15.同居人が増えました
一通りの家事を終えてリビングに戻ると、テーブルや床にどっさりと本があった。そういえば書庫の整理をする、とかお師匠が言っていたのを思い出す。
「手伝いましょうか?」
「んー、地下に運び込むからいいよー。下から上に持っていくのだけ手伝ってー」
「わかりました」
ということで僕は暇になってしまった。
ソファーに座って、とりあえず目の前にあった本を手に取る。開くと、僕にも読める文字で書かれていた。さっと目を通した感じ、古い何かの文献か、研究をまとめた本のようだった。
「……これは?」
「古い魔法の資料だよー。前にも言ったけど、【古魔法】は基本的に声も触媒として使っていたんだけどねー、逆に言うと声がないと魔法が魔法になってくれない感じだったの」
本を抱えてリビングにやってきたお師匠が、床に本を置きながら説明してくれる。
その時代の魔法は、聞けば聞くほど僕が知るよくある魔法だ。
「声なしに魔法が使えないから、今より魔法犯罪者への罰も手っ取り早かったんだよ。声を殺してしまえば、それで終わっちゃうもの。それが【呪術式】の、呪いの始まりなんだよ」
「覚えておきます」
「いいよいいよー、【呪術式】はともかく、今はもう声を使う魔法なんて、そうお目にかからないものー。水上都市の歌姫だって、お人形みたいに大事にされるから罪人にもならないし」
「まぁ……言い方は悪いけど、貴重品ですからね」
「そーゆーことなのだよ、弟子くん」
お師匠はまた二階に戻っていく。読まない本と、読むようになった本を、こうして定期的に入れ替えているのだけど、僕は地下に入れない的な意味でさほど役に立てないのが悩みだ。
まぁ、ここに運び込まれたものを上に持っていくことはできる。
それまで少し読書でもしようかと、僕は適当な本を探して。
「――」
換気のためか開けっ放しになっている戸口に、彼女がいることに気づいた。
小柄な……たぶん、まだ十歳にもなってない子供だ。
ゆるく癖のついた、わずかに青が見える黒い髪。……いや、これは黒というより黒に近い灰色と言うべきかも知れない。髪は毛先が地面につきそうになるほど長かった。
彼女は不安に揺れる灰色の瞳で、僕をじっと見ている。
「えっと、君は近所の子?」
「――」
ふるふる、と首を横に振った彼女は、ずっと握っていたらしい手紙を差し出した。
そこにはたった一言『セラへ』とだけ、きれいな文字で綴られている。
封筒の裏には貝殻を模した美しい判が押されていた。
そこに添えるようにして、パメラ・シェルシュタインという名前が書かれている。僕の記憶が正しければ、お師匠が『世界について研究している変わり者』と言った魔女の名前だ。
「お師匠、ちょっと」
「んー?」
お師匠を呼んで、手紙を渡した。
僕はお師匠の背後に回って、その手紙を見る。
そこには、こう書かれていた。
『この子はハーヴェル・シルス。元水上都市の歌姫さ。事情があって引き取ったんだけど、連中には恥ってもんがないらしくてね……ちょっと徹底的にやりあうから。ククク、アタシとシェルシュタインをなめんじゃないよ、あのペド野郎が。徹底的につぶしてやるつもりだよ』
「……ねぇねぇ弟子くん、『ペド野郎』ってどういう意味?」
「要するにヘンタイってことです」
詳しい説明をしても何なので、簡潔に説明する。
ヘンタイかー、それは確かに問題だね、とお師匠は不愉快そうに唸った。
この世界でもそういう類は、あまり好まれないようだ。
『ってことで、連中がハーヴェルを諦めるまで預かっておくれ。お礼は弾むからさ』
「……なにこれ」
手紙を手にわなわなと震えるお師匠。
僕は思わず手紙を持ってきた少女――ハーヴェルを見た。
びくっと身体を振るわせた彼女は、そのままうつむいてしまう。大丈夫、と笑って頭をなでてやると、少しだけこわばった表情が緩んでくれた。まだ、打ち解けてはくれないけど。
「パ……」
問題はお師匠の方だった。このハーヴェルという名前の子供がひどい目にあって、そこから救い出したけれど問題が終わっていないのは、さすがにお師匠にもわかっていると思う。
しかし……まぁ、いきなり巻き込まれたらそうも言っていられないわけで。
手紙を握り締めている手が、ぷるぷると震えている。
そして。
「パメラのばかああああ!」
朝からお師匠の絶叫が響いた。
こうして、この家に新しい住民が追加されたのである。