憩の森
こっちの国(東南アジア)のネット環境が悪いのか、接続が不安定なんで、一気に書き上げた最終話までを全部予約投稿で投稿しときます。そうでなくても、これからネットをしたり「なろう」を覗く時間があるのか怪しいので。
一日一話で、全部で六話です。全て零時投稿にしてます。
すいませんがそういうことでよろしくお願いします。
あと、感想についても、ネットの調子が悪い中、全員に返すのが少々骨が折れるのと、あと何よりも、結構な数の感想に対してこちらから返信したい内容が同一なこともあって、現時点で確認してある感想に関してはエピローグ後の後書きでまとめてお返事させてもらいます。
失礼なのは重々承知ですが、ご了承ください。
曖昧模糊とした闇から、不意に浮上してくる意識。意識とも言えない意識。
喉が渇いていた。
違う。喉ではなく、何か別のものが渇いていた。それに気づく。
赤黒い闇の世界。耳鳴りが支配しているし、鉄錆の匂いが鼻をつく。全身が熱い。どろどろと熱く塩辛く苦いものが口に詰め込まれている。
要するに、五感はほとんど壊れている。
だというのに、何か感じる。
この方向に行けば、俺の乾きを癒せる。
だから行こう。
そっちへ行こう。だから、立ち上がらないと。
立ち上がれない。足が動かないし、そもそも体がまっすぐならない。両腕でもがいて前に進もうとしたら、腕も動かないし、片方はそもそもないみたいだ。
ずるずると、それでも全身を動かして、目指す場所に進む。進むしかない。
だって、乾いて乾いて乾いて、気が狂いそうだ。
何かにぶつかる。固いものだ。よけていく。何かにぶつかる。柔らかいものだ。乗り越えていく。何かにぶつかる。びちゃびちゃしたものだ。気にせず、進み続ける。
どれほど這いずり続けたのか、一時間か、それとも丸一日か。ともかく、ほとんどない五感が、自分が森の中にいることを教える。
まだだ。
まだ、先だ。
先に、先に進まないと。
スキル『リカバー』。
致死の攻撃を受けた際に、一定確率で瀕死の状態で復活するスキル。上級のプレイヤーにとっては必須スキル。
脳の片隅からそんな言葉が零れ落ちてくる。
言葉の意味は分からない。興味もない。
もがく。
体から、何かが抜けていく。
もう、残り少ない。乾いている。
もうすぐ、消える。消えてしまう。いや、消えてしまうのはいい。どうでもいい。むしろ、消えてしまった方がいい。
けれど、この、どうしようもない乾きを。乾きを癒さないと。
体が揺られる。
ああ、なんだろうか、この感覚。
痛い。
そうだ、痛いとか、苦しいって感覚だ。ずっと、全身が激痛に塗れていたから、気づかなかった。なんで、痛いんだろう。さっきの揺れは。
もう一度、揺れる。
ああ、殴られてるのかもしれない、何かに。
何だ、俺を殴るのは。
けど、そいつから、感じる。乾きを癒す何か。
そうして、気がついた時には、乾きが少しだけ癒えている。全身の痛みは酷くなっている。そして、俺は、何か生暖かいものに顔を突っ込み、そこに流れている何かを、必死で啜っている。びちゃびちゃと音をたてて。
ああ、体に、体に染み込む。乾きが癒える。少し、ほんの少しだけど。
そして、乾きが癒えてくると、少しだけ、冷静になる。冷静になるというより、人としての考えができるっようになってくる。
人? 俺は人なのか?
まあ、いい。
乾きが癒えると同時に、体も少しだけ楽になる。
けれど、一時的なものだ。すぐに、次の獲物を喰わないと。半日ももたない。
食う? そうだ、俺はおそらく獲物を倒して、食っている。こんな全身が動きもしない状態でよく勝ったものだ。勝って、その血肉を食らった。
どうして?
だって、そうしないと乾きが癒えないから。
俺が戦って食い殺したこれは、多分上級モンスターだ。上級モンスターは、魔術師と同じように魔力を取り込むことができるって言ってた。だから本能的に。わずかではあるけど。
言ってた?
誰が言ってたんだっけ?
ノイズ。
次に気が付いたのは、俺が三匹のモンスターを手で引き裂いている最中だ。
ああ、俺、何してるんだ?
