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8 押入れの手紙

 その週の終わり。


 澪は珍しく、朝から部屋の片づけをしていた。


 畳の上にしゃがみ込み押入れの中を覗き込んでいる。


「ねえ悠真、ここの奥に変な箱あるけど、あなたの?」


「ん? 俺のじゃないな。入居した時からあったかも」


 俺も手伝いながら、埃を被った小さな木箱を引っ張り出す。


 鍵は壊れていて、指で押しただけで蓋が開いた。


 中には黄ばんだ封筒が一通。


 差出人の欄に、小さく「白瀬家」と書かれていた。


 思わず息をのむ。


 隣で澪も固まっていた。


「……白瀬って、お前の?」


「……たぶん。でも、記憶にないわ」


 封筒を開けると、そこには丁寧な筆跡で『佐久間はる様へ』と書かれていた。


『娘をよろしくお願いします。

あの子は少し不器用ですが、心のやさしい子です。

どうか、穏やかな場所で過ごさせてやってください』


 読み上げる俺の声がやけに部屋に響いた。


 澪は手を胸の前で握りしめ、視線を落とす。


「……『佐久間はる』って、この白鳩荘の大家さんの名前だよな」


「そうね……つまり、私……ここに『預けられた』の?」


 澪の声が小さく震える。


 俺は思わずその肩に手を伸ばしかけて、途中で止めた。


 ――また、すり抜けるかもしれない。


 だが澪のほうが先に俺の指先に触れてきた。


 かすかな光が肌の境界線をなぞる。


「……変ね。その手紙を読んでから、頭の奥で『音』がしてる」


「音?」


「うん。低い……でも懐かしいノイズ。何かを思い出しそうで、でも届かない」


 澪は目を閉じ耳を澄ますようにして言った。


 その姿はまるで、夢の続きを探しているみたいだった。


「無理に思い出さなくていい」


「どうして?」


「お前が今ここにいるのは、過去のせいじゃない。今、俺と同じ部屋にいるって、それで十分だろ」


 言ってから、少し照れくさくなった。


 澪は一瞬ぽかんと俺を見て、それから微笑んだ。


「……あなた、時々ほんとにずるい」


「またそれかよ」


「だって、そんなこと言われたら――安心しちゃうじゃない」


 窓の外では日が傾き始めていた。


 白い光が畳を撫で、澪の髪を柔らかく染める。


「この部屋、なんだか『懐かしい』の。ここにいると、誰かの声が響く気がする」


「声?」


「ええ……『ほのか』って、誰?」


 ――その名前。


 俺は息を呑む。澪の口から自然に出たその名前は、まるで彼女の記憶の底から漏れ出したようだった。


「知り合いじゃないのか?」


「わからない。でも、すごく……優しい声だった」


 沈黙が落ちた。


 そのとき、テーブルの上のスマホが震えた。


 なんの操作もしていないのに、画面に文字が浮かび上がる。


《ARIEL//memory_sync_test_01》


「……おい、なんだこれ」


EIDOLON(アイドロン)の……」


 澪の声が掠れる。


 その瞬間、彼女の輪郭がわずかに揺らいだ。


 白いノイズが部屋に広がり、カップの紅茶が微かに波打つ。


「澪!」


「だいじょうぶ……。ただ、少し、くらっとしただけ」


 ノイズが静まり、彼女は目を開けた。


 視線の奥に、少しだけ迷いの光が宿っている。


「ねえ悠真。……もし私が誰かの記憶の中の存在だったら、あなたは、それでも『ここ』にいてくれる?」


「当たり前だろ。たとえお前が何であっても、今こうして笑ってるなら――それで十分だ」


「……そう。あなた、ほんとにずるい」


 澪はほんの少し目を見開いて、やがて、紅茶の香りのように静かに笑った。


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