はぐれ討伐(2)
一瞬、オロチの体が縮んだように見える。
「まずっ」
次の瞬間、体を爆発させるようにしてオロチの体が伸びて、その口が俺に向かってくる。その速度はさっきまでの比ではない。
「うっ、おお、危ない」
ゲーム内でオロチが噛みつきをしてくる準備動作を見たことがあるから、そして先読みして跳べたからこそ、なんとかかわすことができた。
おそらく、瞬間的ではあるが、あの噛みつき攻撃は俺の速度を超えていた。厄介なことだ。別にもろに食らわなくても、かすっただけで毒で致命傷になるのだから。
「おっと」
見れば、おれの後ろにあった大木がオロチの牙を受けていた。
オロチはゆっくりと、大木の幹から口を離して俺を向く。
大木が、みるみるうちに枯れて、溶けて、朽ちていく。
「怖い怖い」
「ふっ」
と、早くも戦線復帰したダイが、オロチに斧を叩きつける。
「ぐる」
オロチの目がダイを向き、また体が、正確には首回りが縮む。
「くるぞ、ダイっ!」
俺の叫びに反応してダイが斧で鎧の隙間を隠すようにして全身の守りを固める。
そこに、オロチの噛みつき。
「ぬぐ」
さすがに一撃で重装の鎧を貫くことはできなかったようで、ダイは牙に刺されることなく、弾き飛ばされる。
だが、その鎧にはもうひびが入っていて、次でおそらく砕けるだろう。おまけに、毒が付着したのか、既に少しずつ腐食し始めている。
「隙ありだ」
オロチの目が俺から逸れた隙を狙い、俺は手近な場所にあった石を握って、それをオロチに向かって叩きつける。大したダメージはないものの、オロチはイラついたらしくダイから俺に顔を向ける。
「るる」
また、噛みつき。
「うおっ」
また、何とかぎりぎりでかわす。
矢。
噛みつき終わったタイミングで、オロチの目を狙ったらしき弓矢の乱射。
「ぐる」
同じように首を振るオロチ。
学習能力のない奴だ。
繰り返した。
まるで、同じ、繰り返し。
その隙に、猛烈な勢いで走り寄ってきていたマトがその勢いのまま一足とびにオロチの喉を駆け上がる。
首を駆け上がり、マトが、目を潰す。
いや、潰そうとする、その瞬間。
俺の目には、にやり、とオロチが笑ったように見える。
もちろん、そんなわけはない。蛇は嗤わないというのに。
噛みつきの直前のように、オロチの体が縮む。
「あっ」
首を駆け上がっていたマトは、その首が縮みたわんだことで、一時的にバランスを崩す。もちろん、すぐに立て直す、が。
「るるる」
その僅かばかりの間の時間に、オロチは首を振り回す。
「うわっ」
マトが振り落とされる。
そして、その落下地点に向けて、
「るあ」
オロチの口が、牙が向かう。
「こっ――」
瞬間、俺は何も考えていなかった。
村のこともウォードッグのこともオロチのことも奴隷のことも実力を隠さなきゃいけないことも。
ただ、ひとつだけ。
届いてくれ。
それだけが心を占める。
「――のっ!」
そして、気づいた時には、胸にマトを抱きかかえたまま宙を舞っていた。
「え、ごじゅ、じんさま?」
ぽかん、とするマト。
「るる」
噛みつき損ねたオロチは唸って、空中にいる俺に照準を定める。
まずい。
「――たあっ!」
だが、次の瞬間、俺の予想もしないことが起きる。
マトだ。
マトが、俺の胸を蹴るようにして、跳ぶ。
「うおっ」
それによって俺とマトの落ちる軌道が変わり、またもやぎりぎりでオロチの牙を避けることができる。
そして。
「今度こそっ」
跳んだマトは、噛みつきが不発に終わったオロチの鼻先に降り立つ。
そして、ナイフが一閃。
「ぐある」
再び目を潰される、オロチ。
うなり、体を振り回す。
「――うっ」
マトが、地面に墜落する。それを受け止めるのは、俺だ。
「あ、ご主人様っ」
「助かったぜ、マト」
そうして、その俺達を、オロチが単眼で睨み殺さんばかりに凝視する。
「怒ってるな」
俺は呟き、マトを抱いたまま逃げるのではなく、逆にオロチの懐に入り込むようにする。
