55.ひきこもりの気まぐれ
「まったく、久しぶりに会ったと思ったら、このザマでやがりますか」
ずずず、と緑茶をすするように、カグヤさんは紅茶を飲む。
カップの持ち方が、完全に湯のみのそれだった。……この人、名前もそうだけど、格好や容姿までも、それとなく和風、もとい日本風だ。大正時代のお嬢さん、という感じだろうか。
長い黒髪は艶やかで、十二単など着せれば相当に似合うだろう。
足元は動きやすさを重視したのか、結構ゴツいブーツだった。蹴られたら痛そうだ。なのにどうして現在進行形で、そのブーツをお召しになった足に踏まれている彼は、笑顔なのか。
ちなみに原因は、彼――ゼロという名前のカグヤさんの使い魔が、さも当然のように身体を撫で繰り回しているからだ。セクハラというにしては、あまりにも堂々とした手つき。
見た目は銀髪に青い瞳で高身長という、女の子にモテそうな容姿なのだけど、僕の目の前で行われている行為は、もう最低とかいうレベルを余裕で突破している。
最初は無表情で行為をスルーしていたカグヤさんも、だんだん危ないところに迫ってきた手に思いっきり爪を立てた。そのまま強引に、己の身体から引き剥がす。
「……いい加減にしないと、麻酔ナシで去勢する上に契約を破棄するですよ」
「それは困るので、そろそろやめようか」
去勢と契約とやらの破棄、どっちが困るんだろうねー、とお師匠は軽く笑う。どうも、この二人のやり取りは、昔からのことらしい。お師匠はどこか、懐かしそうに二人を見ている。
場の空気だけはとても、とっても和やかだ。
けれど地下の一室、魔法式を用いた儀式を行ったりする小部屋には、今も意識が戻らないミーネさんが横たわっているし、この語らいも、いずれ作戦会議へと移る予定だった。
幸いにも、ミーネさんの容態は安定しているという。あの時、カグヤさんが使ったのは彼女所有の魔石だったそうだ。直接傷口に押し込んで、かなり強引に治療を施したらしい。
本当にタイミングが怖いくらいに良くて、お師匠なんか軽く腰を抜かしたとか。
……まぁ、僕なんて、意識を余裕でぶっ飛ばしたんだけど、安堵で。
それにしても、本当に怖いぐらいのタイミング。
すべては、ある日急にぺかん、と彼女の頭に浮かんだ気まぐれだった。
お師匠は彼女に手紙を送っていて、そこに僕のことを書いたらしい。異世界から引っ張り出したというか、やってきた弟子。それはだいぶ前だけど、彼女は最近急に思い出したそうだ。
「お前がニホンなる国の出身だと聞いて、コレはと思ったのを……思い出したのです。なぜならば我がヒメモリの家系も、異世界のニホンという国に住まう名家だったからなのですよ」
「そ、そうなんですか?」
「ヒメモリは、大昔にニホンという国から『こちら側』に来た家系なのです。あいにく、理由はわからないのですが。確か当時の年号はメージだったか、タイショーだった気がするです」
とどのつまり、とカグヤさんは僕を見る。
「わたしのご先祖は、お前と同郷ということになります」
なので興味が出たのです、と。そんな理由とちょっとした気まぐれで、普段は誰とも会おうとしないひきこもりという彼女は、あのタイミングでここにやってきたわけだった。
本当に、カグヤさんの『気まぐれ』がなかったら、そして彼女の家のあれやこれやがなかったりしたならばどうなっていたか。想像すると、ちょっと気分が地面にめり込みそうだ。
間違いなく、ミーネさんは今も危険な状態だっただろう。
「さて、これからどうするか、考えているですか?」
「これから、ですか」
それは、アウラを奪還などするか、このまま諦めるか……ということなんだろう。
僕とお師匠は、ミーネさんの回復を待って判断することにしている。彼女がどうしてもアウラを取り戻したいと思うなら、つまり彼のプロポーズを受けるつもりなら、協力する。
「では、わたしたちもその方向性にするです。腕がなるですよ」
カグヤさんは、奪還まで付き合ってくれるらしい。
さすがにお師匠と僕だけでは戦力的に不安だったので、とてもうれしい申し出だ。
「この程度は気にするなですよ、弟子殿」
カグヤさんはゼロさんに、二杯目の紅茶を注いでもらいつつ笑っている。
「乗りかかった船は途中下船不可なのです。あの手のクソビッチは、羽をもいでうろこを全摘出して、どこぞに晒しドラゴンにしてやりたいのです。見ているだけで吐き気がするですよ」
さっきから、カグヤさんの口からはびっくりするほどの罵詈雑言が飛び出す。その矛先はもっぱらあの赤いドレスの女性に向けられていて、語る口元には獰猛そうな笑みがあった。
……あのルシテアという女性の、どこが彼女にそう思わせているんだろう。
確かに、あまり親しくなりたいとは思わないけど。




