プロローグ
雷鳴が夜を裂いた。
濡れたアスファルトに二つの影が走る。
「澪、こっち!」
先を走る少女が振り返る。ショートカットの黒髪、鋭い瞳――朝霧ほのか。
彼女は澪と呼ばれた少女が唯一心を許した相棒だった。
「ほのか、待って……! あのデータだけは……っ!」
「大丈夫、バックアップは取った。あなたは逃げて!」
澪は胸に抱えた小型デバイスを強く握りしめる。
冷たい金属の感触の向こうに、自分の全て――ARIEL計画の結晶が詰まっていた。
「EIDOLONがまだ安定してないのよ!」
「安定してなくても動かすの! やらなきゃ殺される!」
遠くで銃声が響く。
光の破片が夜の雨を貫いた。
追っ手は容赦なく迫ってくる。NEMESISの実行部隊。
そのとき、ほのかは振り向きざまに微笑んだ。
「――澪、あなたの『心』は私が守る」
そう言って、彼女はデータ転送キーを澪の手に押し込み、反対方向へと走り出した。
「ほのか!? 待って、ダメ――!」
次の瞬間、爆風と伴に耳をつんざく轟音が辺りに響く。
視界が白に塗り潰される。
***
……雨の匂い。
そして、遠くから誰かの声。
『――「EIDOLON」、稼働開始』
自分の声だった。
だが、口は動いていない。
思考が、身体から切り離されていく。
――これが……再投影……?
世界が反転するような感覚の中で、白瀬澪はふっと笑った。
「やっと、証明できた――『想い』は、死なない」
それを最後に、意識は暗転した。
***
次に目を開けたとき、世界はもう静かすぎるほどに穏やかだった。
雨音だけが一定のリズムで響いている。
見上げると、古びた木造のアパートがぼんやりと立っていた。
看板には、消えかけた文字で「白鳩荘」。
「……ここは……?」
声は出た。
けれど、息は白くならなかった。
手のひらを見つめる。
濡れているのに、雨粒が触れない。
――私は、死んでるの?
疑問よりも先に疲労が押し寄せた。
倒れ込む身体。地面に触れた瞬間、ふっと世界が遠のいていく。
「おやまあ、こんな雨の中に……!」
ぼやけた視界の向こうで、優しい声がした。
古い傘を差し出す老女の姿。
「ずぶ濡れじゃないの。早く中へ入りなさい」
「……私……ここに、いていいの……?」
「いいも悪いもないよ。困ってる人を放っておけるわけないだろう?」
女性の手が伸びてくる。
その手を掴もうとして、すり抜ける。
でも、温かさだけは確かに感じた。
「……ありがとう……」
その言葉を最後に、澪の意識はふっと途切れた。
目を覚ますと、布団の匂いがした。
どこか懐かしい――まるで実家のような温かさ。
傍らのちゃぶ台には、タオルと湯飲み、そして一枚のメモ。
『ここは白鳩荘。好きなだけ休みなさい――佐久間』
メモの端には優しい筆跡でこう添えられていた。
『きっと、ここならもう誰にも見つからないよ』
澪はその文字を指先でなぞり、静かに目を閉じた。
『誰にも見つからない場所』――
それは、澪が生きてきた証を隠す最後の居場所と同義だった。
*
それからどれほどの時が経ったのだろう。
外の世界の季節は巡り、白鳩荘には新しい住人がやってきた。
大学生。ゲーム好きで、どこか抜けていて。
でも時々、誰かのことを本気で想えるような――そんな男の子。
玄関の戸が開く音がして、埃っぽい部屋に光が差し込む。
「……ここが、新しい俺の部屋か」
その声に、どこか懐かしさを覚えた。
胸の奥で、何かが小さく共鳴する。
澪は静かに目を開け、薄く微笑んだ。
「……また、誰かが『生きる』音だ」
――ここから、彼女の二度目の人生が始まる。
こんばんは!
『うちのルームシェア幽霊さんしか勝たん!』始めます!
社畜なりに、少しずつ更新していきます。
一区切りするまで粘るつもりです!
よろしくお願いします!