「ぐる」
懐に入ってオロチの死角に回るように動きまわる俺達に、オロチは血走った眼を向ける。
怒り狂っている。
いいぞ、それでいい。
矢。
そして、斧がオロチに投げつけられる。
「ぐるあああ」
ダメージはなかったようだが、今のオロチにそれは火に油を注ぐようなもの。
更に怒り狂ったオロチはふざけたマネをした奴ら、つまりアーシャとダイを探すが、うまく隠れている。
いいぞ。
その調子だ。
「おい、大蛇」
そうして、俺は足を止めた。
オロチの懐で、足を止めて、呼びかける。
ぐるり、と機械仕掛けのようにオロチが俺と俺に抱かれたマトを向く。
「ぐぐる」
瞬時に首が縮む。
来る。
「ぐるあがああ」
奇妙な叫び声と共に、オロチがこれまででも最速で噛みつき攻撃をしてくる。
だが、速いだけで、その攻撃は怒りゆえに単純で荒い。
だから、マトを抱いたままでも、かわせる。
そして、そのオロチの牙が、かわした俺達の代わりに、俺達の後ろにあったものに突き刺さる。
つまり。
「成功、だな」
呟く。
つまり、オロチ自身の尾に。
オロチの毒はゲーム内でも唯一無二の、いわばユニークスキルとしての毒だ。通常の毒とは全く違う。それは、どんな毒耐性があろうが、問答無用に蝕む最強の毒。
だからこそ、この毒に、実はオロチ自身も耐性を持っていないというのは笑い話だ。
ゲーム内での設定では、オロチの毒を防ぐことができるのはオロチの体内にある毒袋だけで、それゆえにもしもその毒袋が破れて毒が溢れてしまったらオロチ自身が、自らの毒によって、自己再生を超える猛毒によって、死んでしまう。
もっとも、その毒袋はとても小さく、オロチの体内に収納されているから、それを狙って潰すのはほぼ不可能だが。
ゲーム内の設定では、そんな感じだ。
そして、あるプレイヤーが、その設定を元に、ある仮説を考え付いた。
毒袋を狙う必要はない。オロチの噛みつきは範囲攻撃だし、オロチの体は長く大きい。それなら、オロチ自身の牙を、オロチの体に突き立てさせればいいんじゃないか?
その仮説は実践され、そして効果があることが証明された。
かなりの難易度だが、それを行えば、こちらのレベルは関係なく、あの厄介な上級モンスター、オロチを倒せると分かったのだ。
これが、こちらの世界でも通用するのか、それだけが疑問だった。
だが、マトの話では、確かにオロチの体内奥深くには毒袋があったし、その毒袋から出た毒液はオロチ自身の肉を蝕み溶かしたという。
なら、いける。
いけるはずだ。
それが、俺の作戦だった。
「ぐ、る」
己の尾に牙を食い込ませたオロチは、ゆっくりとその牙を尾から離し、俺達に向き直る。
「マト」
俺は抱き上げていたマトを地面に降ろす。
「どうやら、作戦は成功だ」
潰されていた、オロチの片目。その再生が、止まっていた。
「ぐるじお」
オロチが唸りながら、体をのたうちまわらせながら、こちらに迫る。
「おっと」
もう、簡単にかわせる。
マトも何でもないようにかわす。
かわしながらナイフで一撃。鱗が、ぼろぼろとあっけなく落ちる。
アーシャの矢。
ダイの斧。
それを受けて、オロチの体がぼろぼろと崩れていく。
ナイフ。矢、斧。斧。矢。矢。斧。矢。ナイフ。
もう、ここまでくれば一方的だ。
やがて、オロチは動きを止める。
どう、と、音をたてて、オロチは地に伏せた。
「やっ……た?」
倒れ、動かなくなったオロチを前に、マトは勝利の喜びではなく、信じられないのか目を丸く茫然としている。
「ああ」
俺は、ようやく一息つく。
「終わったな、ようやく」
終わったのだ。
これで、厄介ごとが。
毒に蝕まれているとはいえ、オロチの肉は固い。その上、その血肉にも毒が混じっているはずだから、慎重に解体しなければいけない。
「あっ、ご、ご主人様、ナイフ、ダメになっちゃいました」
とマトが申し訳なさそうに言うのが数回。
