夫不在の新婚生活 3
――翌朝、目覚めるとアレンディオ様はすでに部屋にいなかった。
部屋から廊下に出ると、ちょうど彼がこちらに歩いてくるところだった。
今日は魔術師団の制服を着ていない……そういえば、王立学園の制服や魔術師団の制服を着ていない普段着の彼を初めて見た。
シャツにベストという姿だと、彼が身体を鍛えていることがよくわかる。
そんなことを考えてしまい、私は頬を染めた。
「朝食の準備ができている」
「ええ、ありがとうございます」
アレンディオ様がこちらに手を差し出してきた。
緊張しながら重ねると、軽く引き寄せられる。
食堂に行くと、いつも端に控えているはずの使用人がなぜか誰もいなかった。
「あれ? 皆さんどうされたのかしら」
「気を遣ったんだろうさ……」
「え?」
アレンディオ様がまじまじと私を見つめる。
「君は……大人なのか子どもなのかよくわからないが……やはり幼気な子どもだな」
「幼気な……子ども? でも私とアレンディオ様は、同い年ですよ」
「年齢は関係ない」
アレンディオ様は厚く切ってあるベーコンをフォークに刺すと、私の口に押し込んできた。
そして、私がベーコンをもぐもぐと噛んでいる姿をじっと見つめてきた。
「どうなさいましたか?」
「いや……そんなところも可愛いと思って……」
「可愛い?」
「なんでもない――ああ、そういえば、渡した予算を少しも使ってないらしいな?」
「あ……」
アレンディオ様は、ちょっぴり怒っているように見えた。
予算を浪費したならともかく、使わないで怒られるなんて予想外だ。
「あの……もしかして、予算を使ってしておくべきことがありましたか?」
もしかしたら、自分の妻にふさわしいか、予算をどんな用途に使うかというテストだったのだろうか。
執事長はドレスの予算は社交費として計上すると言ったが、やはり私の予算から払うべきだったのか。
けれど、アレンディオ様は少しだけ口元を歪めて意地悪く笑う。
「君に勘違いされるのは不本意だからきちんと伝えよう。執事長も言っていたと思うが、君に渡した予算は好きに使って構わない」
「――わかりました。筆頭魔術師の妻としてふさわしい品を買うようにします」
「……君が何を着ようが、どんなことをしようが、誰にも文句は言わせない」
アレンディオ様は、視線を上下に滑らせた。
「そういえばドレスを作っただろう? 着ていないらしいな」
「夜会やお茶会に行くようなよそ行きのドレスばかりです。普段は着ませんよ」
「……」
こんなに人から見られるのはあの夜以来だから、私の頬は知らずに赤くなる。
「食事は食べ終わったか?」
「ええ、お腹いっぱいです」
「それなら、出掛けよう」
「こんな朝から……どちらに」
「服を買いに」
手と手が繋がれる。
アレンディオ様の手は私よりもはるかに大きくて、とても温かい。
それなのに、手を引く力は、有無を言わせないほど強引で力強い。
「執事長、あの店に行く」
「馬車の用意を致します」
執事長はすぐに馬車を手配した。
――あの店だけで、通じるものなのか。
だがドレスの件があったからこそ、もう理解している。執事長は本当に有能なのだ。
そんなことを思っているうちに、あっという間に馬車の中にいた。
「あの……」
「なんだ」
「私、これ以上服なんて……」
アレンディオ様は、軽く口の端に力を込めた。
ちょっと、不機嫌なのだ。学生時代から彼の癖は変わらない。
でも、外での彼は心が読めない、冷酷で、完璧な筆頭魔術師で通っている。
私の前でだけだろうか……。それなら、彼の居心地がいい場所にはなれるかもしれない。
彼の表情の変化を気にしながら見つめていると、ようやく口が開かれた。
「――そうだな。君は、普段からフィアレ侯爵家にふさわしい装いをする必要がある」
「さっきは、好きな服を着ればいいって!」
「では、好きな服を買うか?」
アレンディオ様は、ニヤリと笑った。
でも、私が好きな服を買ったところで、格式は高くならないだろう。
彼はこう言いたいのだ。これからの身分にふさわしい服を身につけろ、と。
そう考えたら、腑に落ちた。
「必要な分、買ってください」
「君ならそう言うと思った」
アレンディオ様は、うれしそうに笑う。
その笑顔の意味もわからないうちに、お店に着いてしまった。
* * *
「お待ちしておりました」
店員たちが、整列して私たちに礼をした。
お店に買い物に来て、こんな対応をされたことがない私は、驚いてしまった。
しかもこの店は、王侯貴族でも半年待ちだと噂で聞いた。
先日、執事長がすぐにデザイナーを手配したことにも驚いたが……。
「前もって、予約していたのですか?」
「馬車の準備ができるまでの間に、執事長に指示を出しておいただけだ」
馬車が準備できるまでは、十分もかからなかった。
それにもかかわらずこの対応。
侯爵家に生まれ、筆頭魔術師になったアレンディオ様の婚約者になるのは、こういうことなのだ。
私の背は、知らずにしゃんとした。
しかし、問題はこのあとからだった。
お店に来てから三時間後。
赤、白、ピンクに黄色。水色、青、紫に銀色。
一体何色のドレスを身につけたことか。
しかも、似合わないと今まで思っていた色もちゃんと私に似合うのだ。
デザインのおかげなのか、それとも同じ色でも私に似合う色が存在するのか。
わからないけれど、わかったことがある。
――一流の店は、すごいのだ。
……そんなお店を予約なしで使えてしまう、アレンディオ様はもっとすごいのかもしれない。
「気に入ったものはあるか?」
「えっと、格式が合う物を店員さんと相談したいです」
「そう言うと思ったから、格式が高い物だけ試着させるように命じてある――彼女が着た物をすべて買い上げる」
「は……!? ちょっと、まって!」
「不服か?」
「毎日違う服を着たって、全部着ないうちに季節が変わってしまいます」
「それもそうだな」
そこで、アレンディオ様は動きを止めて手を顎に当てた。
わかってくれたようで安堵していたが、直後に彼が店員に告げたのは、想像を絶する言葉だった。
「……今日は急遽、枠を空けてもらい迷惑を掛けた。三ヶ月後に予約を頼む」
店員さんとアレンディオ様は、そのままカウンターの奥に消えてしまった。
「ちがーう!」
「フィアレ夫人、ぜひ今度は靴の試し履きをお願いいたします」
「え……?」
「ああ、サイズが合うものはすべて買い取る」
「買いません!」
店内に取り残された私は、今度は次々と靴を試着する羽目になり、結局たくさんの靴をお買い上げする羽目になるのだった。




