14 世界一うるさい観測者
昼下がりのキャンパスは、やたらと眩しい。
俺は学食の窓際でスマホをいじりながらため息をついていた。
「はぁ……再生数、また伸びてる」
「『#幽霊と暮らしてみた』はもはや都市伝説枠ね」
「勝手にジャンル確立すんな!」
耳元で囁く声。
もちろん澪だ。
スマホの中から半透明なウィンドウで顔を出してくるあたり、
もう完全に慣れてきた自分が怖い。
「ていうか、堂々と学食で出てくんな! 人に見られたらどうすんだ!」
「安心して。外部観測者には映らないわ」
「じゃあその『半透明演出』の意味ある!?」
「演出美」
「映像監督か!」
そんな軽口を叩いていると、向こうから明るい声が飛んできた。
「悠真くーん! こっち座っていい?」
姫川紗耶だ。
サークルのムードメーカーで、誰とでも仲良くなれる陽キャ。
俺の真向かいにどかっと座り、トレーを置いた。
「また例の動画、伸びてるじゃん。コメント欄、地獄だけど!」
「地獄て言うな!」
「《透け彼女》とか《新世代AIヒロイン説》とか、《ガチで恋してる男》とか」
「うへぇ! 最後のが一番ダメージでかい!」
紗耶がにやにやしながらストローを噛む。
そしてスマホを見せつけるようにこちらに向けた。
「ねえ、これ。『EIDOLON』ってワード、また出てる」
「っ……!」
澪の動きがピクリと止まる。
紗耶は気づかずに続けた。
「なんか最近、海外フォーラムとかでも話題らしいよ。『観測現象AI』とかなんとか」
「へぇー……(マジでやめろぉぉぉぉ!!)」
俺は不本意な海外進出に心の中で絶叫した。
澪がスマホの画面の隅で小さく震えている。
「悠真、あの子、観測干渉してる」
「は!?」
「無意識に私の存在を『感じ取ってる』。普通の人間じゃないわ」
「いや紗耶、ただの陽キャだぞ!?」
「陽キャの定義を過信しないことね」
「新しい社会心理学の論文かそれ!?」
紗耶が首を傾げて俺を見る。
「どうしたの? 顔、引きつってるよ?」
「いや、ちょっと……胃が観測干渉してて」
「――ぷっ。なにそれ!」
笑い合う二人のやり取りを澪がじっと見ている。
その瞳の奥で、ほんの一瞬、淡いノイズが走った。
《emotion deviation detected》(感情の逸脱を検出)
澪は小さく息をついた。
俺が紗耶に手を振って見送ると、スマホの中から声が漏れた。
「……あの子、あなたのこと、好きなんじゃない?」
「は!? な、なに急に」
「観測値が跳ね上がった。あなたを見るとき、瞳孔が2ミリ拡張してた」
「分析するな!」
「つまり、恋愛値でいえば――」
「計るなぁぁぁぁっ!!」
思わず叫ぶと、周囲の学生が一斉にこっちを見た。
おいおい、これもう三度目の誤解案件だ。
澪がクスッと笑う。
「ふふ。やっぱりあなたのツッコミ、安心する」
「安心するな! 俺が寿命削ってんだぞ!」
「削れた寿命分、私が延命するのよ」
「どうやって!?」
そんな掛け合いをしているうちに、ふと画面が暗転した。
《External Access Detected》(外部アクセスを検出)
《Source: Unknown Node // Campus Server 04》
「……澪、今のは?」
「外部から侵入信号。学内ネットワーク経由……」
「まさかNEMESIS!?」
「違う。もっと近い。誰かが、私を探してる」
澪の声が低くなる。
教室の窓の外で木々がざわりと揺れた。
俺のスマホに通知が走る。
《『#幽霊と暮らしてみた』にコメントがありました》
《――ミオは、生きてる》
「……っ!?」
「誰……?」
澪の瞳が一瞬だけ震えた。
画面に映る文字列を見つめながら、
彼女は唇をかすかに動かす。
「この文体……『あの人』の書き方に似てる」
「あの人って……誰だ?」
「……わからない。でも、私を『ミオ』と呼んでたのは――」
そこで言葉が途切れた。
澪の輪郭がふっとノイズに包まれる。
「おい澪!?」
「だいじょ……ぶ……。ただ、観測リンクが……」
声がかすれ、映像が揺らぐ。
澪の姿が光に溶けるように薄れていった。
《EIDOLON//connection unstable》(接続不安定)
「……おい、澪!? 戻れよ……!」
返事はない。
ただ、スマホの画面に文字が残っていた。
《再接続条件:emotion resonance(感情共鳴)》
「……感情共鳴、ね」
俺は深く息を吸い込み、ふと目の前に残った紗耶の空いた席を見つめた。
澪と紗耶。
幽霊と現実。
俺はどっちを『見て』いたんだろう――。
*
夜。
白鳩荘の部屋には、澪の気配がまったくなかった。
