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20 プロジェクト:アリエル

 白鳩荘の地下室はまるで時間が止まったような空間だった。


 冷たい空気、古びた端末、そして壁一面に並ぶモニタ。


 それは研究室でも、墓でもない――記憶の残滓そのものだった。


「……まるで、誰かの心の中みたいだな」


「正確に言えば、私の『心の外側』ね」


「何その哲学的回答」


「感情の外殻、つまり『残響』。EIDOLONは人の心のノイズすら記録するの」


「おいおい、心の中のツッコミまで録音されちゃうのかよ」


「悠真の場合、データ容量がすぐパンクすると思う」


「やかましいわ!」


 軽口を交わしながらも澪の指先は真剣だった。


 古いモニタの一台を起動すると、埃をかぶったディスプレイに淡い光が灯る。


《EIDOLON//prototype archive_01》

《recorded by: RISA SHIRASE》(録音:白瀬理沙(しらせりさ)


「……これ、母のログだ」


「ほんとに?」


「間違いない。音声フォーマットが古い。私が使ってた研究機材と同じ」


 澪が手をかざす。


 空間に淡い青のホログラムが浮かんだ。


 少しノイズ混じりの女性の声が静かに響く。


『――澪。これを見ているということは、あなたが「EIDOLON」の真の目的に辿り着いた証拠ね』


 その声を聞いた瞬間、澪の体がわずかに震えた。


「……お母さん」


『EIDOLONは、意識をデータ化するための装置じゃない。「誰かを想い続ける」という観測行為を、世界の記憶に刻みつけるための試み』


「想い……続ける?」


「観測と感情は同義。お母さ……母の研究は、単なるAI再現じゃなかったの。『愛するという行為』を保存しようとしたのよ」


「……なるほどな。確かに、それなら『幽霊』とも言えるかもな」


「え?」


「誰かを想い続ける心って、消えないだろ。それってもう、物理法則より強いじゃん」


「……ふふ。理論めちゃくちゃなのに、ちょっと感動した」


「ちゃんと褒めろよそこ!」


 そのとき、ホログラムの中の声が続いた。


『……もし、あなたがこの記録を見ているなら、「NEMESIS」の侵入を受けたはず。あのプログラムは、かつて私が作った「拒絶アルゴリズム」の暴走体』


「……拒絶アルゴリズム?」


「母が……自分の心を守るために作ったAI。『もう二度と失いたくない』って願いが、自己防衛として暴走した……」


「つまり、NEMESISは――お前の母親の『恐れ』そのものか」


「……そう、かもしれない」


 静かに光が揺れる。


 録音の最後にもう一言、優しい声が流れた。


『澪。もしあなたが誰かと笑っていられるなら、それが答え。どんなに科学が進んでも、人は「誰かの心」の中でしか生きられない』


 声が消える。


 わずかな残響だけが、地下室に漂った。


「……お母さんらしいや」


「なあ、澪」


「ん?」


「お前、今ちゃんと笑ってるよ」


「そう、見える?」


「ああ。観測者が言うんだから間違いない」


「観測精度、高いのね」


「まあ、愛の研究データはトップクラスだし?」


「なにその恥ずかしいセリフ」


「ツッコミ待ちだよ!?」


「ツッコミまで観測されるとか、ほんと忙しいわね」


 二人で小さく笑った。


 その笑い声が、まるで理沙の声と重なるように響く。


 そして、モニタの片隅にもう一行、文字が浮かんだ。


《backup host: SAKUMA_HARU // status: dormant》

(バックアップホスト: 佐久間はる // ステータス: 休止中)


