物語の終わり(1)
モンスターからの素材を売り払った金を山分けにして、俺達はマトとダイと別れた。
その後の行動は早い。
進撃を買い戻したら、そのまま来た時のようにアーシャを抱えて走って村まで戻る。
その日の昼には村に戻り、バクルに報告をしていた。
報告が終わり、その日の夜、俺はアーシャとアルの小屋に行く。
「あっ、ブレイクー」
随分久々に見た気がするアルが、俺の姿を見た途端とことこと走り寄ってくる。
「お土産はー?」
「えっ、アーシャからなかったのか?」
あれだけ金があるんだし、俺が進撃を買い戻している間に何か買っていると思っていたのに。
「ないよー」
「全部、あたしの取り分はバクルに渡したから」
食事の準備を終えたアーシャも歩いてくる。
「えっ、嘘だろ、俺も自分の持ってる金、バクルに渡したんだけど」
寝食を必要とせず魔力さえ供給されれば存在できる俺より、村のために使われる方がいいだろう、と思って渡した金だ。
実際、あったところで、俺ではその金を何に使ったらいいか分からない。
「ねえ、ブレイク」
食事をしながら、アーシャは俺に声をかける。
「ん?」
「あなたの元いた世界って、とても、素晴らしい場所だったのでしょうね」
「そーだよ、だって絵が動くんだよ」
口に物を詰めたまま、アルが喋る。すごいテンションだ。
「いや、そんなことはないよ」
あそこにいる俺は、何でもなかった。
つまらない物語だ。
「ううん、ブレイクの、マトとダイへの接し方を見て、思ったの。あっさりと首輪を外させたのだって、そう」
奇妙なことに、アーシャの語り口は好ましいものを語るというよりも、痛ましいものを語るものだった。
「あたしじゃあ、あんな風にできない」
「ああ、それは、単に、俺のいた世界、俺のいた国じゃあ、奴隷がいなかったから、それだけだよ」
返答に困り、とりあえず俺はそう返す。
「そう、そうね。きっとそう」
まだ、アーシャの目には憂いが残っている。
それが、何を表しているのか、分からない。
「ねえ、ブレイク」
「ん?」
「あなたがもし、この世界で何か失敗をしても、それはあなたの責任じゃない、そうでしょ? あなたをこの世界に召喚した魔術師の責任よ」
「あ、ああ。そう、だな」
その言葉の強さに、俺は少し怯む。
「あなたは、その魔術師を、その魔術師に召喚をさせた連中を、憎んで恨むべきよ。そうでしょ? 全部、全部そいつらが悪いんだから」
「あ、ああ。でも」
俺は、やはり納得できず、反論する。
まるで、俺が絶対に失敗するような言い方だし、それに。
「俺は、魔術師とか、そいつに召喚をさせた奴らを、恨んでないよ。感謝さえしてるんだ、この世界で、ブレイクになれて」
「いずれ」
不意に、アーシャの目が遠くを見るようになる。その目は、暗黒の穴のようだ。
「いずれ、あなたの思いも変わるわ」
そして、アルは。
そんな俺達を、不思議そうな目で、ずっと見ている。
数日は、平和に過ぎた。
なかなかの額がバクルの元に転がり込んだはずだが、だからといってバクルは何か派手に金を使おうとすることもなかった。目立ってしまうからだろう。
少しずつ、少しずつ使っていくつもりのようだった。
そう、国から逃れた者たちの村が求めるものは、ただ単に平穏だけだったのだろう。
だがそれでも、災いはやってくる。
「……アーシャ、ちょっといいか」
それは、俺とアーシャ、アルが昼食中に、ジョージがやってきたことから始まる。
ジョージは、異様な状態だった。
いつも怯えている彼の目は見開かれ、顔は白く、体は震えている。
だというのに、その姿勢、声、態度は落ち着き払ったものだった。ジョージとは思えないほどに。
まるで、死を覚悟した聖人のようだ。
「ジョージ」
そのジョージの様子を見たアーシャもまた、奇妙な表情をする。
驚いたような、諦めているような、いや、それとも、少し、喜んでいるようにさえ見える。
「来たのね」
「ああ」
「バクルには?」
「これからだ。一緒に来てくれるか?」
「ええ」
「ブレイクは――」
「ジョージ」
顔をこちらに向けるジョージを、アーシャが止める。
「ブレイクさんは……」
「ああ、そうだ、そうだな。バクルには、俺からも言うよ」
「悪いわね」
「いや……」
頭を振るジョージに俺は思わず詰め寄る。
なんだ、何が起きている?