ちゃぶ台の上の紅茶カップだけが彼女の存在を思い出させる。
スマホの画面は真っ暗。
何度呼びかけても返事はない。
「……また消えるとか、反則だろ」
無意識に笑ってみせる。
でも、心の奥はずっとざらついていた。
机の上のスマホには昼間届いたコメント通知がまだ残っている。
《――ミオは、生きてる》
その一行を見つめていると、不意にスマホが震えた。
《EIDOLON//emotional resonance protocol available》(感情共鳴プロトコル利用可能)
《条件:観測者の感情波動を送信せよ》
「……感情波動って、要は『気持ちを伝えろ』ってことか?」
そんなこと、今さら照れるだけだ。
でも、それでも――
今やらなきゃ、澪はもう戻ってこない気がした。
俺は深呼吸して、画面に向かって言った。
「――澪。聞こえるか?」
返事はない。
けれど、どこかで空気が震えたような気がした。
「お前、よく言ってただろ。俺のツッコミがあれば観測が安定するって。だったら、聞こえてるはずだよな。……帰ってこいよ。今度は、俺が見つける番だ」
そう言って、画面に手をかざした。
指先がわずかに熱を帯びる。
《emotional link: established》(感情的接続: 確立)
《observer heart rate: 142 bpm》(観察者の心拍数: 142 bpm)
《synchronization: 73%... 82%...》
「よし、いけ……!」
ノイズが走り、光が溢れる。
空間が淡く歪み、白い光が形をとる。
やがて、その中に澪の姿が現れた。
白いブラウス、揺れるスカート。
その瞳には、今までにない色が宿っていた。
「……ただいま」
「お、おかえり……!」
思わず息を吐く。
彼女が微笑むのを見た瞬間、胸の奥がぎゅっと締まった。
「ごめんなさい、悠真。私……ちょっと怖かった」
「怖い?」
「『観測されない』世界が。……真っ暗で、音もなくて。そこにいたの、私だけじゃなかった」
「誰かいたのか?」
「ええ。『声』がしたの」
澪がゆっくりと目を閉じる。
『――ミオ、絶対に止まらないで。あの研究は、あなたの夢でしょ?』
その声が、澪の口を通して響いた瞬間、俺の腕の毛が総立ちになった。
「……それ、昼のコメントと同じ感じだ」
「私、思い出した。あの声の主……『ほのか』」
「ほのか?」
「私の、相棒。EIDOLONの共同開発者。――そして、『私が殺した人』」
その言葉に息が止まる。
澪の瞳が、まるで月の光を映すように静かに揺れた。
「でもね、不思議なの。あの声、怒ってなかった。むしろ『もう一度、生きろ』って言ってた」
「つまり……」
「まだ終わってない。NEMESISも、EIDOLONも。そして――私の生も」
澪がそう言って、少しだけ笑う。
その笑顔は強くて、儚くて、どこまでも人間だった。
「……やっぱり、お前はすげぇな」
「そう?」
「普通、幽霊が『生きろ』って言われて頷くか?」
「ふふ、確かに。理屈は破綻してるわね」
「でも、らしいよ。お前らしい」
「ありがとう。……ねえ悠真」
「ん?」
「これからは、一緒に思い出していきたい。私が忘れたものも、あなたの世界も。全部観測して」
「もちろん。ツッコミ込みでな」
「それ、たぶん世界一うるさい観測者」
「黙れ、データ生命体」
二人の笑い声が白鳩荘に響く。
《EIDOLON//resonance stable》(共振安定)
《memory restoration: 37%》(記憶回復:37%)
《new signal detected: NEMESIS core active》(信号検出: NEMESISコア アクティブ)
その文字が浮かんだ瞬間、部屋の灯りが一瞬だけ明滅した。
澪が眉をひそめる。
「……動き出したわね」
「NEMESISか?」
「ええ。でも、今度は逃げない」
「いいね。その意気だ」
「ただし、あなたも覚悟して」
「……え、どんな?」
「共鳴するってことは、あなたも戦場に立つってこと」
「まさかのプレイヤー参戦!?」
「観測者参加型システムよ」
「聞こえは良くても命懸けなんだよなそれ!」
澪がくすっと笑い、紅茶を手に取る。
まだ湯気が立っていた。
まるで、さっきまでここに『息づいていた』証みたいに。
「次の敵が誰でも、今度は二人で迎え撃つ」
「ああ、任せとけ」
「じゃあ、改めて。――観測再開」
窓の外で風が鳴った。
月明かりが差し込み、二人の影を重ねていく。
《EIDOLON//link complete》




