり、鍛錬をやめて日々を怠惰に過ごしたり。
ただ、消えるだけの日々を送る、堕落した存在。
どうして、そんなことになってしまうのか。答えは簡単だ。
長すぎる。そう、あまりにも長すぎる。
例えば、魔術師であれば、例えば愛した人間を生き返らせる魔術の習得を目的にしているとしよう。その魔術師は、ずっとそのために生き続け、魔術を究め続けられるか?
答えは、ノウだ。
百年は続くかもしれない。千年はどうだろう? 一万年後には、摩耗している。死人に対する愛も、絶対に実現しそうもない目標に挑戦し続ける意気も。
稀に、本当にごく稀に、それを突破する魔術師がいる。
周りの人間が全て死に、自らの最初の目的が何だったのかを忘れ去り、命の危機に怯えながら権謀術数の限りを尽くして生き延びて、そして永遠にも思える時を、何万年も何億年も魔術を究め続けられる者。
そんな魔術師だけが、神に至る。
そして、ゴールは違う。
既に、道から外れている。長い日々の中で、核を失い、惰性で生きている。
ウォードッグは、それよりも分かり易い。
なにせ、奴隷なのだから。命令に従い、戦い続けるだけの存在。そんな存在になって、何百年、何千年、何万年と戦い続ける、鍛錬し続けるような者がいるだろうか。
いる。
そんな存在だけが、ランキングの上位、百位以内に入ることができる。
戦いの中、かろうじて心を通わせる存在ができたとしても死に別れ、自分の目的を見失っても戦わされ続ける。そんな中でも、何万年も何億年も、ずっと強くなろうと思い続ける化け物。
ロックは違う。
既に、その道を降りている。
最初は、強さを求めていた。
この無限世界に召喚された時は、元の世界では最強を誇っていた自負があった。奴隷のような存在であろうと、永遠に戦い続け永遠に鍛え続けられるとは、何という幸運だと感謝すらした。
そのあり方にひびが入ったのは、何年経った時だったか。百年か、それとも千年か。
ランキングの下位、五百位前後はランキングの入れ替えが頻繁に起こる。だが、少し上位にいくだけで、そこからはそれぞれのウォードッグが完全なる化け物、入れ替えなど滅多に起こらなくなる。
ランキングがひとつ違うだけで、象と蟻、いやそれ以上に桁が違うことだってありうるのだから。
そんな中で、ロックは少しずつ、自分の心が、魂が折れていくのを感じたものだった。
四百九十九位は倒した。では、次の四百九十八位は? あいつを倒せるのか? 何年修行すれば倒せる? いや、その間、向こうも己を鍛えるだろう。倒せるのか? 自分がこのランキングから上にいくことはあるのか? どれだけの時間、どれだけの量努力すれば一つランキングが上がる? そして、その次は?
気が遠くなり、心が折れた。
けれど、それが普通なのだ。
結局のところ、魔術師であれ、ウォードッグであれ、上に行くには、合理不合理を超える妄念、業が必要になる。それが足りないものは、堕ちていくだけだ。
そう、ロックも堕ちた。
最初だけは、ランキング一位『神喰い』キャリヴロに憧れた。今では、それがどんなに身の程知らずか、いや身の程知らずとも言えない程の妄言だということか理解している。
だがその妄言を、妄言と分かっていながら追求し続ける妄執に、業にその身も魂も焼かれ尽くしたウォードッグだけが、百位以内にまで昇ることができる。
無限世界の文明を一定期間でリセットし続ける『大災害』クエクも、剣の一撃で地を割る『星斬り』ライオンも、全てが業、妄念、妄執の塊だ。
そして心が折れて、ロックは怠惰な日々を、惰性で生き続けている。
もはや己を極めるだけの心力もなく、ただ死なないために今まで培ってきた力を、技術を、経験を浪費し続けるだけの日々。
六千年のうち、本当に生きていたと言えるのは一体どのくらいの年月なのか、ロック自身でも分からない。
「腐ったおまけの人生を、終わらせる時がきたんですかねえ」
夢見るようにロックが言うと、
「どうかな。相手はおそらく、あの『ブービー』だろう?」
ゴールはそう言って立ち上がる。
「まあ、そうなんですがね……ゴールさん、国王に報告しとくですか?」
「ああ、俺は臆病者なんだ。そう言えば、前国王が、あの老いぼれが死んだのも、確か十年前、ちょうどあの村を滅ぼしてすぐか」
「そっか。あれから、もう十年も経つんですねえ」
ロックは遠い目をする。
「あっという間だったな」
「まあ、ウォードッグとしては若造とはいえ、六千年は生きてますから」
「ふん、その六千年生きて心が折れた脱落者が、まだ心の折れていないウォードッグの心を折っていくわけだからな。醜い嫉妬だ。可能性の芽を摘むとは」
「ははっ」
その発言にロックは腹を抱えて笑い、
「俺の言葉遊び程度で心が折れたり文句を言う奴が、この先に可能性なんてあると思いますか? そんな奴は、元々どうしようもないですよ」
「それは真理だろうがな……両手両足両目を潰すのも含めて、言葉遊びというのは表現が間違っているぞ」
そう言って、ゴールは部屋を出ていく。
後に残ったのは、ロック。
ロックは目を閉じて、祈る。
「どうか、生き延びれますように」
祈りながら、正反対のことも同時に内心祈っていることにも、気が付いている。