その度に、アーシャが用意していた予備のナイフに切り替えて。
オロチの牙と毒袋を採取し終わる頃には、日も暮れていたから、その素材を抱えて俺達はキャンプにまで戻る。
また、四人でたき火を囲う。
「すごいですっ、ご主人様、これで、村一つが一年は暮らせますよっ」
目をキラキラとさせるマト。やはり、ハンターだけあってこういうのが好きらしい。
「これで、質屋に入れたあれを買い戻せるな」
俺がアーシャに笑いながら言うと、
「それでも大分お釣りがくるわ」
「余ったのは、どうするかな? 村に配って――」
と、そこまで、言って、マトとダイにした約束を思いだす。
「そうだ、マト、ダイ」
「えっ、なんです、ご主人様っ?」
「ぐう?」
きょとんとこちらを向く二人に、
「首輪。もう、外せるだろ」
「あっ――」
その言葉に、マトとダイは顔を見合わせる。
まずは、おずおずとマトが首輪に手を伸ばす。
軽く首輪に手をかけてひっぱると、首輪はあっけなく、ぱきりと音を立てて外れる。
それを見てから、ぽかんとした顔のままダイも自らの首輪に手を伸ばす。
同じく、首輪が外れる。
「首輪が――」
マトと、
「は、外れた」
ダイが、信じられないというように再び顔を見合す。
「これで二人とも、もう奴隷じゃないわけだ」
俺が言うと、耳元にアーシャが口を寄せて、
「本当にいいの?」
どうやら、アーシャとしては心配なようだった。
「ああ、問題ないだろ」
俺は軽く答える。
だって、元々、実質的には俺達は主人と奴隷なんかじゃなかった。オロチを倒すために協力したパーティーだったんだ。
「明日、村まで行こう。オロチの毒袋と牙、それから他の素材も売って、金を返して、余った金は四人で山分け。それでどうだ?」
「え、じょ、冗談ですよね?」
訳が分からない、とばかりにマトが目をくるくる回す。
「金持ちになる。奴隷じゃない、どころか」
まるで、俺がそうするのがいけないことのように、ダイがゆっくりと俺に説明する。
「俺と、マトが、金持ちになります」
「いいじゃんか、別に」
俺は軽く返す。
奴隷じゃなくなったとしても、アーシャの口ぶりだと獣人の社会的地位はこの国では低いらしい。なら、ある程度金を持っていないと、またすぐに奴隷に戻ってしまうかもしれない。
人を自由にする、責任みたいなものも感じる。
妥当なところだ。
「ごっ、ご主人様っ、マトは、マトは――」
そこまで言って、言葉にならないのようにマトは泣き出す。
「もうご主人様はいいよ、奴隷でもないし」
「いや、俺達にとって、あんたは、ご主人様だ」
ダイも何か感じ入ることがあったようで、一言一言、絞り出すようにそう言う。
「よかったわね、ファンができて」
アーシャはどこか浮かない顔だ。
「妬いているのか?」
冗談めかして俺が言うと、
「はいはい」
と呆れながらアーシャがでこぴんをしてくる。
「まあ、これはこれでいいわ。うん」
どこか遠い目をして、アーシャは自分に言い聞かせるようにする。
「そうだ、ご主人様」
ダイが、のっそりとした動きで、懐から何かを取り出す。
それは、どう見ても酒瓶だった。
「あれ、ダイ、それ」
「酒が好きなんです、俺。盗賊のキャンプ跡に、落ちてたから」
くすねてきたのかよ、目ざとい奴だ。
「あっ、コップならちゃんとありますよっ」
マトがぱたぱたと走りまわる。
すぐに、たき火を囲んだ俺達四人の手には、酒の入ったコップが握られているようになる。
「じゃあ……」
音頭を取ろうと、俺はコップを高々と上げる。
「マトとダイの、これからの幸運を祈って」
俺がそう言うと、
「そうね。マトとダイに」
アーシャもコップを上げる。
「いえいえっ、ご主人様とアーシャさんに」
大きな声で、耳を揺らしながらマトがコップを上げる。
「ご主人様と、アーシャさんに」
最後に、ダイもコップを上げた。
こうして、最後は酒盛りで、オロチの討伐は幕を閉じた。




