48.小さなウソ
一つ、困ったことになった。
人間種が性別を確定することで『大人』になるように、この世界にしろ人々は成長をすることで『大人』へと変わる。肉体的にも精神的にも、そして世間の扱いも。
この世界でも、未成年とみなされる段階では、アルコール類はダメらしい。
しかし僕はどうなんだろうか。この世界においては『性別が確定した人間』という立ち位置である僕の場合、おそらくは世間一般的には『成人』ということになるとお師匠は言う。
つまり、僕はこの世界に限って言うなら、アルコールを摂取しても問題ない。
ついでに付け加えるならば、結婚するのも問題ない。
もっとも肝心のお相手はいないんだけども。いや……いないことはないんだけど。そういうことを、そういう関係を望む相手がいないことはないんだけど、たぶん、きっと。
――話と思考を戻そう。
問題の主役は、やっぱりミーネさんとアウラだ。
二人はしばらく、お師匠のアトリエに滞在することになっている。
結果を先に言うと、ミーネさんは、一ヶ月ほどの有給を押し付けられてしまった。いやいや立派な職務の一つなんだよ、とお師匠は苦笑していたけど……。
今、彼女は普段乗りなれているアウラの、うろこを一つ一つ指でなぞっていた。その表情は戸惑いが八割に、羞恥が残りといった感じで、横顔がかすかに見えるだけだけど赤面状態だ。
スキンシップではない。
あごの下や頭を、優しく撫でるような行為でもない。
黒くつややかなうろこを、指先で調べていく……若干恥ずかしい作業。
ドラゴンの姿をしているからそうでもないが、要は全身を撫で繰り回しているのだ。アウラのヒトとしての姿を知る彼女の頭の中は、きっとそっちの姿が浮かんでいるのだろうな……。
もちろん、あの行為にはちゃんとした理由がある。
あれは――成人の儀式の準備なのだそうだ。
この世界のドラゴンは、一定年齢に達するとまずヒトの姿を取れるようになる。彼らは成人を迎えるまでは人間と同じように年齢を重ね、成人するとそこから数百年の時を生きる。
その、成長の第二段階である『成人』は、大体十歳以降にやってくるそうだ。
やってくるというか、しなければいけないというか。お師匠もよくわからないらしく、現在書庫から書物を引っ張り出して、いろいろと調べてくれている。
本来は別大陸にある、ドラゴン種の国で行わなければいけないらしい。彼らはどこに住んでいても十歳になる前に必ずそこに帰って、成人の儀式を終えてから元の場所へ戻るという。
ところがアウラはそのことを、なぜか華麗に綺麗にすっかり忘れていたそうだ。
『はぁ? ばっかじゃないの!』
『だって忘れてたんだからしかたねーじゃんかよー。こっちで儀式すりゃ問題ないって!』
……と、ミーネさんに叱られるアウラは、どこかやり遂げた笑みを浮かべていたっけ。
「限りなくクロだよね。もう黒曜石も失神寸前ってくらい」
「ですよね」
「聞いた話じゃ、ミーネの変化が始まった頃に、手紙が届いてたそうだよ? 遠い母国のご両親から、お前もうすぐ成人だからとっとと帰って来いコノヤローってね」
でも無視しちゃったわけなのさ、とお師匠はため息を一つ。
「……ミーネさんのため、ですかね」
「悪い何かから守りたいんだろうね、かわいいかわいい、未来の花嫁さんを」
ぬふふふ、とお師匠は気味の悪い笑みを浮かべて、ドラゴンとその飼い主を見ている。その言葉に何かの含みを感じたけれど、悲しいかな、僕にはそれを探るだけの手がかりが無い。
単純に――僕のような恋敵となりうる異性を警戒しているのか。
もっと何か、重大な危険でも予期したのか。
いや、案外単純な理由かもしれない。
全身を撫でられているアウラは明らかに嬉しそうだし、いろいろと並べた理由の向こう側にはこの状態への願望があるのかも。これから行う行為は相当な苦痛を伴う、という話だし。
好きな子に与えられた方が、比較的マシと思えるかもしれない。
「……それにしても、何で『逆鱗』が必要なんですか?」
「大人ってさ、辛いコトや痛いコトに耐える精神力がいるでしょ? だから逆鱗をべりっと引っこ抜いて、オレサマスゴイと神様に主張するの。普通は親兄弟とか、親戚がやるんだけど」
ちらり、とお師匠が僕を見る。
「未来の伴侶でも、おっけーだと思わないかな、弟子くん」
それにしても彼はウソが多いね、と。
お師匠はまた、意味深に微笑んで見せた。
まるで、彼にはまだまだヒミツがあると知っているかのように。