「……佐久間はる?」


「この施設の管理者。たぶん、母が協力を頼んだ人」


「つまり……白鳩荘の大家さん?」


「……もしかして、全部知ってたのかもしれない」


 澪が静かにそう呟いたとき、地上から微かに階段を降りてくる足音がした。


「……まさか」


「澪、隠れろ!」


「幽霊に隠れろってどういう理屈よ!?」


「いいから!」


 足音が止まる。


 扉の向こうで、柔らかな声が響いた。


「――そこに、いるんでしょう? 澪ちゃん」


 その声はどこか懐かしく、そして温かかった。


 静まり返った地下室に階段を下りてくる足音が響く。


 その音は恐怖ではなく、不思議と『安心』を連れてくる。


 やがて扉の隙間から白いランタンの光が差し込んだ。


「やっぱり、ここにいたのね」


 現れたのは、白鳩荘の大家――佐久間はる。


 優しい笑みを浮かべているが、その目の奥は何かを知っているように静かだった。


「お、大家さん!? えっと……これは、その……」


「夜中に地下で不法侵入してる大学生と幽霊の図?」


「うぐっ……! そのまんますぎて何も言えねぇ!」


「ふふ、冗談よ。……ただ、懐かしい顔を見た気がしてね」


 そう言って、はるはゆっくりと澪の方を見る。


 澪は驚いたように目を見開いた。


「……あなた、覚えてる?」


「いいえ。でも……なぜか、懐かしい匂いがするの」


「そうね。きっと、あなたの中の『誰か』が私を知ってるのよ」


 その声に、澪は胸にあてた手を小さくにぎりしめた。


 はるの瞳の奥に一瞬だけ映った『白瀬理沙』の姿。


 けれど、澪にはそれが現実なのか記憶なのかわからなかった。


「……はるさん。母のこと、知っていたんですか?」


「ええ。理沙さんとは古い友人だったの。彼女が最後に託したのが、この場所――白鳩荘よ」


「やっぱり……」


 澪の声が震える。


 はるは、まるで昔を懐かしむように目を細めた。


「理沙さんはね、ずっと心配してた。『あの子はきっと、人を想いすぎて壊れる』って」


「……お母さん、そんなことを」


「でも、同時にこうも言ってたの。『もし澪が誰かに出会い、笑えているなら、その時こそ私の研究は完成する』ってね」


 その言葉に、澪はゆっくりと顔を上げた。


 涙が光の中で小さく滲む。


「……笑えてるよ。ちゃんと」


「そう。なら、あの人もきっと安心してるわ」


 はるがそう言って微笑んだ瞬間、地下の端末が低く唸りを上げた。


《EIDOLON//emotional resonance: detected》(感情的な共鳴を検出)

《signal synchronization: MIO & HARU》


「……っ!?」


「大丈夫。これはね、理沙さんが仕込んだ『共鳴コード』よ」


「共鳴コード?」


「人の『心拍』を媒介に、感情データを記録する仕組み。あなたがここで感じた想いが――EIDOLONの『続き』を動かす」


 モニタに淡い光が浮かび、文字が流れる。


《NEW MEMORY NODE: “HOME”》


「ホーム……?」


「きっと、それが理沙さんの最後の願い。『帰る場所を持て』という意味でしょうね」


 はるの言葉に、澪はふっと笑った。


「なら、この場所がそれね」


「そう。あなたにとっても、そして――」


 はるの視線が悠真に向く。


「この子にとっても、ね」


「え、俺!?」


「ええ。あなた、澪ちゃんの『観測者』でしょ? なら、もうこの家の一部みたいなもの」


「そんな雑な家族認定ある!?」


「家族は理屈じゃないのよ」


 はるがくすっと笑う。


 その笑い声はどこか先の理沙と似ていた。


 澪が静かに目を閉じる。


 その頬を伝う涙は悲しみではなく、たしかに『誰かの想いに触れた』証のように見えた。


《EIDOLON//memory restoration: 58%》(記憶回復:58%)


 端末が小さく光を放つ。


 その光の中で、はるの姿が少しだけ霞んだ。


「はるさん……?」


「私の役目はここまで。あとは――あなたたちの番よ」


「え?」


「この先に待つのは、理沙さんが残した最後の層。NEMESISの核が眠る場所」


 そう言って、はるはゆっくりと背を向ける。


 階段を上がるその姿は、まるで長い夢の終わりのようだった。



 静寂。

 そして、ちゃぶ台の上の古い端末がひとりでに再起動を始める。


《ACCESS GRANTED》(アクセス承認)

《PROJECT: ARIEL // STAGE 2 UNLOCKED》

(プロジェクト:アリエル // ステージ2 解除)


「……アリエル。お母さんの研究名」


「やっと繋がったな」


「ええ。 ――これが、本当の始まり」


 二人の視線が交わる。


 静かな部屋に、ふたりの笑い声が小さく響いた。


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