10 幽霊のストーカー
翌朝。
俺は、スマホの通知音で起こされた。
まただ。最近の朝はSNSが目覚まし時計になりつつある。
「……お前らさぁ、俺より先に起きるなよ……」
目をこすりつつ画面を見ると、見慣れたタグが並んでいた。
『#幽霊と暮らしてみた』
『#Day16』
《今日は少しだけ記憶が戻りそうです》
「……は? 書いてねぇよ俺、そんなの」
布団から起き上がり、隣のちゃぶ台を見る。
そこには既に澪が座っていた。
白いブラウスに膝丈スカート、いつも通り品があって、でもちょっと寝ぐせがついてる――。
おい、幽霊の寝ぐせって何だ。
「おはよう、悠真。顔が『またか……』って言ってるわね」
「またか、だよ、まったく。これ投稿したの誰?」
「私じゃないわ。こんなポエミーな言葉、私書かないもの」
「ポエミーてお前、昨夜『生きる音』とか言ってたじゃん」
「……それはあの場の空気でしょ」
軽く頬を染めてそっぽを向く。
朝から可愛いな、と思ったその瞬間。
スマホの画面が『ジッ』とノイズを走らせた。
勝手に動画再生が始まる。
「おいおいおい、勝手に再生すんなって!」
画面に映ったのは見覚えのない部屋。白い壁、無機質な机、並んだ端末。
小綺麗な部屋。悔しいが俺の部屋ではない。白鳩荘とは違うどこか別の建物のようだ。
しかも、画面の奥で白衣を着た女の子が何かを入力している。
横顔。長い髪を結んでいる。顔ははっきり映らないのに、なぜか分かった。
澪だ。
「……これ、お前だよな」
「…………」
澪は黙ったまま、画面を見つめている。
動画の中の彼女は今より少し幼いように見えた。
キーボードを叩きながら、誰かに話しかけている。
『――ARIEL第37試行、感情位相の固定に成功。あとは観測者の――』
そこで動画がブツッと切れ、画面が真っ黒になる。
すぐにまたノイズが走る。
まるで『ここにあるはずの続きを、誰かが意図的に消した』みたいだ。
「……なあ澪。今のって」
「研究室の……映像、ね。私のものだわ」
ようやく口を開いた澪の声は少しだけ震えていた。
けど、パニックってほどじゃない。むしろ『ああ、やっぱり』って顔だ。
「ごめん、勝手に再生しちゃって……っていうか、勝手に再生されたんだけどな。俺悪くないからな」
「知ってる。あなたレベルの機械音痴じゃこんな侵入できないもの」
「そうか……。おい待て、今さりげなくディスったよな?」
「事実を述べただけよ」
「……で、これって、あのEIDOLONとかARIELとかいうやつと関係あり?」
「たぶん。……私の『昔』が、この部屋に浮かび上がってきた」
澪はスマホに手を伸ばす。
幽霊のくせに今回は一発で触れた。指先が光り、画面のノイズが少しだけ収まる。
「……やっぱり、そう。これ、私の量子署名に反応してる」
「量子署名って、あれだろ。なんかこう……『私です☆』っていう科学的ハンコみたいな」
「すごく雑な説明だけど、だいたい合ってるわ。やればできるじゃない」
「でへへ。やればできる子なんで」
「でもあなた、試験は平均点以下でしょ?」
「えっ、そこまで把握してんの!?」
ツッコミが棘を連れてはね返ってくる。
いつもの調子だ。だが、空気の奥にはぴんと張った糸みたいな緊張があった。
「……ってことはさ。あの動画を流したやつがいるってことだよな」
「もしくは、私の内部で『戻りたがってる記憶』が勝手に同期したか。どっちにしても、EIDOLONのフィールドが揺れてる」
澪はゆっくりと立ち上がり、部屋を一周見渡した。
まるで透明な膜をチェックしているみたいに空気を撫でる。
「『揺れてる』って、ヤバいのか?」
「白鳩荘の中だからまだ安定してるわ。ここはもともと私を『隠す』ための場所だもの。でも、外からの信号が届いたってことは――」
「お前のこと、まだ探してるやつがいる」
「そういうこと」
空気が少し冷たくなった気がした。
けど、そこで澪は表情を切り替える。
ほんの少し意地の悪い笑みを浮かべた。
「……まあでも、見られてるってことは、存在は強化されるのよね」
「ポジティブかよ」
「観測は大事って言ったでしょ。あなたが見て、ネットが見て、誰かが見てる。今日の私は、かなり『ここにいる』わ」
澪はそう言って胸を張ってみせる。
おっと、気づかないふりをしていたがこれは中々。
「ほほお――! でも、危ないやつかもしれないんだろ?」
「そこが問題ね。だから――」
澪はくるりとこっちを向き、いつものクール顔から一段階だけ甘いやつにした。
「――今日も『#幽霊と暮らしてみた』は続けましょう」
「続けんの!? こんな状況で!?」
「観測が途切れたら私が弱るって泣いてたの、あなたでしょ?」
「泣いてね――! ってか俺そんなこと言った!?」
「ふふ。じゃ、あなたはいつも通りの『バカみたいな日常』をしてて。それが一番、私をこの世界に繋ぎ止めるから」
そこでさっきまで震えていたのが嘘みたいに澪は微笑んだ。
その表情は、やっぱり普通の女の子だった。
……いや、こういう強がり方、普通の女の子でもするんだなって思った。
