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魔術師様のお飾り妻のはずが身ごもりました  作者: 氷雨そら


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夫不在の新婚生活 2

「執事長、いくら潤沢な予算をいただいているからといって使い過ぎだと思うの」

「そうでしょうか? しかし、どこに行くか、誰に呼ばれたのかによってふさわしいドレスは変わります」

「それは事実ね……でも、いただいた予算は女主人として屋敷の修繕とかに……」

「あの予算は奥様がご自由に使うためのもので、修繕費用などはあらかじめ別に予算を組んでおります」

「……そうなの?」


 それにしては予算が多すぎる。確かにあれほどの金額なら、ドレスを十着買ってもそこまで減りはしないだろう。


「ああ、お伝えしそびれておりました。今回のドレスやアクセサリーについては社交費として予算を組んでおります。奥様個人の予算は銀貨一枚たりとも手をつけておりませんので」

「え……っ」

「奥様が欲しいと思われる品をご購入ください。それまで、管理しておきますゆえ」


 執事長は楽しそうに笑うと、去って行った。


 ――部屋に戻って一人になる。


 二週間前の出来事を振り返る。

 婚約者が浮気していて相手の女性が妊娠していた。

 人生でもピカイチの大事件であり、悲劇であろう。


 だが、むしろ人生の大事件はそのあとだ。

アレンディオ様に偶然会い、そして……。


「――わあぁぁ!?」


 顔を押さえて、ベッドの上で体を丸めた。

 どうしてもあの夜のことを思い出すと、恥ずかしさでいたたまれなくなる。

 夫婦というのは、みんながあんなふうに、相手を信じて全部差し出しているものなのか。


 ぼんやりとしかわかっていなかった『夫婦』という概念が、急に現実味を帯びて私に迫ってくる。


 そこで、私はピタリと動きを止めた。


 でも――私とアレンディオ様の間に子どもは生まれない。


 そのことを理解した上で、彼と結婚したはずなのに……そのことが残念でしかたがない。

 だってあの夜の先に、可愛い子どもが生まれる可能性があるってことを知っている。


「……アレンディオ様の子どもは、きっと可愛い」


 ちょっと考えてみた。銀の髪に金色の瞳。アレンディオ様に似たなら、間違いなく可愛いだろう。


 でも、子どもが生まれないとしても、隣に立って長い時間を過ごすのなら、アレンディオ様がいい。

 小さな悩み、大きな悩み、解決できない問題。


 それらすべては、彼の隣にいることに比べれば、ちょっとだけ小さいようだ。


 それは、私が彼のことを……。


 答えに名前をつけるのは、今夜はやめておこう。

 窓の外に浮かぶのは、アレンディオ様の瞳のような金色の月。

 あんな色の月を見るたびに、アレンディオ様を思い浮かべるようになったのはいつからだろう。


 ――それはたぶん、初めて会った入学式のあの日から。

 私は部屋の明かりを消して、目を閉じるのだった。


 * * *


 ――扉が薄らと開いた。


 執事長か、侍女の誰かが見回りをしているのだろう。

 起き上がり視線を向けると、そこにいたのはアレンディオ様だった。


「……アレンディオ様!」


 私はベッドから降りて彼のそばに駆け寄った。


 結婚してから二週間。

アレンディオ様はすぐに遠征に出掛けてしまったから、結婚したことはやはり夢ではないかと思わずにいられなかった。


けれど今、確かに私の前にアレンディオ様はいる。


「お帰りなさいませ」

「ただいま……起こしてしまってすまない」

「いいえ……」


 一応、ここは夫婦の部屋と言うことになっているのだから、私の部屋であると同時にアレンディオ様の部屋でもあるのだ。それに、夫が遠征から帰ってきたのに、のんきに寝ているなんてできない。


「――ところで夕方から寝ていたらしいが大丈夫か? この屋敷に来てからというもの、休むことなく帳簿を確認したり、使用人を把握したりと多忙だったようだが」

「何かできることを探さないと、この家でこれからも暮らすんですから」


 外はもう真っ暗だ。何時なのかはわからないが、真夜中に違いない。

 アレンディオ様こそ、遠征で疲れているはずだ。


「――ふ、君はそういう人だったな」


 アレンディオ様が薄く笑う。

 彼の笑顔が好きだ。でも、彼にとって私は都合が良かったから結婚しただけの相手なのだ。


 胸がチクリと痛んだ。でも、こうやって胸が痛むのは、学生時代から慣れている。


 この痛みには、名前をつけないと決めていた。

 それなのに、今になって名前がついてしまった。


 これは叶わない『恋』の痛みなのである。

 夫に恋をする。ああ、でも夫なのだから、恋をしても許される。


 これは私にとっての免罪符だ。

 愛されることを望まなければ、愛することは自由なのだ。


 アレンディオ様は、これから先も家族として私を大事にしてくれるだろう。

事実、使用人たちは皆、私のことを尊重してくれる。


 それはきっと、アレンディオ様が指示してくれているからだろう。


「どうした、ぼんやりして……早く寝た方がいい」

「夜中に起きるくらい、なんともないって、アレンディオ様なら知っているでしょう?」


 学生時代は、成績を落としたら奨学金がもらえなくなってしまうから必死だった。


「そうだったな――君はほどよいところで止めないと、根を詰めるんだった」

「ふふ……それはむしろ、アレンディオ様に当てはまると思いますけど」


 そんなことを思って言い返すと、アレンディオ様は懐かしそうな表情を浮かべ、直後に真顔になった。


「とりあえず、寝るか……」

「えっ、ええ……そうですね」


 アレンディオ様はロングコートを脱ぐと、ソファーに投げた。


「さすがに遠征から帰ってきてそのままでは汚いな。シャワーを浴びてくるから、君は寝ているといい」

「え……ええ」


 もしかすると、このお屋敷に来てから今が一番緊張しているかもしれない。

 ベッドに横になって、アレンディオ様が来るのを待つ。


 しばらくすると、扉が再び開いてアレンディオ様が戻ってきた。


「それでは……おやすみ」

「え?」


 あろうことか、アレンディオ様が夫婦の部屋から去って行こうとした。

 もちろん、お疲れだろうし真夜中だから、何かがあると思ったわけではない。


 ――けれど母が言っていたのだ。


 夫婦円満はまず一緒のベッドに寝るところから、だと。

 喧嘩しても何をしても、可能な限り一緒に眠れ、と。


「アレンディオ様!」

「……シエラ?」


 アレンディオ様は、少しだけ怪訝そうな表情を浮かべて振り返った。

 私はベッドに横になると、ブランケットをそっと持ち上げる。


「……」

「……夫婦は一緒に寝るものだと、母が言っていました」

「ん……? 君はそれでいいのか」

「あ……お飾りの妻とはそういうことはしたくないということでしたら」


 アレンディオ様はちょっと怖い顔になって、それから私の隣に潜り込んできた。


 温かくて、このお屋敷でいつも使っている優しい石けんの香りが漂う。

 それだけではない……アレンディオ様ときたら、とても良い香りがするのだ。


「おやすみなさい」

「ここまできて寝るとは……あの夜は夢だったのかと思わざるを得ない」


 アレンディオ様のあきれたような声が聞こえてきた気がした……。

 けれど、そのとき私はすでに夢の中だった。


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