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6 夜紅協定

 ある朝、目覚ましより先にスマホの通知音が鳴った。


 画面を見て、思わず目を疑う。


 ――「#幽霊と暮らしてみた」がトレンド入りしていた。


「……おいおい、マジかよ。誰だよこんなタグつけて……あ、俺か」


 昨夜、ふざけて投稿した写真だ。

 夕食の食卓を撮った一枚。照明が少し暗くて、たまたま写り込んだ湯気の奥に『白いブラウスの女の子』がぼんやり映っていた。


「これ……まさか、澪?」


「なにを騒いでるの」


 振り返ると、本人がいた。


 ちゃぶ台(押し入れにあったやつ)の前で、新聞をめくってる。幽霊のくせに。


「お、お前、自分がネットで話題になってるってわかってんのか?」


「ネット? 蜘蛛の巣のこと?」


「いや違う。現代語の方。SNSって言えばわかるか?」


「わからない。生きてる人の言葉って、たまに意味不明よね」


 澪は不機嫌そうにお茶を啜る。


 その仕草が妙に人間くさくて、俺は思わず笑ってしまった。


「まあ、要するにウケたってこと。バズってるんだよ」


「またバズ。どこの虫よ」


「あーそれバグな。いや、ハチでもハエでもない。『人気』ってこと」


「ふうん。生きてる人は虫の比喩が好きね」


 そう言って、彼女はスマホの画面を覗き込む。


 コメントがどんどん流れていく。


 《加工すげえ》《この女の子実在する?》《怖いけど可愛い》


 ──その中に、一つだけ妙なものがあった。


 《彼女、ちゃんと『見えてる』よ。僕にも》


「……なあ、澪」


「なに?」


「これ、ただのネットのイタズラだよな?」


「さあ。……でも、『観測』って、案外そんなものよ」


「観測?」


「誰かが見てるから、存在が確定する。見られなければ、何も『ここにいる』とは言えない」


 彼女は淡々と呟いた。

 でも、その横顔はどこか寂しげだった。


「ねえ悠真」


「ん?」


「あなたが『私』を見てるとき、私、ちゃんと『ここ』にいるのよ」


「……当たり前だろ?」


「そう。だから……ちゃんと、見てて」


 その瞬間、スマホの画面がフリーズした。


 映像が一瞬ノイズを走らせ、澪の姿がかすれる。


「お、おい! どうなってんだそれ!?」


「……ただの『観測の乱れ(ノイズ)』よ」


 微笑む澪の輪郭が一瞬だけ光った。


 その光は確かに『生きている』ように見えた。


        *


 その日の夜はやけに静かだった。


 外では風が雨戸を叩き、部屋の奥でポットのコンセントがかすかに唸っている。


 それなのに、空気のどこかがざわついていた。


 ……ノイズ。


 澪が言っていた『観測の乱れ』ってやつだ。


 ちゃぶ台の向こうで澪がカーテン越しの夜空を見つめている。


 明かりの少ないこの部屋で、彼女の輪郭だけがぼんやり光を帯びていた。


「どうした、また電波でも拾ってるのか?」


「してない。ただ、気持ちを落ち着けてるだけ」


 そう言って、澪はふわりと立ち上がった。

 消音スリッパも履かないのに足音がまるでしない。


 それなのに、フローリングがわずかに軋むのが不思議だった。


「……なにしてんの?」


「お茶を淹れるの。夜紅協定(よこうきょうてい)よ」


「よこう……何?」


「夜紅協定。夜に紅茶を飲んで、余計な考えを消すための協定」


 パチッと音がして、湯沸かしポットが点灯する。


 蒸気が昇り、温かい匂いが漂った。


 澪が器用にティーポットに茶葉を入れている。


 幽霊のくせに、手際が良すぎる。


「お前、ほんと器用だな。……てか、いまさらだけど、それ触れるんだ?」


「意識を集中すればね。しばらくの間だけ」


「しばらくの間?」


「感情が安定してるときだけ、物質に触れられるの。逆に、乱れると崩れちゃう」


 澪の声が静かに湯気の音に混ざる。


 カップが二つ、ちゃぶ台に並んだ。


 透明な湯気がゆらゆらと揺れて、彼女の輪郭を柔らかく包む。


「……俺の分もある?」


「観測者への感謝の印よ」


 軽く言いながら、澪はカップを押し出してくる。