そのとき、スマホがもう一度だけ震えた。
さっきの動画のサムネの下に、小さな文字が追加される。
《ARIEL//echo_log.reconnect_sequence_01》
「……リコネクト、シーケンス……?」
「接続のやり直し、ってところね。誰かが『もう一回繋ごうとしてる』」
澪が少しだけ表情を曇らせる。
でもすぐに俺は言った。
「じゃあ、繋がれたくないほうが勝つようにしようぜ」
「どういう意味?」
「お前を監視してるやつらより、ここにいてほしいって思ってる俺のほうが強いってことにする。観測がエネルギーなんだろ? だったら俺、アホみたいに見るからな」
言ったあとで自分でもちょっと照れたが、遅い。
もうヤケになって、ギンギンにかっぴらいた目で澪を凝視する。
澪は目を丸くして、それからふわっと笑った。
「……ほんと、お馬鹿さん。ずるいこと言うのうまくなったわね」
「うるへぇ。成長していく幽霊に合わせてこっちも成長してるんだよ」
「じゃあ、今日の分の家賃はそれでいいわ」
澪はそう言って、ちゃぶ台の上のカップを指でつつく。
*
その日の午後。
白鳩荘の空気はいつもより妙に静かすぎた。
「なあ澪、なんか今日、部屋の音ちょっと変じゃね?」
「気づいた?」
「うん。冷蔵庫の『ブーン』って音が聞こえない」
「それ、止まってるんじゃない?」
「電気代払ってるぞ!?」
慌ててコンセントを確認する。
生きてる。電気も入ってる。なのに音がない。
世界の『生活音』がごっそり消えた感じだった。
「……まるで無音空間だな」
「EIDOLONのフィールドが、外から干渉を受けてるのかも」
「まじで物騒だな、うちのアパート」
「家賃のわりに研究施設レベルのセキュリティだから」
「いや、それでこのボロさはコスパ悪くね!? いや、いいのか!?」
俺のツッコミを無視して、澪は窓際に立つ。
指先で空気を撫でるようにして何かを感じ取っているようだった。
「……やっぱり。外から信号が入ってきてる」
「信号って……Wi‐Fi?」
「もっと直接的。たぶん私を『探してる人』たちのスキャン」
「おいおい、幽霊のストーカーかよ」
「正確には、幽霊の『観測者干渉』ね」
「説明が理系っぽいのに、やってることホラーだぞ」
澪は苦笑して振り返った。
「でも、そんなに強い干渉じゃない。 ……まだ平気」
「『まだ』って言葉がいちばん怖いんだけど」
その瞬間、ポンッと軽い音がして、天井の蛍光灯が一瞬だけ消えた。
次の瞬間には点いたけど、部屋の空気が一段冷えた気がした。
「今の、なんだ……?」
「警告。白鳩荘の結界が一部ゆがんでる」
「結界!? この建物そんな機能ついてんの!?」
「当たり前でしょ。普通のアパートが幽霊を収容できると思って?」
「そんな当たり前あるか!」
澪が指先で空気をなぞる。
見えないはずのものが、ほんの一瞬だけ光の筋となって浮かぶ。
まるで空間に細い糸が張り巡らされているみたいだった。
「……これが白鳩荘の『保護層』」
「え、これ、最初からあったの?」
「うん。でも最近になって揺らぎ始めた。多分、ARIELが『再起動』しかけてる」
言葉の意味が一拍遅れて頭に届く。
「再起動って……お前の研究システム?」
「そう。私が『死ぬ前』に残したもの。本来は私が消えたあとで、誰にも触れられないように設計してたはずなのに」
「誰かが、それを……」
「起動しようとしてる。外で、ね」
彼女の声が少しだけ低くなった。
その表情に、今まで見たことのない『科学者の顔』がのぞく。
けど、空気が張り詰めたのも束の間。
澪はふっと笑って、
「……まあ、深刻な話はここまで。紅茶淹れる?」
「いやいや、切り替え早っ!」
「観測の安定には日常が一番。お茶は量子ゆらぎを落ち着かせるの」
「それ『科学的に』正しいのか?」
「紅茶に逆らう研究者はいないわ」
「論文もってこい!」
思わず笑ってしまう。
笑いながらも、俺の中のどこかがほんの少しざわついていた。
「なあ澪。もし外の誰かが『お前を取り戻そう』としてるなら、それって、お前にとって悪いことなのか?」
「……わからない。でも、今の私はここで安定してる。それを壊すなら、敵よ」
そう言って、カップを差し出してくる。
温かい紅茶の香り。
ノイズのない、静かな時間が戻ってくる。
「敵が来るなら、俺、カメラでも構えとくか」
「防犯レベル低くない?」
「だって幽霊が一緒にいる時点で最強だろ」
「それもそうね」
澪が笑う。
そして、紅茶のカップを軽く合わせた。
ちいさな音がして、それがまるで合図の鐘のように響いた。
「ねえ悠真。私が怖くなったとき、あなたがいつも通りバカみたいに騒いでくれると助かるの」
「頼もしい依頼の仕方だな……」
「つまり、今日の観測ノルマは『笑い』よ」
「笑いで世界が救えるなら、吉本より俺のほうが稼げるな」
「……相変わらずツッコミの質が昭和ね」
「うるせぇ、令和幽霊」
二人の笑い声が部屋に溶ける。
その天井の上で、目には見えない薄い光の線がまた一筋、わずかに揺れた。
――白鳩荘が、静かに息をしている。




