53.闇色の魔女
「アウラは?」
「んー、だいぶ参ってるねぇ」
そうですか、と僕はおかゆを作りながら、お師匠と会話をする。
比較的元気そうだったアウラは、現在僕の部屋でぐったりと寝込んでいた。
ミーネさんは解熱作用のある薬草を探して、現在森の中に入っている。
普通の熱ではないだろうから効果は定かではないけど、何もしないよりはマシだろう。彼の体調もそうだけど、何も出来ない、と落ち込んでいるミーネさんのためにも。
それにしても……どうして、あんなに一気に大きくなっているんだろう。
まるで、今まで止まっていたものが、急に動き出したかのようだ。
「弟子くんって、結構鋭いよね」
お師匠は地下の書庫から引っ張り出してきた、古い資料を見ながら哂う。
「アウラはやっぱり、ちょっとした嘘つきさんなのさ」
「……うそ、つき?」
「セラ調査では、アウラの状態は普通ではない、と言わざるをえないんだよね。たぶん、彼の実年齢って余裕で二十歳超えてると、セラは思ったりするわけなんだよ」
「……え?」
「十年前後の年数分の成長を、今、一気にやってるんじゃないかなって。だってどこの文献にも残ってないもの。こんなに長時間、しかもあんなに寝込んでしまうなんて。しかも尋常じゃないペースで急成長までしちゃってるんだ。止めていたものを、解き放ったとしか思えない」
「や、でも……」
まさか、と僕は思わず笑った。
だってヒトの姿をしていたアウラは、どう見てもお師匠よりも小柄だった。どう考えても年齢は一桁だった。確かに今の苦しみようは少しおかしい気もするけど、だからって……。
でもお師匠が見せてくれた資料は、アウラが普通ではないことを物語る。僕でさえわかるのだから、僕よりも知識のあるお師匠が、そういう結論に至るのは当然なのかもしれない。
……ミーネさんは、このことを知っているのだろうか。
何らかの事情をつけてこの地に残り、成人の儀式を遅らせていたということを。
「たぶんミーネは何も知らない。アウラが隠してる。……とはいえ、あの子はドラゴンと共同生活をする一族の娘だからね。さすがに感づいてはいると、セラ的には思ったりするんだよ」
「でも、どうしてそんな無茶を」
「いろいろあるんじゃない? 帰りたくない理由……そして、今、多少の苦しみを覚悟で成長することを望んだ理由もね。そこらへん、弟子くんの方がわかるんじゃないかなって思うよ」
……いや、そんなことを言われましても。
言葉を伴う交流も、ここ最近始まったばかりだし、いくら同性でもさすがにそれは。
ただ、浮かんだのはアウラの声。
――俺が何もかもから、あいつを守ってやるんだ。
そのために、彼は苦しみを覚悟で成長することを選んだのだろうか。けれど、そこまでして何から守ろうというのだろう。ミーネさんが、どこかの貴族令嬢やお姫様ならともかく。
などと、ぼんやりと考えていると、窓の外に影がうつる。家の上空を旋回して庭に影を落とすその巨体からして、それは間違いなくドラゴンだった。
どうやら誰か、たぶんミーネさんの同僚さんが、様子でも見に来たらしい。
出迎えようと立ち上がった瞬間に、扉がゆっくりと――ノック無しに開かれる。
かつ、かつ……と、室内に上がりこんだのは、見知らぬ少女だった。
「こんにちは、迷いの森の魔女」
そこにいたのは、豪奢な装飾を施した黒衣に身を包んだ少女。見た目の年齢は、だいたい女子高生ぐらい……だから、ミーネさんより少し年上の、僕と同世代ぐらいだ。
けれどそれを理解する前に、僕はその『容姿』に目を奪われる。
血の気の薄い白い肌、銀色の髪、血のように赤い瞳。
僕が思い出したのは、ある魔女の話。
以前、お師匠から聞かされた、破壊することにのみ特化した――。
「ファリ・ニルヴェルヘーナ……」
「ご名答。まぁ、魔女の弟子ならば、それくらいは知っていてもらわないといけないな」
少女の声で少年のように語る魔女は、僕を見てニタリと笑う。
「さて、ここにアウラ殿はいらっしゃるかな?」
「……彼に、何か用事でも?」
「ボクじゃなくて、ボクの雇い主がね。どうしても」
――そう、どうしても。
やたらもったいぶった言い回しで、ファリは続ける。
「彼の子が欲しいというのでね」
「はっ?」
予想を軽く斜め上にかっとんだ発現に、僕は思わず叫んでしまう。
ちょっとまて。
この魔女は、いったい今、何を言った?
子?
アウラの子?
ついこの前、成人を始めた、でもおそらくはすでに成人を迎えているべき彼。目の前にいる魔女の雇い主とやらは、いきなりやってきたかと思えば、そんな彼との間に子供が欲しい?
そりゃ誰だって欲しいさ、とファリは笑って言う。
「アウラは渓谷にある彼らの本国において、王子と呼ばれる身分なんだからね」
「……王子?」
「そう。ところが十年ほど前に失踪なさってしまってね。正確には成人の儀式の知らせをシカトしたわけなんだけども。彼の婚約者……許婚かな。それがボクの雇い主、ご主人様さ」
……まさか、さっき家の上を飛んでいたのが、そのご主人様とやらなのか。
でも今、周囲にそれらしい影は無い。
ドラゴンの咆哮も無く、森は不気味なほどに静かだ。
だから、嫌でも目の前の魔女の語りが、耳に入ってしまう。
「十年ほど行方不明だった王子様。本当なら、今頃本国で時期竜帝として、職務についていなければならないお方。よいメスと番となってよき子を作る。そして国を守るのが役目さ」
しかし、アウラは帰らなかった。
失踪して成人するのを見送り続け、今、十年分の成長に身体を蝕まれている。
「間に合わなかったようだけどね。せっかくボクの雇い主が、彼と逆鱗を探り合うのを夢に見て待ち続けていたというのに。可愛そうなことだ。でも、それももう終わりだね」
「終わり?」
「そうさ。竜王子を誘惑した魔女は――始末されたようだから」
ファリが笑った瞬間、家の外から何かが落ちた音がした。
「所詮はヒトのメス、他愛も無い狩りだったわ」
家をふるわせる声。
ファリの背後に、いつの間にか降り立った赤いドレスの女。その背中にはドラゴンのそれに似た形状の、身の丈に合う翼が広がっている。それは、背景に溶けるように消えていった。
けれど、僕やお師匠の視線は、女には向かなかった。
翼が消えたのだって、どうでも良かった。
彼女の足元に、倒れていたから。
薬草を取りに行ったはずの、ミーネさんが。まるで投げ捨てられたかのように、こちらに背中を向けるような体勢で、人形のように草の上へ横たわっている。
「ちょっとわき腹を『撫でてさしあげた』だけなのにねぇ。竜王子が花嫁と見込んだメスのくせになぁんて貧弱なのかしらぁ。……これでは、アウラさまのお子など産めるわけも無い」
「貴族や王族ならともかく、たかが魔女の分際で、というヤツですね、いやはや。しかし良い夢を見られたのではないかな? 王族に見初められるというのは、この上ない誉れだろうさ」
動かないミーネさんの傍らでは、赤い女が笑って。
僕の目の前では、黒い魔女が哂って。
そして僕は、何もできなかった。