胡蝶のリアル
会社へ向かう道すがら、いつものコンビニに寄る。
毎朝ここで軽く朝食をとるのが、俺のルーティンになっている。
若い頃は、菓子パンと甘いコーヒーが朝食の定番だった。これでもかとチョコチップが練り込まれたメロンパンや、白くて甘いソースがべっとりと網目状にかかったやたらデカいデニッシュ。あんなカロリーと糖質の塊を、一日に何個も平らげていた頃が懐かしい。
最近の朝は、もっぱらこれだ。カップのお茶漬け。すっかりハマっている。
わざわざ炊いたご飯を用意する必要がない。お湯を注いで三分待つだけ。それだけで熱々のお茶漬けが完成する。本当によくできている。
レジ横のポットからお湯を拝借し、イートインスペースの椅子に腰掛ける。
きっちり三分待ってからフタを完全に剥がし、ズズっとすする。
……うん、これだ。
風味豊かな鰹出汁の熱が、鳩尾のあたりからじんわりと全身に広がっていく。あられの香ばしさもいいアクセントだ。口の中に広がる優しい塩気と、腹の底から温まる感覚に、思わず小さなため息が漏れる。朝はやっぱり、こういうのが一番いい。
腕時計を見ると、午前8時30分を指している。
出勤前のささやかな儀式を終えた俺は、空のカップをゴミ箱に捨ててコンビニを出る。
青信号を確認し、横断歩道へ足を踏み出した矢先。ふと視界の端に違和感を覚え、何気なく右を向く。
速度を落とさずに交差点へ進入してくる大型トラックが、瞬く間に視界を覆い尽くす。咄嗟の事に身体は完全に硬直し、運転手と目が合った気がする。
ぶつかる。
俺は全身を硬直させたまま、ベッドの上で覚醒した。
恐る恐る自分の胸や手をさすってみるが、全身が汗だくになっていることを除けば、身体に一切の異常はないようだ。
乱れた呼吸を整えながら、枕元のスマートフォンを確認する。
【10月10日 2:00AM】
口の中に残る出汁の感覚が、ゆっくりと薄れていった。
俺はベッドから起き上がり、キッチンで一杯の水を飲む。
喉を流れる冷たい水が、やけに心を落ち着かせる。
深く息を吐き出し、ベッドに戻って再び瞼を閉じる。
ーー
会社へ向かう道すがら、いつものコンビニに寄る。
毎朝ここで軽く朝食をとるのが、俺のルーティンになっている。
最近は、カップのお茶漬けにハマっている。わざわざ炊いたご飯を用意する必要がない。お湯を注いで三分待つだけ。それだけで熱々のお茶漬けが完成する。本当によくできている。
昔はもっぱら高カロリーのパンとコーヒーだったなと、ふとパンの棚に目をやる。
ソーセージを丸ごと挟んだ惣菜パンが目に留まった。そういえば、これがやけに好きだったんだよな。たまには気分を変えるのもいいだろう。久しぶりに、パンとコーヒーで朝食をとることにした。冷蔵棚から、紙のカップのコーヒーを手に取り、会計を済ませる。
レジ横の電子レンジで少しだけ加熱し、イートインスペースの椅子に腰掛ける。
温まったパンの袋を開ける。
……ああ、これだ。
パンの香ばしい香りがふわりと広がる。かぶりつくと、パキッという小気味よいソーセージの食感。口の中に広がる、からしマヨネーズの風味。肉の脂とマヨネーズのコクが、少し甘いパンと良く合う。コーヒーのカップにストローを差し、ごくりとやる。口の中の脂が洗い流されていく。たまには、こういう朝も悪くない。
腕時計を見ると、午前8時28分を指している。
出勤前のささやかな儀式を終えた俺は、パンの袋をゴミ箱に捨ててコンビニを出る。
ーー
一日の仕事を終え、同僚と駅前で軽く飲んで解散した。腹は膨れたが、少し飲み足りない。行きつけと呼ぶにはおこがましいが、たまに寄る路地裏のバーへと向かう。
小さな看板が添えられた木製の扉を開ける。客は俺だけのようだ。カウンターの隅に腰を下ろし、スコッチをロックで注文する。