 その手の動きが少しぎこちない。


 カップの縁に、わずかに指がすり抜けたような残光が見えた。


「……ちゃんと香るな。幽霊の淹れた紅茶なのに」


「失礼ね。香りは心の温度で決まるのよ」


 彼女は自分のカップを両手で包み込む。


 淡い笑みが浮かび、湯気の中で頬が少しだけ紅く見えた。


 その光景を見て、思わず俺も笑ってしまう。


「なあ澪。こうしてると、なんか普通の女の子だな」


「『普通』って便利な言葉ね。でも、悪くないわ」


 彼女は視線を落とし、紅茶の表面を見つめた。


 そこには夜の明かりが映り、彼女自身の姿が微かに反射している。


「ねえ悠真。紅茶ってね、温度が高すぎると香りが壊れるの」


「へぇ、理系幽霊なのに感覚的なこと言うな」


「理屈でもあるの。温度は『共鳴』なのよ。人の心も同じ。高ぶりすぎると、相手の音が聞こえなくなる」


 紅茶を一口飲みながら彼女は微笑んだ。


 どこかで、心臓の音がひとつ鳴った気がした。


「……俺、わりと強火(せかす)タイプなんだけど」


「知ってる。だから『心加減』を覚えなさい」


 軽く笑うその声が、妙にあたたかかった。


 でも次の瞬間、ふと彼女の手が震えた。


「澪?」


「……ちょっと、集中が切れたかも」


 カップを持つ手が透け、光の粒が零れ落ちる。


 慌てて俺は手を伸ばした。


 指先がすり抜ける――はずだった。


 ……触れた。


 ほんの一瞬、澪の手の甲に触れた。


 微かに温かくて、感覚が電流みたいに指先を走った。


 目が合う。澪の瞳が、まるで驚きと喜びを混ぜたように震えていた。


「おい……今の」


「……もしかして、心加減がうまくいったのかもね」


 照れくさそうに笑いながら、彼女は視線を逸らした。


 頬が湯気のせいなのか、ほんのり赤く染まっている。


「ねえ、悠真」


「ん?」


「もし私が消えても、この香りを思い出せる?」


「消えねぇよ。紅茶と一緒に、お前のことも俺が覚えてる」


 澪は一瞬だけ驚いたように目を丸くしたあと、ふわりと笑った。


「……あなた、時々ずるいこと言うわね」


「マジメに言ってるんだけどな」


「ええ。だからずるいのよ」


 彼女は再び紅茶を口に運び、静かに息を吐いた。


 窓の外で雨がやみ、虫の声が戻ってくる。


 夜がゆっくりと白鳩荘を包み直す。


「夜紅協定、悪くないな」


「うん。……あなたが見ててくれる限りは、ね」


 湯気がゆらめき、二人の間でひとつに溶けた。


 その瞬間、ノイズが完全に消えた。


 まるで紅茶の香りが世界の乱れを修復したみたいに。


このお話を書き始めたのは、今から15年くらい前のことです(←急にどうしたw)。

その頃はスマホなんて全然普及してなくて、ガラケーを使っているのが当たり前で、SNSなんて言葉もあまり使ってなかった気がします(私だけかも)。

かくいう私はギリギリまでガラケーを使ってやると意気込んで、「L○NEなんて危険なアプリ絶対入れるか!」とか豪語していました。

実際、その頃はまだ電話とか電子メールが普通で、私生活を切り取って投稿するなんて「エロ」以外の需要はなかったんじゃないですかね? グループでの連絡は掲示板とか、ごく限られたチャットでのやり取りで十分で、速度はいまほど重視されてなかったことを覚えていますか?


このお話も、こうして書き換えるまでは「ネットの某掲示板で幽霊・澪を世間に発信して、一部の界隈で話題に上がる」程度の盛り上がりとして描写していました。

ですが、スマホを持つのが当たり前になった今では何を発信するのも、世界につながるSNS。その発信力と盛り上がり様(バズ)は当時の比ではありませんよね。一度起爆すれば、日本はおろか、全世界にまで剥き出しにされる時代。それこそ「宇宙のかなたまで行っちゃう」んじゃないかってくらいの勢いです。


いまだにSNSの利便性に抗い続ける私ですが、こうしてお話の描写の中で、より発信力のある「物語の装置」として恩恵を受けている以上、感謝せざるを得ません……。


ま。

まだまだ抗うんですけどね!!!


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