前に意識があった時から、どれくらい経っているのか分からない。分からないし、その情報に何か価値があるのか?
そんなことより、そうだ、乾いて乾いてたまらない。
俺はモンスターの体を素手で解体しながら、中からガラス製の心臓のようなものを引きずり出す。
これだ。これに、俺の渇きを癒すものが入っている。
必死で、それに食らいつき、しゃぶりつくす。
そのたびに、乾いた体に何かが染み込んで、甘美な気分にさせる。
落ち着いたところで、ぼんやりとではあるが、片目の視力が回復していることに気づく。そうだ、俺、見えている。魔力を補給して、体が少しずつ回復しているんだ。
ふと、さっきまでモンスターを解体していた両手を見る。思ったように動かない両手は歪み捻じれているし、ほとんど骨と皮のようになっている。肌の色も薄汚れた石膏のようだ。指の数が左と右で違う。そもそも、左手は何だか、自分のものではないみたいだ。無理矢理、別の生き物の腕をくっつけたみたいに。
まあ、いいか、どうでも。
そんなことより、俺、何してるんだっけ?
そうだ、記憶がどこから続いてるんだったか。
ええと、上級モンスターを倒して、そいつらから魔力を奪ってるのか。死なないために。ってことは、ここは帰らずの森だ。あの村の近くで上級モンスターが出るといったら。
あの村?
村?
燃える小屋。畑。誰かの首。肉の塊。剣。血。地面。
ノイズ。
「ああああああああああああ」
獣というよりも機械のように、俺は叫んでいる。
叫んで、ようやく目の前にいる三つ首の狼を殴り殺す。
殴った拳は骨が折れて変形してしまったし、狼にやられたらしく両足の腿が食いちぎられている。
どうでもいい。勝ったのなら。どうせ、もともとまともな状態じゃあなかったんだろうし。
俺は狼から魔力の詰まった核を引きずり出し、かぶりつく。
ああ、たまらない。
どうも、俺は意識を失っている間、あんな風に叫びながらひたすら動物的に暴れているらしい。
こんな体で、そんな動物的に暴れている状態で、上級モンスター相手に勝っているなんて信じられない。いや、そうでもないか。
だって、俺は最強のウォードッグ。
お前は最低最弱の屑だ。
「うぶっ」
吐く。血と胃液を吐き続ける。
「ぎゃがっ」
チャンス、とばかりに隙を伺っていたらしい、巨大なカマキリのような形をしたモンスターが、俺の背中に鎌を突き刺す。
痛い。けど、そんなことはどうでもいい。
ああ、気持ち悪い。気持ち悪くて、死にそうだ。
お前はゴミ屑だ。
声がする。
アーシャが、アルが、村人が、皆が俺を褒め讃える。最強のウォードッグだと。
そうだ、俺は最強なんだ。
ゴミ屑だ。
畜生、畜生畜生畜生畜生。
ノイズ。
また、記憶が飛ぶ。
どのくらい、獣のように暴れ狂っていたのだろう。
俺は巨大なワイバーンに踏まれて、虫の息だ。
ああ、死ぬ。ようやく、死ねる。
いたぶるのを楽しむように、ワイバーンがじわじわと体重をかけてくる。
やめろ。殺すなら早くしてくれ。
じゃないと、思い出してしまう。ああ。あああ。
マトとダイが俺を嘲笑っている。
あの二人が村を破壊している。俺のせいで。俺の。
皆死んでいく。二人に殺されていく。
殺されていく村の皆が、マイクが、ジョージが、ジェシカが、老夫妻が、バクルが、アルが、アーシャが、俺を恨んでいる。恨みの目をしながら、口は嘲笑っている。同じように、俺を。
ぬるま湯は気持ちよかったか?