「おい、どうしたっていうんだよ」
「ああ、ブレイクさん、いや、ちょっとトラブルです。すぐに、片付きます」
そう言って笑いながらも脂汗を流すジョージの態度は、明らかに異常だ。
「いや、おい……」
さらに突っ込もうとしたところで、
「バクルのところに行くわ。アルをお願い」
そう言って、アーシャがジョージと共に小屋を出ていく。
「……何だってんだ、おい」
困惑して、傍らのアルに顔を向ける。
「わかんない」
きょとん、としているアル。
それは、俺も同じ感想だ。
そうして、不安なまま待ち続けること、一時間程度。
小屋に訪ねてきたのは、バクルだった。
「この村を、出て行ってくれ」
それは予想外の、そして意味のよく分からない言葉だった。
「済まないが、契約も解消だ。運が良ければ、他の魔術師に契約してもらうこともできるだろう」
「ちょっと待てよ、そんな――」
「勝手な話だな。魔術師サイドがこんなことを言うことはない。何故か分かるか? その時点で、ウォードッグにとってその魔術師とそれにまつわる連中に価値がなくなってしまうからだ。つまり、殺される」
巌のような目と表情で、バクルは語る。
「いいぞ、わしらを殺しても」
「何を、何を、言ってるんだよ」
俺は、混乱する。
なんだ、これ、これ、俺の物語、なんじゃあ。
「いいから、この村から去れ」
「おとうさん、ブレイクをいじめないでよ!」
横から、アルが割って入ってくる。
お父、さん?
「おい、どういうことだよ、バクル」
「行け、さっさと行け。わしが愚かだった。だが、分かっていても、何も手を打たないわけにはいかなかった、が」
ゆるゆると首を振るバクルの顔が、一気に老けたように見える。
「外道はわしだけで十分。娘たちの望みが、わしの望みと違うのなら、いや、違うのは分かっていたが、それでも、だが、もう無駄か」
ああ、とバクルは神に祈るように顔を天に向ける。
「呪われるべきはわしだ。わしは愚かすぎた、が」
ほう、と息を吐き、バクルの顔は元の岩のごとく固く強く冷たいものに戻る。
「ともかく、出ていけ。そうだ、サイなら分かるな? サイまで行き、そこで王都までの道のりを聞くがいい。王城にいる魔術師に会えば、契約をしてもらえるかもしれん」
淡々と話すバクルに、俺は唖然とする。
どうなってる、一体?
「お父さん、ブレイク、行っちゃうの?」
アルがうるんだ瞳でバクルを見上げる。
「……ああ。アル」
そうしてバクルはアルの顔の高さまで屈みこむと、耳元に何やら囁く。
「……うん、分かった」
不思議そうにしながらも、アルはそれを聞いて頷く。
「では、悪いが、ブレイク。この村を出て行ってくれるか、今、すぐに」
「そんな勝手な。大体、あんた一人にいきなりそんなこと言われたって」
そこで言葉が止まる。
バクルの背後のドアが開いている。
そして、外には。
アーシャが、マイクが、ジョージが、ジェシカが、あの不機嫌そうな老人が、その老妻が、村の住人全員が、立っていた。
「この村の、総意だ。ブレイク、出て行ってくれ」
その言葉は、俺を打ち砕いた。
「契約者として、命令するわ、ブレイク」
そして、アーシャが一歩足を踏み出してくる。
「この村から、出て行って」
その言葉が、契約としての力を持っていたのか。
この村から出て行こうとする力が、己の中に生まれる。
だが、そんな力、多分、意思の力で何とでもできる。それができないのは、要するに、俺の意思が、心の方が折れていたからだろう。
よく覚えていない。
ともかく、俺は。
気づけば、サイに、あの町に、進撃を片手に、茫然と歩いていた。
これから、どうすればいいのか。
何故か、俺とアーシャの契約を切られてはいない。それだけは感じていた。
だが、それも今のうちだけだろう。いつ、契約を無効にされてもおかしくはない。
どうして、こんなことに。
うまく言っていたんだ。オロチを狩って、祝杯を挙げて。
そうだ、この店だ。
この店で、即席パーティーの結成を宣言して。いや、違う。あれは、アーシャに取られたんだったか。
俺は、考えがまとまらず、どうしてそうしているのかも分からないまま、その酒場に入る。
腰を下ろして、ほとんど無意識に飲み物を頼む。
そうして、頭を抱える。
何が起きたのか、意味が、分からない。
俺の物語、こんなはずじゃあ。
今から、戻るか? 戻って、真意を聞き出すか?
