46.愛の躾
睨み合うこと数分。
ぐぐぅ、と絵に描いたような腹の虫が室内で鳴いて、赤面したのは例の子供だった。
「とりあえず、食べながら詳しい話をするってことで」
いいですよね、と僕はお師匠をみた。
時計は見ていないけれど、時刻としてはお昼前。朝はいつも軽いので、そろそろお腹がすいてくる頃合だ。このままだと腹の虫が三重奏を披露する、というひどい世界が構築される。
さすがに空腹には耐えられないのか、子供は何もいわずにソファーに座った。
「この子はセラが見てるから、安心していーよ」
「はい、じゃあすぐに作りますね」
僕は二人をリビングに残し、軽く食べられるものを作りにキッチンへ。
とりあえず簡単な野菜を使ったスープと、あとは……パンと、ソーセージにしようか。あいにく卵を切らしているので、目玉焼きはつけられない。それだけが残念だ。
次にミーネさんが来るのは数日後だから、それまでの辛抱。
キャベツ――のような野菜をさっと切りそろえ、沸騰し始めた鍋の中にいれ。ついでに味付け代わりにベーコン、そして塩を少々。しょうゆのような風味のある調味料を隠し味に。
パンはすでに焼きあがっているものを、オーブンでさっと暖める。
次にソーセージだが、さてこれはどうしようか。
ゆでるのもいいけれど、焼いて塩でさっといただくのも悪くない。
しばらく迷って、結局焼くことにした。
一通り食事の準備を整え、お師匠を呼びつけてテーブルへと運ぶ。子供はお師匠に言われるまま、おとなしく台所で手を洗っていた。基本的に、人の言うことを聞くいい子らしい。
「じゃあ、まず自己紹介ね、君の」
「……」
「名前がわからなきゃ、君とかそれとかあれとか、そんな呼び方になっちゃうよ?」
それでもいいの、というお師匠の問いかけに、子供はうつむいたまま無言。言うのをためらっているのか、まさかの記憶喪失なのか……いや、さすがにそれは無いか。
さっき、ミーネさんの名前も出していたわけだし、彼女だけ覚えているなんてことはない。
……いや、というか、どうしてミーネさんだったんだ?
確かに彼女はかわいらしい女の子だし、魅力的ではあると思う。この世界の人間の事情が無かったとしても、彼女ならあと数年もしないうちに、きっと良い縁に恵まれるだろう。
そこへ飛び出した、俺の嫁宣言。
この見知らぬ子供は、いったい何者なのか……。
お師匠はもう聞かされたのか、それとも何か感づいたのだろうか。
何も言わない子供を、にやりと意地の悪い笑みで眺めて。
「それにしても、アウラもそういうオトシゴロで、セラもびっくりなんだよね」
「……っ」
「え?」
沈黙が流れる。
お師匠は平然と食事を続けるし、あのドラゴンの名前で呼ばれた子供は口をぱくぱくさせているだけだし、僕は石のように思考も身体も固まってしまうし。
「……アウラ?」
これが?
あの、この家を軽くつぶせてしまいそうな、アウラ?
ミーネさんの、あの愛ドラゴン?
確かにどっちも黒いし、ミーネさんの名前を知っているからには可能性は……。
「ドラゴン種は一定年齢になると、人間の姿を取れるんだよ。大体人間年齢で五歳ぐらい」
「そう……なんですか」
「その方がエネルギー効率ってのが、いいんだってさ。ほら、あの大きさと今じゃ、胃袋の物理的なアレコレがぜんぜん違うでしょ? だからそういう方向に発展していったらしいよ」
だよね、とお師匠は子供改めアウラを見る。
「……なんでわかったんだよ、魔女」
「セラ、だよ。ドラゴン種は目の瞳孔がね、ちょっと変わってるのと……身体から放出されている魔力質がさ、他の種族とぜんぜん違うんだよね。あとは論文にもいくつか見分ける」
「……もーいいよ」
長々と説明を始めたお師匠を、ため息混じりにアウラは止める。
それにしても、アウラはヒトの姿をして――しかもあんな状態で、この森に何をしに来たのだろうか。睨まれたりしたことよりも、そっちの方が気になって仕方が無い。
――そこへ。
「こんちゃーっす!」
いつもより鋭い、挨拶というよりも怒声が響く。
僕が応対に出るよりも先に、ミーネさんは家に飛び込んできた。いつもは結っている髪を振り乱すように、彼女が真っ先に向かったのが――アウラの前。
ほんの少しうれしそうに笑ったアウラだったけど、それは一瞬。溶けるようにその姿の輪郭は崩れていって、一瞬で彼は僕が見慣れたうろこに覆われた姿――のミニサイズに変化した。
大きさとしては大人の猫……ぐらいだろうか。
抱きかかえるのには、ちょうどいい感じだ。
そんなアウラを抱きしめて、ミーネさんは震える声で叫ぶ。
「どこ行ってたのよ! バカ!」
きゅうん、と犬のごとく鳴くドラゴン。
……威厳とかかっこよさとか、ひとかけらとして存在しない姿。というか、ドラゴン状態での大きさも、意外と自在だったらしい。この世界の種族は、何から何まで不思議すぎる。
後から入ってきたミーネさんの同僚さん曰く、アウラはどうやら家出してきた、と。朝からあっちこっち探し回って、ダメ元でお師匠を尋ねたら同僚さんのドラゴンが気配を察知。
それで、この状態らしい。
同僚さんは仕事途中らしく、あとは任せたと言わんばかりに去っていった。
残されたのは、ドラゴンをぎゅうぎゅうと抱きしめるミーネさん。完全に場の流れから取り残されてしまった僕と、一人ご機嫌に食事を終えているお師匠。
「ミーネ、確か今日は」
「えぇ、お休みの日だったんですよ。それなのに、それなのに……」
ぷるぷる、とミーネさんの身体が震える。それは悲しみというよりも、貴重であろう休日を叩き壊してくれた、腕の中のドラゴンへの怒りのようだった。
……これはまさか。
僕は思わず、すぐ目の前にいた一人と一匹から離れる。食事も終わっていつもの姿になったお師匠を、さっと回収するのも忘れない。じりじり、と出来るだけ距離をとった。
直後にミーネさんに抱きしめられ、ご満悦だったアウラの表情が変わった――気がする。
そこに僕は、おびえと恐怖を感じ取った。
彼女は無言でドラゴンを、片手でむんずとつかみ。
次にすぐそこにあった、掃除用のホウキをもう片方の腕で構え。
「こん……のっ、バカーっ!」
放り投げられ宙を舞うドラゴンを、両手で握ったホウキで思いっきり――打った。
すっかーん、といい音を立ててドアから庭へ吹っ飛んでいくアウラ。
それを追いかけていく少女。もちろんホウキは装備したままだ。
なにやら悲鳴のような泣き声も聞こえるが、お師匠が無視無視というので右に倣った。
その後、飼い主による愛の躾は、外が夕暮れになるまで念入りに続けられた。
「休暇はつぶされるわ、ドラゴン狩りの被害を心配させられるわ。ミーネもとんでもないヤツとペアを組んだもんだよねぇ。……あ、ドラゴンって触媒の材料として最上級なんだよ」
お師匠がいい笑顔でそんなことをいう背景では、今も悲鳴が響き渡る。
教訓――ミーネさんは怒らせてはいけない。