声がする。
馬鹿な男が喜んでいる。これが俺の物語だと。
俺は。
「がああ」
片手に握っていたのは、柄。刀身が砕けた、進撃の柄だ。それを、ワイバーンの目に向かって投げつける。
「ギィッ」
死体のように色の悪い皮のところどころから骨がのぞいている歪みきった腕だったが、その投擲はまっすぐワイバーンの目に当たる。
怯んだ隙に、転がるようにして脱出する。
それまでだ。
脱出したところで、蘇ってくる。記憶が。
あの日のことが。
死体。死体。ゴール。死体。ロック。死体。死体。死体。刎ね跳ぶアーシャの首。
やめろ。
視界が赤く歪む。
気分が悪くて仕方がない。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
壊れた機械音が、勝手に俺の喉から出ている。
ノイズ。
都合のいい物語が好きで、それに自己投影して悦に入ってたんだろ?
やめろ。
俺だってチャンスがあれば、力があればと思って、必死に動くことがなかったんだろ?
やめろ。
自意識だけを肥大させて、周りとの軋轢に勝手に苛立っていたんだろ?
やめろ。
見たくないものからは目を逸らして、物語に逃げて。
やめろ。
そんな人間が、何者かになれると思ってたのか?
やめろ。
何者かになるのさえ、他力本願だったんだろ?
やめてくれ。
自分が何もしなくても、偶然だったり、他の奴らが勝手にだったり、そうやって、何者かになれる夢物語に憧れて、待っていたんだろ?
やめてくれ、もう。
願いは叶ったな。お前は、何者かになれた。
もう、俺は。
自分の無知無力怠慢から目を逸らし続けて、騙され利用され捨てられる被害者だ。
お願いだ。その声を。
自分の無知無力怠慢から目を逸らし続けて、何もできずに誰も彼をも殺した加害者だ。
やめてくれ、その声を。
やめろ? 無理だ、分かっているだろう、この声は。
そうだ、この声は、記憶にあるロックの声じゃない。これは。
俺の声だ。
狂っている。
いや、壊れている。
曖昧なまま獣のように叫び続け暴れ続け、そして不意に意識を取り戻す。そして、その意識が自分が何者か、どうしてこんなことになっているのかを思い出し、耐え切れず狂って獣になる。
それを何回と、何百回と、何千回と繰り返している。
最近では、もう、その境目が曖昧になってきている。狂っている。壊れている。
境目がなくなってきているせいで、俺は獣になっている時にも意識の一片が覚醒してしまう。
それは苦行以外の何物でもない。
獣になっている俺の脳の内側で、もう一人の俺が俺に語り掛け続けている。ロックが俺に言った内容を。ロックが俺に言った内容以上のことを。
だから、意識を取り戻した瞬間、それを思い出して、また狂う。
もう壊れている。心が機能しない。
疲れた。
死にたいが、獣に狂う俺がそうさせてくれない。獣は、動物的本能で、上級モンスターに戦いを挑み、魔力を補給し続ける。
そして、摩耗した。
摩耗し尽した。
何万回も、獣になって意識を取り戻して絶望して狂って獣になって、それを繰り返した。
その果てに、俺は摩耗していた。
「ああ」
今、俺は狂った獣と人間の境目がなくなった。
常に一つだ。切り替わりすぎて、境目が摩耗して一つに繋がってしまった。
「あああ」
力のない叫びが、常に俺の口からは漏れている。
俺のことを屑だと糾弾する声は常に脳内を響いている。
「ああ」
よろよろと、俺は歩き続けている。何のためにかは知らない。
俺を狂った獣のように暴れさせていた凶暴性は、暴れ続けたために遂には枯れてしまっている。
森の中に、泉がある。
何気なく、水面を見る。そこに映る自分の姿を。
「あああ」
おぞましいものがそこにいる。
全身の肌の色は青黒い。その肌を隠すように、黒い長髪が腰まで伸びきっている。
片目は歪んだ形で、もう片方の目はおそらくどこかのモンスターの目だろう。形も色も人間のものというより鳥類のものに近い。
口はだらしなく半開きになり、常にそこから叫びが漏れている。歯は全て狼のもののような尖った牙に変わっている。
コートを着ていたはずだが、もう黒いぼろ布を巻きつけているだけだ。
両腕は右と左で長さが違い、形が違い、指の数が違う。そしてどちらも、捻じれて、歪んで、ところどころから骨が突き出している。
脚も片方は完全に動かず、爪先が背中側にある。もう片方は動くことは動くが、その足はもうほとんど骨だ。
そして、腰の辺りには冗談のように、進撃の柄だけが刺さっている。
「うああ」
それを見ても、特に何かを感じることもない。
それどころじゃあない。頭の中では糾弾され、嘲り笑われて。記憶の彼方にぼんやりといる連中、犬の獣人だったり熊の獣人だったり、老人だったり老婆だったり男だったり女だったりが、俺を恨み、罵倒し、そして殺されていく幻影はずっと瞼の裏に、いやもはや目を閉じないでも見える。
自分の変わり果てた姿を見て何か思えるような、余裕はない。
しかし、どうすればいいのか。
散漫な頭の中で、疑問がよぎる。
これからどうすればいいのか。もちろん、モンスターを探して、狩るのだ。
何のために?
