59.せらさまがしっているさいていのぷろぽーず
「開放――一から百まで」
お師匠の周りに、本が浮かんでいた。それも、無数に。何冊もの本が、半透明で重なり合いながらふわふわと浮かんでいる。お師匠の指先が本のページに触れ、赤く文字が浮かんだ。
「言霊――炎、空気――収束」
直後、ファリの足元から、先ほどのように火柱が上がる。天井を舐り、焦がした。お師匠は別の本をなぞり、赤い文字を浮かばせる。もう、何もつぶやいたりはしない。
なぞる、出現させる。それを、淡々と繰り返していく。
それを何度か繰り返し、気づくと攻防が逆になっていたところで。
「あぁ、そうかそうか……くくくっ、あはははははっ」
ファリは氷の壁を出現させ攻撃を防ぎ、その向こうで――楽しげに笑っていた。
一瞬、壊れてしまったのかと僕は思ったけれど、どうやら違う。
「ヴィルドース! あのヴィルドース血統っ。偉大な《一番目》と同じ、あの己の力だけで魔法式を構築する、あの血統! そうか、森の魔女。お前もあのヒトと同じ血を受け継ぐか!」
「……だったらどーするのかな、ニルヴェルヘーナの魔女」
「ボクの子供を産んで。大事にしてあげる、アタマが狂うぐらいにね」
「断固拒否。セラ的には、そういう口説き文句って、万死に値すると思うんだよ」
いや、それ以前にあなたは女性なんじゃ、という僕のつっこみはどこに入れるべきか。思わず二人を交互に見ると、ファリが僕を見てにやりと笑うのが見えた。
思い出す。一門の里を出た『ファリ』は、みんな一番目の彼女の姿をとると。つまり今、僕らの目の前にいる彼女は、もしかしたら本当は『彼』かもしれない、ということだ。
いや、子供を産んでくれというからには、あのファリは『彼』なのだろう。
しかし、この状況でそんな発言が出てくるなんて、お師匠――いや、お師匠が受け継いだというヴィルドースという血統は、彼らにとってとてつもなく重要だったりするらしい。
けれど、お師匠は首を横に振って言う。
「違うよ弟子くん……血統じゃない。ただ、オリジナルのファリと同じだから。たったそれだけの理由で欲しがる。それが彼らという集団なんだよ。セラ個人は、どうでもいいんだ」
ニルヴェルヘーナ一門に属するものは、みんながみんな、あの一番目のファリ・ニルヴェルヘーナの狂信者。彼女に憧れ、彼女に恋し、彼女を求め、その姿、力を何よりも求める。
しかし、ニルヴェルヘーナ一門に欠けていたのは、彼女が受け継いだ才能だった。
ヴィルドース血統、という、体内等にある魔力のみで魔法式を作り出す、僕からするとまさに魔法といった特殊能力を持つ血筋だけが、どうしてもあの一門には存在しなかった。
世界中に何番目かの《ファリ》を向かわせて、めぼしい魔法師や魔女と関係を持って。にもかかわらず決して得られなかった、一番目が数多を焼き払ったという逸話の原因を。
いかなる一門と一族があろうとも、あの血統を受け継ぎ、なおかつ力を目覚めさせているようなところは一つとしてない。ある日突然現れて、そして消えていく特殊能力。
そう、それはある意味で――突然変異。
ニルヴェルヘーナ一門が近親同士での『交配』すら厭わないのは、自分たちの血を濃くすればそれだけ変異する確率が上がると思っているからなのか。
「だから欲しい。そーでしょ? 別のファリにも、そういって口説かれたもの。まぁ、あのファリは女性だったから、『弟』はどうだいって言われただけだったけど……半年ぐらい毎日」
腹が立ったら燃やしてやった、と普段は見せない顔つきで締めくくる。
相当に頭に来たらしい。
……まぁ、自分ではなく、自分が受け継ぐ血統にだけ価値を見出されたなら、それくらいしても仕方が無いのかもしれない。少なくとも、いい気分になることは、ありえないだろう。
「セラはこの力が大嫌い。疲れるし使い道はないし、何よりてーそーが危ないもの。ニルヴェルヘーナに狙われて、男だったらよかったのにって家族に言われる気持ち、わかる?」
男だったらまだよかったと。襲われてもそう傷つきはしないと。女に生まれてしまったばっかりに、常にかの一族に身体――いや胎を狙われ続けるのだと、言われ続け。
「だから――お前ら、大っきらいなんだ」
お師匠の指先が本に触れ、次々と赤を生む。
ファリも負けずに、触媒らしきものを次々と取り出しては、魔法式を作り上げる。それにより赤い文字は消えていくけど、それ以上に増える。浮かんで一つになって、大きくなって。
嘘だろ、と誰かがつぶやく声がした。
僕じゃない、お師匠でもない――ファリの口から飛び出した声だ。
けれどファリの唇からこぼれた声は、明らかに『青年』の音をしている。あぁ、何だか僕の周りにいる同性って、そろいも揃って年上なんだろうか。そんなことをぼんやりと思う。
「言霊――破壊、破砕、拡散、消失、滅却――収束」
言葉に合わせて赤い文字が躍る。文字なのはわかるのだけど、何と書いてあるのか読むことは出来ない。たぶん、古代語的なものなんだと思う。それがたくさん、浮かんでいる。
「ヴィルドース血統の力は、言霊を統べる古魔法の一種。体内にある魔力のみで、魔法式を構築して解き放つ。問題は個人が保有する魔力には限りがあって、それが尽きれば終わりだ」
そう、通常の魔法式でさえ魔力を使う。魔力が尽きれば、触媒があっても何も出来ない。僕には経験がないけれど、枯渇すると指先一つ動かせないどころか、死ぬ場合もあるとか。
それをメインに使うのは、かなり危険な行為だと言える。
だけど、とお師匠はその唇に笑みをともした。
「妖精種はエルフ種と同じく、保有魔力が多めなんだよね」
お師匠は赤い文字を数え切れいないほど浮かばせ、魔法式をはじけさせた。爆発を中心にしたそれは、屋敷の壁などに大きな穴を開けて、かなり遠くから地響きのような音を発し。
白と黒に彩られた魔女は、跡形も無く消えていた。
「ったく、もっとマシな口説き文句を用意してほしいよねー」
「えぇ……まぁ、そうですね」
「セラはそんなにお安くないんだから。一番の人に、全部あげるんだもんね」
えへへ、とどうしてこの人は僕を見て笑っているんだろう。どうして手を握って、じっと僕を見上げているんだろう。どうして背伸びして、首の後ろに腕を回して、僕に顔を近づけて。
――その、直後だったと思う。
遠くからドラゴンの、咆哮というよりも慟哭が聞こえたのは。