赤ちゃんと魔力酔い 1
アレンディオ様は、どうしても彼自身でなくてはいけない遠征以外は部下たちに割り振るようになった。
私が妊娠したことで迷惑を掛けているのでは、と心配になったが、話を聞くかぎり歓迎されているようだ。
というのは、アレンディオ様は部下の仕事まで自分でしてしまうほどのワーカーホリックで、部下たちは困っていたらしい。
それが、私と結婚してからは仕事を終えるとさっさと帰宅するようになり、他者に任せられることはきちんと依頼するようになった。
執事長から聞いた情報に寄れば、今までよりも、業務は上手く回っているらしい。
彼がそばにいてくれて、うれしくて安心で幸せだ。
でも――幸せな時間と苦痛の時間って両方同時に存在するらしい。
「うえぇぇ……」
「大丈夫か?」
「大丈夫です……うえぇ……」」
「はっ、治癒魔法を! いや、医者を!」
アレンディオ様の手に金色の光が集まった。
治癒魔法を発動するために、手に魔力を集めたのだ。
一点に収束した光が描くのは、美しく繊細で少しの歪みもない魔法陣だ。
けれど、本来であれば苦痛を和らげるためのその光を見た途端、私はますます吐き気を催してしまった。
アレンディオ様が、蒼白になった。
それから、しばらく黙り込んで、口を開いた。
「魔力酔い……?」
「え?」
それは、学生時代に聞いたことがある単語だった。
――魔力酔い。
それは、自分の魔力属性と反対の属性に暴露されたときに、船酔いのような気分不快を感じる……というものだ。
けれど、魔力酔いが起きるには条件がある。
一つ、互いの魔力が強いこと。
一つ、魔力が反対属性であること。
一つ、対象者同士の距離が近いこと。
「私には魔力があまりないですけど……?」
「そうだな、君には魔力がほとんどない――」
「と、いうことは?」
私は、まだペッタンコなお腹に視線を向けた。
「子どもの魔力が影響している……可能性がある」
ここまで来れば、原因なんて一つしかない。
「……子どもは何属性でしょうか。アレンディオ様は、確か四属性の魔法を使えましたよね?」
「俺の魔力の主力属性は光だ。ほかの属性を使うときは、精霊たちに力を借りている。つまり、反対ならば闇しかあるまい。そして、魔力酔いが起きる理由にはもう一つある。君はもう気がついているようだが、極めて稀だから、教科書には記載されていない」
確かに、学生時代の教科書には三つしか理由が書かれていなかった。
基礎教育では大多数に当てはめられる理由を書くことが多い。
けれど、目の前の彼は筆頭魔術師。
この王国で一番魔法に詳しいと言っても過言ではない。
「――魔力がない妊婦が、強い魔力を持った子を身ごもった場合だ」
確かに、教科書に書くほど数が多くないだろう。
だって、魔力がほとんどない人間自体が少なくて、魔力が強い相手と子を成すことがもっと少ない。
魔力がほとんどない人間の子どもは、魔力が少ないことが多いことはわかっている。
「どうすればいいのですか?」
「……問題ない。俺が君の前で魔法を使わなければいいだけの話だ」
その言葉を聞いて、私は安堵した。
何か緊急事態が起こったら、吐き気をそのときだけ我慢すればいいだけの話で、日常生活では魔法を使わなくても大きな事件は起きないはずだ。
「そうですか。それならなんとかなりそうですね。良かったです」
「あ……ああ」
けれど、なぜかアレンディオ様はもの憂げであった。
* * *
ガチャーンッ――と、響き渡るのは、陶磁器が割れる高くて派手な音だ。
アレンディオ様の表情が浮かなかった理由は、すぐに判明した。
「大丈夫ですか!?」
「――すまない。すぐに片付け……」
「あああ……指先を傷つけているじゃないですか。私がやりますから」
「でも君は妊婦で……」
「しゃがむ運動も必要だって、医務官のマリアさんが言っていました」
粉々になったカップを手早く片付ける。
その間、アレンディオ様は大失敗したあとの子どものような有様だった。
