64.お師匠の嘘、僕の嘘
ことの始まりは、朝のこと。
ついつい、夜更かしして寝過ごしてしまって、日はすでに高いところから落ちる頃合。びっくりするほどの空腹は、今が朝ではなく、そして昼すらも通り越したと教えてくれる。
けれど一番の『異変』は、残念ながらそれじゃなくて。
「きゃああ!」
何やら高い悲鳴。
僕の上にあった重みが無くなる。
何事かと身体を起こしたら。
「だ、だれですかっ」
瞳を潤ませるお師匠――に酷似した女性がいた。お師匠の寝巻きを着た、同じような薄緑色の髪と瞳の、色白の、少し身体の起伏が乏しいように見受けられる、僕より年上の女性。
彼女は部屋の隅にうずくまって、僕を見ていた。
怯えて、いた。
「え、あの……ど、どちらさま?」
「……」
彼女は答えない。
えっと、これはどういうことなんだろう。まさか、僕は気づかないうちに夢遊病的な何かを患ってしまって、このお師匠にそっくりな女性によからぬ行為をしてしまったのか。
ど、どうしよう。
お師匠にこんなことが知られたら、僕は確実に軽蔑される。いや、それどころかここからたたき出されてしまう。まだまだ一人で生きていける力なんてないのに、そんな。
「……ふふ、んふふふふ」
どうしようどうしよう、と文字通り頭を抱えていると、件の女性が笑い出した。
実に、聞いたことのありまくる、声で。
ゆらりと女性の姿が溶ける。
その向こう側でふわふわと浮いているのは、手のひらサイズのお師匠だ。その笑みに、僕が自分が騙されたことを、からかわれたことを悟った。たぶん、魔法を使ったのだろう。
「どうだった? セラの『変身魔法』は」
妖精種の十八番――といっていいのかわからないけど、妖精としてのすがたからヒトの姿になる仕組みを応用し、お師匠は身体をさらに大きくしてみたとのこと。
普段はぐっと疲れるので、やらないそうだ。
どうやら僕は、お師匠とっておきのイタズラを仕掛けてもらえたらしい。
「ふっふっふ、我ながら最高の演技だったと思うんだよ、弟子くん。弟子くんは普段、あんまり表情が変わらないからさ、驚いたり青くなったりするのは見ていて面白かったの」
「……そうですか」
「ほら、前に弟子くんの故郷では『嘘をついていい日』があるときいたからね、とりあえず今日がその日ってことにしたの。他にも考えたけど、これが一番おもしろそうだったんだよ」
「……そうですか」
そういえばそんな話を、前にしましたっけ。
祝日のようなものの有無を尋ねた時に、エイプリルフールを話題にしましたっけ。かなりいい食いつきっぷりを見せてましたよね、そういえば。あの日から狙ってたんですねどうやら。
「さぁ、弟子くんも嘘を付いていいよ!」
「……お師匠、嫌いです」
「え」
「あと嘘を付いていいのは午前中だけらしいですよ。今は午後ですが、まぁ、それは真偽が分からない話なので、信じるも信じないもお師匠の自由ってことで、僕は散歩にいきますね」
「え、あの」
唖然としたお師匠を一人残して、僕は家の外へ。
おなかが空いていたので、果物を一つ籠からくすねて出て行った。
数時間はぶらぶらと森の中を、当てもなく歩いたり、立ち止まったり。すぐに帰るのはなんだか癪だったので、夕暮れで空が赤く色づくまで森の中にいた。
……決して迷子ではない、はずだ。
ちゃんと家に帰りつけたのだから違う。
家に帰るとお師匠が、ひたすら謝ってきたので……まぁ、許すことにした。そもそも、お師匠がそんな楽しそうなイベントに、食いつかないわけが無いことを失念したのも悪いだろう。
そんなこんなで、勝手に決められた『嘘の日』は、終わった。
この日、僕がどんな嘘をついたのかは――そもそも嘘をついたのかは秘密である。