グラスの中で丸氷が淡く輝く。琥珀色の液体を口に含み、ゆっくりと飲み込む。食道を流れていくアルコールの熱が心地よい。少し潮気のあるスモーキーな香りが、吐く息にほのかに混じる。
店主と何気ない世間話を交わしながら、ゆっくりと時間を溶かしていく。気がつけば、二杯目のスコッチも半分ほどまで減っていた。
もう一杯くらい飲んでから帰ろうか。小さくなった氷を眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えている時だった。
入口の扉が開き、若い男が入ってきた。
男は、一つ席を空けて、俺の並びに腰を下ろした。常連なのか、店主に軽く挨拶をしている。迷わずビールを注文すると、カウンターの隅に置かれた灰皿を手元に引き寄せ、おもむろに煙草に火をつけた。ココナッツのような、甘ったるい香りが漂ってくる。
男は、店主から手渡されたビールをぐいっとあおると、不意にこちらへ顔を向ける。
「お兄さん、ここにはよく来るの?」
確かにここはカチッとしたオーセンティックバーではないが、初対面の相手にずいぶんと馴れ馴れしい。とはいえ、無下にするのも大人げない。適当に愛想笑いを浮かべながら、当たり障りのない相槌を打つ。
まったくもって中身のない会話だったが、男は妙に機嫌を良くしたらしい。
「マスター! 乾杯したいからテキーラちょうだい。マスターも飲んでいいよ。お兄さん、お近づきのしるしに飲もうよ。」
悪気はないのだろうが、嫌いなノリだ。
俺は丁重に断り、グラスの残りを飲み干して会計を頼んだ。
「えー、俺が来たから帰るの? なんか感じわりーな。一杯くらいつきあいなよー。」
男はあからさまに不満げな声を上げるが、ここで付き合ってしまえば一杯で終わらないことは分かりきっている。店主が「飲みすぎだよ」と男をたしなめ、助け舟を出してくれた。明日も仕事なのでまた今度、と適当に言葉を濁し、その場をあとにする。
夜の冷たい空気が、アルコールで火照った顔には気持ちが良い。大通りへ出ようと、薄暗い路地を歩いている時だった。ココナッツのような、甘ったるい香りが鼻腔をくすぐる。
顔を上げると、さきほどのバーにいた若い男。
「おにーさん、また会ったね。」
男は、手にした棒状の何かを勢いよく振り下ろす。
バチン!
鈍い音の残響を感じながら、俺はベッドの上で覚醒した。
痛みや衝撃は無い。こめかみに手をやるが、流血もしていないようだ。
早鐘を打つ心臓の鼓動を感じながら、枕元のスマートフォンを確認する。
【10月10日 3:00AM】
先ほどまでの酩酊感は、完全に消えていた。
俺はベッドから起き上がり、キッチンで一杯の水を飲む。
喉を流れる冷たい水が、やけに甘く感じる。
深く息を吐き出し、ベッドに戻って再び瞼を閉じる。
ーー
【10月10日 9:00PM】
今日は珍しく、朝食に惣菜パンを選んだ。
仕事終わりの、同僚からの誘いも断り、どこにも寄らずにまっすぐ帰宅した。
そうして、何事もない一日を終えることができた。
よし。10月10日は、これでフィックスとしよう。
それにしても、一日に二回も死ぬなんてことがあるのか。世の中、どこに危険が転がっているか分かったもんじゃない。セーブポイントを買っておいて正解だった。
俺は、キッチンで一杯の水を飲む。
喉を流れる冷たい水が、三日分の疲れを癒してくれる。
深く息を吐き出し、ベッドで横になり瞼を閉じる。
ーー
【10月10日 7:00AM】
ベッドから一人の男が起き上がる。
男は、無駄のない動作で身支度を整えると、静かに部屋を出ていった。
枕元には、「セーブポイント」と書かれたデバイスが置かれている。
デバイスのパネルには、ログが表示されている。
『10月10日 テイク3 実行中』
夜中のうちに翌日を試行錯誤した意識は、朝を迎えると深い眠りにつく。
デバイスが、リハーサル通りに最適化された一日を自動でトレースしてくれるから。