どうしたらいいのかわからず、困った顔をして私を見つめるばかりなのだ。
いつも完璧なアレンディオ様のそんな姿に、なぜか私の胸はキュンとした。
「とりあえず、傷の処置をしましょうね」
「この程度の傷、治癒魔法を……ああ、使えないのか」
「使ってください。吐くくらい問題ありません」
「絶対に嫌だ!」
しばらくの間押し問答していたが、彼を説得することは叶わなかった。
指先の小さな怪我程度だからいいが、大きな怪我をしないように私も注意しなくては。
――学生時代から筆頭魔術師になるまでの、自信に満ちて完璧な彼はどこかに行ってしまったようだ。
手当てしている間、アレンディオ様はしょげかえっていた。
ちょっと可愛いけれど……私の中で違和感が大きくなっていく。
カップを片付けると、私は改めて彼に向かい合った。
「……本当にすまない」
「いいえ……あの、どうして自分の怪我を優先しないのですか」
「君が苦しい思いをするのは嫌だ」
困ったな――と心から思う。
こんな言い方をされたら、もしかして彼は私のことが好きなのではないか、と考えてしまうからだ。
けれど彼は学生時代、周囲の人にも親切だった。
元からこういう人だと言われれば、その通りなのだ。
そして、もう一つ気がついてしまったことがある。
私の妊娠期間は、まだまだ長い。
つまり、今のうちに確認しておかなければならない。
「――あの、気がついたことを口にしてもいいですか?」
「ああ」
彼の銀色の前髪が金色の目を隠した。
ふわわした髪の毛は、今日も艶やかで柔らかそうだ。
もしかしたら、この髪の毛が子どもに受け継がれるかもしれない。
楽しい未来を想像しながら、ちょっとだけ気持ちを整える。
「もしかして、生活すべてに魔法を使っていたのですか」
アレンディオ様は、目を軽く見開いた。
聞くまでもなく、答えを言っているようなものだ。
「……物心ついた頃には、魔法を使っていたから」
「まあ……!」
彼はしょげかえっている。
むしろ、無意識にそこまでの魔法が使えることを誇ってもいいと思うのだが……。
だが、私の認識が不足していたことはすぐに判明することになるのだった。
コーヒーの香り、再び割れたカップ、茶色に染まった床。
「すまない」
彼は、肩を落としながら床を拭いている。
初めて過ごした夜――翌朝のコーヒーの香りとスマートな対応。
今朝、あの朝と共通しているのはコーヒーの香りだけだ。
いや、床にこぼしてしまったためか、いつもより強く香っている。
「どちらにしても、コーヒーは控えていますから」
王立研究所から派遣された医務官のマリアさんも、コーヒーは控えたほうが良いと言っていた。
「そうなのか……」
彼は再びシュンとしてしまった。そんな姿は、とっても可愛い。
私はカップを片付ける。
二人でお揃いにしようと購入したカップだったが、すでに二つとも割れてしまった。
アレンディオ様は手伝おうとしたけれど、逆に邪魔になると思ったのか途中で手を引っ込めた。
「知らなかった。俺は、何一つできない……魔法が使えないと」
「大丈夫です。私もなんとか生きています」
「君はなんてすごい人なんだ……!」
「――んん? 確かに、今の状況からはそのように見えなくもないですね」
コーヒーカップの破片を拾って片付けてから、彼の頭を撫でて、頭頂部に口づけを落とした。
なんだか、そうしたくなってしまったのだ。
ちょっとした親愛行動だったのに、アレンディオ様の頬はみるみる赤く染まった。
私は思ったことを口にすることにした。
「――大好きですよ。たとえ、コーヒーカップを割ってしまっても」
「君は心が広い」
「そもそも、あなたが買ったカップですからね」
「カップはまた買おう。そして俺も、君が好きだ」
私の心臓が強く早く鼓動しはじめる。
「あの、いつからですか」
「初めて出会ったとき、あれは今思えば初恋だった」
「え……当時から!?」
アレンディオ様と私の出会い……。私は、初めて出会った入学式の朝を思い出すのだった。




