23.ハル
パメラさんの来訪から少しして、『死の儀式』の準備は始まった。
何でも特定の日の夜に、と決まっているらしい。
「名前は後々考えるとして、まずは髪だね」
どこからか取り出されたのは、美しい装飾を施したハサミだった。
聞けば、歌姫の死の儀式にのみ使うものらしい。本当は向こうの関係者が直々に尋ねる予定だったそうだけど、パメラさんが半ば奪うようにしてわざわざ預かってきたそうだ。
それは、ここが知られてハーヴェルが連れ戻される、などの裏切りを警戒してのことなんだと僕は思うのだけど、逆に疑われたりはしなかったのだろうか。
「あぁ、それは心配ないよ。歌姫の血統は独特でね。偽者なんて通用しないさ」
しょぎ、とパメラさんの手に握られたハサミが、ハーヴェルの髪を切り落とす。
ハーヴェルはずっとうつむいたままだった。お師匠は傍らに立って、落ちた髪を丁寧に拾って集めている。僕はというと、ランプを手にパメラさんの手元を照らす係だ。
本来なら厳かな神事で、お香を焚いた専用の部屋で行うらしい。
遺体は神殿とやらの奥に安置し、切られた髪を人々に見せ歌姫の死を知らせ、その髪を通常の遺体として埋葬するという。だから歌姫は、その候補のころから髪を長く伸ばすそうだ。
……髪の毛ぐらいは、なんて言うことはできない。
歌姫の象徴で、ハーヴェルだってそのために伸ばしてきたんだと思う。それを、命を救うためとはいえ、自由になるためとはいえ、こうして切り捨てなければいけないなんて。
いずれ生きていれば伸びる、なんてくだらない説得は無意味。
ただのほほんと生きてきただけの僕には、きっとわからないと思う。
小さなハーヴェルが背負ってきたものの重さ。
それらを失う苦しさ悲しさなんて。
「……さて、これで髪は終わったね」
肩につく程度の長さに切りそろえられた、ハーヴェルの髪。
これはこれでかわいらしい感じだ。
「次は名前だけど……自分で考えたかい?」
「――」
こくん、とハーヴェルは返事をする。
懐から出した紙には、少し歪んでいるけれどしっかりとした字で。
「ハル――いい名前じゃないか」
パメラさんは少し誇らしげに笑ってから、ハーヴェルの喉にそっと触れた。少し伸ばしてつややかに整えられたつめの先が、ゆっくりと少女の首の黒いあざを撫でる。
その瞬間だった。
ハーヴェルの声を殺したそのあざが、うっすらと青く光り、まるで水に溶けていくようにじわりじわりと薄れていく。あれほどはっきり、そしてくっきりと刻まれていたものが。
「あ……」
それがすべて消えたころ、小さな声が漏れた。
それはかわいらしい声だった。
澄んだ鉄琴のような、けれどやわらかいきれいな声だった。
それがハーヴェルの――ハルの声だと最初は理解が追いつかなくて、誰もが無言で彼女の喉元を見つめる。あの、黒い刻印が消え去った、本来の白さをさらすその肌を。
「これはアタシからの贈り物さ。戻すなとは言われてないからねぇ」
ククク、と肩を揺らしてパメラさんは笑って。
「あぁ、ちゃんとお礼は別に用意するから安心おし」
「いや……要らないよ。セラは何もしてないもの」
これだけでいいよ、とお師匠は満足そうに笑っている。そしてハルにくっついて、グリグリと頬擦りした。ハルはくすぐったそうにして、少しだけ目じりに涙を浮かべて笑っている。
そこに二つの、小さな笑い声があることに僕の視界は少し歪んだ。
「弟子にするのを諦めさせられたんだからねぇ……これくらいはしないと。アタシとしてはまだまだ連中を許さないっていうか、次こそは徹底的に叩き潰してやるつもりさ、ククク」
「パメラ……まさかこれが『はじめて』じゃない、とか?」
「魔女としての才能がある場合、歌姫としても優れるからねぇ」
と、不気味かつ意味深に笑うパメラさん。
僕は思った。
この人にだけはケンカを売ってはいけないのだと。