ダメだ、できない。あの村人全員の、閉ざされた視線。逃げ出すしか、できなかった。
俺はどうすれば。
「バクルか、懐かしい名前だな」
その噂話が、俺の耳に入ったのは、おそらく偶然ではない。きっと、無意識のうちに強化した聴覚で、何か、今自分がすがれるものを、何か関係のあるものを探していたのだろう。
その名前が耳に入り、俺は思わず顔を上げ、集中する。
「懐かしい名前だな。で、あの貴族様、見つかったのか?」
話しているのは、もう中年に差し掛かる二人の男だった。
どうやら、酒の肴として世間話をしているらしい。
「おう、村を作ってたんだとよ、森の中に」
「はああー、貴族様はスケールが違うね、全く」
「気の毒なもんだよ、実際。やり手としてこの国でも名を売っていたのに、娘に魔術師の才能が現れるなんてな」
「アーシャだっけ? バクルは、娘を国のお抱え魔術師にするのを拒否して逃げ出したんだよな」
「そりゃそうだ。実際、どこの親が娘が人間兵器にされるのを是とするんだよ。それに、そうでなくても王城にはあいつがいるだろ」
「ああ、ゴールか。あの金ぴか野郎」
「もし娘が二人のお抱え魔術師になったら、間違いなくゴールに狙われるぜ。あいつ、ただ一人のお抱え魔術師って立場を利用して偉ぶってるんだからよ」
「けど、国の意向に従わない魔術師もそれはそれで敵として処分されるわけだろ。アーシャって娘が魔術師の才能を持ってた時点で、詰みみたいなもんだよな、バクルには」
かわされる、噂話は。
どこまでも、俺の知っている人々とリンクしていく。
「で、その村が見つかったんだって?」
「そうそう。何でも、バクルと娘だけじゃなくて、庭師だの警備兵だの使用人だの、そういう奴らも一緒に村に引っ越してたらしい」
「物好きな奴らだなあ。まあ、あそこの姉妹は愛らしいので有名だったからな、屋敷の全員から自分の娘のように可愛がられていたとか」
「でも、それもおしまいだな。ゴールの奴が今頃兵士を引き付れて村に向かって――」
畜生。
俺は、そこで酒場を飛び出していた。
そうして、全力で、駆ける。
他人の目など気にせずに。ただ、走り続ける。
自分でも、驚くほどの速度で、驚くほどの短時間で。
俺は、村に舞い戻っていた。
村の中央には、村の住人が集まっている。
先頭にはバクルが。
そして、それと相対するようにしている数十人の兵。全員が一様に、同じ造りの革の鎧を装備している。
その兵を率いているのは、一人の長髪の男だった。金と銀に輝くローブをまとった、顔色の悪い男。
その誰もが、突如として、風のように現れた俺に驚愕の顔を向けている。
「そんな、どうして、来ては駄目っ」
初めに叫んだのはアーシャ。
「馬鹿が」
あの口の悪い無愛想な老人が、呟く。
そして、長髪の男が、俺を濁った眼で見据えて、
「アーシャのウォードッグか」
「ブレイクだ。お前が、ゴールだな。国お抱えの」
「知っているのか」
「ついさっきな」
「ふん」
それきり、興味をなくしたとばかりにゴールは俺からバクルに顔を向ける。
「老いたな、バクル」
「お前は相変わらずだ、ゴール。魔術師は、ウォードッグと同じく不老不死に近い存在だったな」
その言葉に驚く。
そう、なのか? そんなこと、一言も。
だが、考えてみれば、魔力は全ての生命の源であるから、だからウォードッグは不老不死に近いと説明は受けた。だとしたら、その魔力を操れる魔術師が不老不死でないわけがない、か。
「娘を引き渡せ。自由に動ける魔術師など国は認めない。我が国のために魔術を極めろ。これは畏れ多くも国王陛下直々のご命令だ」
「何が畏れ多くも、だ。ゴール、お前がその命令を出させたのだろうが」
この状況でも、バクルは揺らがない。
