22.麗しき魔女の来訪
その日はいつも通りだった。
夜更かしをしたのか、寝起きが良くないハーヴェルに甘いココアを出し。
セラも甘いのがいいよー、と喚きだした、さっきまでブラックのコーヒーを所望していたお師匠に、普通にコーヒーを出し。自分用にあっさりとした紅茶を入れて、パンをかじって。
そんなびっくりするほど穏やかな朝に。
「失礼するよ」
その人はやってきた。
黒いドレスは、胸元があらわになってなまめかしく、左右にはかなりきわどいところにまで達しているスリット。どこの貴婦人だ、女王だ、と言わんばかりのいでたちの美女。
その耳はエルフよろしく長く、少し垂れた感じだった。
お師匠はあいた口をパクパクさせ、彼女を指差し。
「パメラ……!」
何度か聞いた名前を口にした。
――パメラ・シェルシュタイン。
世界的にかなり有名な魔法使いの一門に所属する、知らぬものがいない魔女。エルフ種という長命な種族の生まれで、ぱっと見は二十台前半だけどすでに数百年は生きているという。
お師匠の古い友人であり、ハーヴェルをここに預けた張本人だ。
黒髪を揺らし、パメラさんはリビングのソファーに腰掛ける。そこ、お師匠のお気に入りの場所と言うか定位置なんですけどね。ほら、お師匠がワナワナと震えだしてるし……。
どうやってお師匠をなだめようか考える僕をよそに、事態は勝手に進行する。
ハーヴェルは朝食もそのままに、パメラさんに向かって走っていった。
そして、抱きつく。
「――」
「よしよし、元気だったかい?」
「――」
「そうかい……それはよかった」
どことなくキツい印象を受けるその美麗な顔に、優しい笑みか浮かんだ。
それを見ていたお師匠は、すっかり怒りなど引っ込んでしまったのか。
「それでさー、ハーヴェルに関する揉め事は収まったの?」
元の大きさに戻って、ふわふわと友人の所に飛んでいく。僕はとりあえず紅茶を用意することにした。そもそもハーヴェルに関しては、お師匠が頼まれたことで僕は関係ない。
……気にならないわけではない。
だから準備をしながらも、しっかりと聞き耳は立てている。
おそらく、という言葉をつける必要はないんだろうけど、今回の一件について何か動きがあったんだと思う。でなければ、渦中の人である彼女がここに来る理由などないわけだし。
問題はそれが吉報なのか、その逆なのか。あの様子からして悪い知らせではない……と思うけど、ハーヴェルの前だから、それらを見せないようにしているのかもしれない。
ハーヴェルはもう充分なほど傷ついた。
これ以上は、要らない。
「一応、話はついたよ」
僕が用意したお茶を飲み、パメラさんが口を開く。
「ハーヴェルはもう自由さ……この子は、歌姫でも何でもない」
その言葉に僕とお師匠は顔を見合わせ笑みを浮かべる。
だけど次の言葉に、それは凍りついた。
「ただ、ハーヴェルには死んでもらうことになった」
淡々とした、わずかに笑みすらこもったその一言で。
「この子の母親が有名な歌姫でね、その娘も以下略ってわけさ。……つまり、ハーヴェル・シルスという歌姫の娘に『歌姫になる』以外の未来なんて、誰も用意してなかったわけでね」
歌姫以外のハーヴェル・シルスの存在は許さない、だそうだ、とパメラさんははき捨てるようなため息をこぼす。発言者に対し、心底あきれ果てているのがわかった。
だけど、だからって死んでもらうって……。
「ハーヴェル、大丈夫?」
「――」
パメラさんの隣にいるハーヴェルから、表情が失せていた。
ぎゅっとひざの上で握った手は、力を入れすぎて白くなっている。その手を、ずっと小さな手で何度かなでながら、お師匠は心配そうにしていた。そして傍らのパメラさんを見上げて。
「どうするの?」
「実際に死なせるわけじゃない。歌姫には死の儀式があってね、まぁ、要するに一般で言うお葬式ってヤツなんだけども。それをするために必要なのを提供すれば命は問わない、とさ」
「その……必要なもの、とは?」
僕は思わず問いかけていた。
パメラさんは苦笑を浮かべて答える。
「ハーヴェルの『名前』と、その髪さ」