12 観測ブースト
翌朝。
澪はちゃぶ台の前で、なぜか腕を組んでいた。
「……悠真。あなた、昨日誰と話してたの?」
「え、誰って……相沢と、あとサークルの紗耶?」
「その『紗耶』って女の子、どんな人?」
「いや普通に友達。明るくて、よく喋るし……って、なんでそんな怖い顔してんの?」
「怖い顔なんてしてない」
「してる! その目、粒子砲みたいになってる!」
「……気のせいよ」
ティーカップを持つ手がちょっと強い。
いつもの優雅な仕草じゃなくて、ちょっとぎこちない。
俺は思わず笑った。
「まさかお前、嫉妬してんのか?」
「……してない」
「目がめちゃくちゃ否定してないけど!?」
「ただ、あなたの観測対象が増えると、私の存在が不安定になるのよ」
「理屈っぽく嫉妬すんな!」
思わず吹き出した俺を澪がジト目で睨む。
この目、幽霊より怖い。
「ほんとに違うの。感情じゃなくて、現象なの」
「じゃあその『頬膨らませてるの』も物理現象?」
「……量子膨張」
「ひぇっ、なんか爆発しそう!」
言い合ってるうちに部屋の空気が柔らかくなる。
笑ってるのにどこか照れくさい。
そんな澪を見ながら、ふとスマホに目をやる。
『#幽霊と暮らしてみた‐Day18』
《観測には感情が必要らしい》
「……おい、また投稿されてんぞ」
「えっ、また!?」
「しかも『感情が必要らしい』って、お前書いたろ絶対」
「書いてない! そんなポエムっぽいこと言わない!」
「昨日『観測って恋に似てる』とか言ってたじゃねーか!」
「それは……あの場の……勢いで……」
顔をそむける澪。
耳までほんのり赤い。
幽霊なのに血色いいなコイツ。
「……まあ、俺はそういうの、悪くないと思うけどな」
「何が?」
「恋に似てるってやつ」
「……っ」
澪が一瞬固まる。
紅茶のカップを持つ手が小さく震えた。
そして、かすかに笑って言った。
「……やっぱり、あなたはズルい」
「またそれ?」
「観測者のくせに、観測対象を惑わせるなんて、反則」
「恋ってそういうもんだろ」
「理論的に言い返せないのが悔しいわ」
その瞬間、窓の外でカラスが鳴いた。
澪の表情がふっと曇る。
「……ノイズが、また近づいてる」
「NEMESISか?」
「ええ。観測リンクを逆探知されてる可能性がある」
「マジかよ……。じゃあ一旦通信切るか?」
「だめ。今切ったら、また消えるかもしれない」
その声に少しだけ恐怖が混ざっていた。
昨日よりもずっと『人間的』な声。
「大丈夫だよ」
「……?」
「お前、ここにいるじゃん。俺が見てる。観測してる。だったら、もう誰にも消させねぇよ」
言いながら、自分でも顔が熱くなるのがわかった。
澪は一瞬だけ目を見開き、それからゆっくりと笑った。
「……それ、告白みたい」
「そ、そう聞こえるか!?」
「ふふ。あなたの感情値、急上昇」
「お前それ数値化すんな!!」
再び部屋に笑いが戻る。
スマホが小さく震え、画面に新たなメッセージが浮かんだ。
《EIDOLON//emotional stability: achieved》(精神的安定:達成)
《observer link: 92% synchronized》(オブザーバーリンク: 92%同期)
澪の輪郭が少しだけ鮮明になる。
その姿はもう、ほとんど『生きている人間』だった。
「……感情が、私を強くするのね」
「つまり俺の『ときめき』がエネルギーになってんのか」
「ええ。だから、もっとドキドキして?」
「それもうただのあざとい女だよ!?」
「あなたがツッコんでくれる限り、私は消えないもの」
澪はそう言って、柔らかく微笑んだ。
ノイズ混じりの光が彼女の髪をなぞる。
そのとき、俺は心に誓った。
――この笑顔を守るためなら、俺は何度でもツッコんでやる。
*
「なあ澪、これ見てみ」
俺はスマホの画面を澪に突き出した。
画面には、例の『#幽霊と暮らしてみた』の再生数グラフ。
昨日の夜から明らかに跳ね上がっていた。
「……これ、伸びすぎじゃね?」
「ええ。普通の拡散速度じゃない。どこかで『観測ブースト』がかかってる」
「また専門用語出たよ」