生きるために。
どうして、生きなきゃいけない?
ノイズ。獣はそんなことを考えない。
俺、獣だったっけ?
いつもの、俺を罵倒する声や呪う声、嘲りの笑い声がうるさすぎて、俺は思考を断念する。
ええと、そうだ。
だから、モンスターを殺さないと、俺は死ぬんだ。
「あああ、あ」
死ぬ。
死んだら、何かまずいんだっけ?
ノイズだらけの頭で、そう考える。
死んでも、いい気がする。
なら、ここにいる必要もないな。
出よう。この森を出よう。
どうして出るんだろう、この森を?
だって、上級モンスターを狩らなくていいんだろう? 死ぬんだから。森にいる必要はない。
そうだけど、必要なくても森で死ねばいいじゃないか。行きたい場所でもあるのか?
もちろん。村だ。村に帰るんだ。
ノイズ。
ノイズ。
ノイズ。
村は滅んだ。そうだろ。
そうだ、そうだった。俺が屑だから、滅んだ。
俺はいつの間にか森を出ていた。空気が変わる。
こっちだ。こっちに歩こう。何か、気配がする。
この山を越えたところに、気配がする。人の気配が。今にも消えそうだけど。
俺は歩く。
どうして気配のある方向へ歩くんだ。
何となく。
人は、お前を見て化け物だと思って、襲ってくるかもしれない。
だからなんだ? 死ぬから、森を出たんじゃなかったか?
歩く。
遠く、山と山の間、小屋が見える。
粗末な小屋だ。急ごしらえで作ったかのような、洞穴と小屋が一緒になったような場所。
あそこに誰かいる。
近づくうちに、気配は鮮明になっていく。
病人だ。それも、命の気配が薄い。今にも、死にそうな病人。
そうか。
このまま近づいて俺の姿を見たら、恐怖で心臓が止まるかもしれない。
それがどうした。それで死んだとして、俺の責任じゃあない。
責任?
責任って、なんだ?
ノイズ。
そうして、俺は、その小屋の中に足を踏み入れる。
理由は自分でもよく分からない。いや、もはや、自分のしている行動の全てに理由がない。生きている理由がないのだから。自分が獣か人か、正気か狂気かすらも、分からない。おそらくは両方なのだろう。壊れたのだ。
小屋には、かまどと、粗末な木造のベッドしか家具と言えるものはなかった。
そのベッドに、汚れたぼろぼろの布にくるまって、一人の少女が、伏している。
まだ若いだろうに、その肌は紙のような色だ。骨と皮だけにやせ細り、手入れもされず伸びている長い髪はばさばさで艶も何もない。
落ち窪んだ目が、小屋を入る化け物を、俺を捉える。
圧倒的な死の気配がする少女だ。今はまだ生きていても、もう明日にでも死ぬかもしれない。
だから、俺を見たショックで死んでも、おかしくとも何ともない。
だというのに、俺は。
その少女と目があって、俺は、愕然としている。驚いているのは、こちらの方だ。
恐怖している、と言った方がいいのかもしれない。
曖昧模糊とした意識が、その瞬間、衝撃で急激に鮮明なものになる。
「……ブレ、イク」
その死にかけた少女も、俺を見て驚いたように、俺の名を、呼ぶ。そう、俺の名を。
「ああ、あ」
そして、俺もそれに答える。
死にかけの少女に、変わり果ててはいるが、どこかに面影を残している少女に。
「あー……しゃ」
俺の喉から、帰らずの森に入って以来初めて、意味のある言葉が発せられる。
「アルよ」
それに対して、死にかけの少女が答える。
「私は、アル」