「ふん。どうしても引き渡さないつもりか、娘を」
「当然だ」
その言葉に、ゴールの後ろにいる兵達が、にやにやと笑う。
弱者を嘲る笑み。
「だったら、ここで全員死ぬことになるが……一つ教えてくれ」
「何だ?」
「そこにいるウォードッグだ。ブレイクとか言ったか。こいつ、どうして今まで離れていた? お前が、こうなることを予期して準備していたんじゃないのか?」
「さあな」
「ふん、まあ、いい。本当にやるつもりらしいな」
見れば、村人は全員、思い思いの武器を手にしていた。
マイクは斧を構えているし、ジョージは震えながらも剣を手にしている。ジェシカでさえ、木の棒を持っている。
「ブレイク、命令だ。この場から去れ」
この期に及んで、まだバクルは奇妙なことを言う。
「おい、何を馬鹿な――」
「ブレイクさん、すいません、今更ですけど、でも、逃げてください」
震えながら言うのはジョージだ。
こんな、聞けるわけがない、そんな話。
「身勝手だけど、ブレイク」
アーシャが、弓を構えたままで、俺を向く。
「ごめんなさい、あなたを巻き込みたくないの、もう。ここで、あたしたちは全員死に絶える。それで、いいの。もっと早く、そうすべきだった」
「訳が分からないことを言うな」
そう反論して、俺は怒っていることに気づく。
そう、俺は怒っていた。
腹が立って仕方なかった。
「巻き込まれてるんじゃあない。これは、俺がしたいからしてるだけだ。俺は、ブレイクだ。最強のウォードッグの、ブレイクなんだ」
叫ぶように言って、ゴールに向き直る。
「俺の物語だ。いいか、この村は、俺が守る」
「それはつまり、俺と敵対すると?」
「そうだっ」
俺が叫んだ途端、ゴールが腕を挙げる。
それはおそらく合図。
同時に、兵たちがあるものは弓矢を射て、あるものは剣を抜いて突進する。
俺に向けて、ではない。
俺以外の、村の住人に向けて。
だから、どうした。
「しっ」
俺が、進撃を振り回した、その瞬間。
「なっ」
「えっ」
「ひぃ」
兵のだれもが、驚愕の、あるいは恐怖の叫びをあげる。
そして、叫びは、俺の背中からも、村人の方からも聞こえる。
「凄い……っ」
感嘆の叫び。
ジョージかもしれない。
俺の一撃は、ことごとく、抜かれていた兵士の剣を砕き、射られていた矢を切り落としていた。
「こっ、こんな――」
兵士の一人が、呻く。
嘲笑は消え去り、怯えがその顔に深く刻まれている。
「だああああああ!」
そうして、今度は、全力で剣で空間を殴りつけるようにして横薙ぎに振るう。
衝撃波。
だが、切断するように鋭いものではない。
打ちのめすような、鈍く、広範囲なもの。それが、ゴール達に向かって向かっていく。
そして、その衝撃派は、兵士達をなぎ倒していく。
「ぐっ」
「があっ」
誰もが宙を舞い、地面に打ち付けられ、そして大半はそのまま気を失う。
意識のある半数も、
「ひっ、ひいぃっ」
完全に戦意を喪失し、手足をばたつかせて逃げようとする。
そして、その場に立っているのは、俺の背中側にいる、村の住人達と、
「殺さないのか」
少し、残念そうに呟くゴール。
そして、ゴールの前に立って、さっきの衝撃波からゴールを守った一人の兵だけだ。
あいつは、そういうことか。
いや、当たり前の話だ。相手が魔術師なら、ウォードッグがいても、おかしくない。
「さて、どんなものかな。やってみるがいい、兵士長」
ゴールの言葉に、
「そうしましょうかねえ」
粗末な剣を片手に、その体格のいい男は前に出る。
「俺の名前は、ロック。ヴィエヌの兵士長をやっている。ウォードッグだ、よろしくな」
その言葉と共に、ロックは気負いもなく距離を詰めてくる。