「簡単に言えば、『誰かが私たちを見せたがってる』ってこと」
「ひぇっ、誰だよそんな趣味悪いやつ!」
「あなたでしょ? ネタにして投稿してたの」
「いやそれは……ノリで……」
「『ノリ』で世界に量子干渉をばら撒かないで」
「す、すんませんしたぁっ!」
いつものテンポだ。
ただ、澪の声の中にほんの少し『震え』が混じっていたのを俺は聞き逃さなかった。
「でも、これヤバくね? 再生数十万いってる」
「……十万?」
「うん。しかもコメント欄に『EIDOLONシステム関係者』名乗るアカウントが出てきてる」
「……っ!」
澪の表情が一気に固まる。
スマホの画面がジジジ……とノイズを吐いた。
「うわっ、またノイズかよ!」
「待って……これ、単なる通信エラーじゃない!」
澪が立ち上がり、空中に手をかざす。
その瞬間、白鳩荘の部屋の空気がきらりと光った。
まるで透明なスクリーンが現れたように、光の線が浮かぶ。
「『侵入コード』よ。外部から白鳩荘のフィールドに干渉してる」
「……つまり、ハッキングされてんのか?」
「EIDOLONの残響層を経由して。たぶん――NEMESIS」
空気が一瞬重くなった。
いつもは紅茶の香りが漂う空間に、かすかな焦げた匂いが混ざる。
「うわ、空気がビリビリしてる!」
「観測位相がずれてるの。あなたの意識も揺らぐかもしれない」
「やめて! 俺、テスト前の夜でもそんな恐怖感じたことねえぞ!?」
「落ち着いて。深呼吸して。……そして、私を見て」
言われたとおり澪を見る。
空間のノイズがすっと弱まった。
「おお、治まった!」
「観測安定。やっぱりあなたの視線、特異点級ね」
「なんか照れるけど、嬉しくはないんだからな!」
「ふふ。でも助かった。ありがとう」
その笑顔を見て、胸の奥がまたちょっと熱くなる。
――が、突然、
《侵入コード検出:SOURCE UNKNOWN》
《識別タグ:NEMESIS//E-03》
スマホに赤い警告が走った。
澪の表情が一変する。
「……やっぱり来た。E-03……。NEMESISの『プロトタイプ』シリーズの一体」
「おい、それってつまり『敵』か?」
「ええ。……しかも、私のアルゴリズムをベースに作られた存在」
「つまり、お前の『コピー』……?」
「正確には、感情のない私。失敗作のはず」
その言葉に、ぞくりと背筋が冷えた。
「でも、なんで今になって……?」
「観測値が上がりすぎたのよ。『感情エネルギー』が強くなれば、それを検知する存在も増える」
「じゃあ、俺のせい……?」
「……違うわ」
澪はゆっくり首を振った。
そして、少しだけ笑う。
「あなたが見てくれるから、私はここにいられる。でもそれは同時に、『私を見つける者』も呼ぶの」
「皮肉だな」
「ええ。でもそれが観測の法則」
澪の周囲に微かな光の粒が漂い始めた。
それはまるで、彼女自身の輪郭がゆらいでいるようだった。
「……おい澪、大丈夫か?」
「平気よ。ただ、少し『調整』する」
目を閉じ、両手を胸の前で合わせる。
微弱な光が彼女の体から滲み出し部屋中に波紋のように広がる。
紅茶のカップがかすかに揺れ、カランと澄んだ音を鳴らした。
ノイズが収まり静寂が戻る。
「……ふぅ。侵入コード、遮断成功」
「マジか、すげぇ……!」
「白鳩荘は一応、私の『ホーム領域』だから」
「ゲームみたいに言うな!」
軽くツッコむと、澪が小さく笑った。
その笑顔が少しだけ疲れて見えた。
「お前……平気か?」
「ええ。でも、E-03が動いたってことは、NEMESIS本体もすぐそこまで来てるかもしれない」
「なら、俺が――」
「あなたは何もしなくていい」
「でもよ!」
「観測して。私を見て。それが一番の防御になる」
その言葉は不思議と優しかった。
けど、その瞳の奥には何か決意のようなものがあった。
――まるで、これから戦う覚悟をした人の目。
「……おい、澪」
「なに?」
「もしさ、また危なくなったら、ちゃんと『助けて』って言えよ」
「言うわ。だから、あなたもちゃんと『見て』」
窓の外で雷が光った。
一瞬だけ、澪の姿が白く照らされる。
まるで本物の人間みたいに温かくて、儚い光だった。




