夫不在の新婚生活 1
お屋敷に住み始めて、二週間が過ぎようとしていた。
「結婚って、もっと大変で苦労が多いものだと思っていたわ」
事実、アレンディオ様との結婚により、環境は激変した。
まず住んでいる場所の大きさが、十倍になった……いや、十倍どころではない。
部屋数が百個くらいあるのだ。住み始めて二週間過ぎたが、まだ屋敷の構造を完全に把握できていない。というより、しょっちゅう迷子になって通りすがりの使用人の皆さまに助けてもらっている。
アレンディオ様は、あのあとすぐに国境付近に発生した瘴気の調査のために王都を離れてしまった。
婚約解消を宣言された直後に、たまたまアレンディオ様と遭遇して、結婚を申し込まれ、一晩一緒に過ごした。次の日には両親に挨拶して、中央神殿長に結婚の手続きをしてもらった。
何もかもが夢のようだったが……。
「――そういえば、アレンディオ様のご家族に許可を得ていないわ!? それどころか、挨拶すらしていない!」
手元のベルを鳴らす。人を呼びつけることには慣れないが、そのようにしてほしいと使用人たちに頼まれているのだ。
「奥様、お待たせいたしました」
「執事長! 私とアレンディオ様の結婚をフィアレ侯爵家の皆さまにお許しいただいていないわ!」
「……」
「執事長?」
「問題ございません」
執事長はニコリと微笑んだ。
彼はとても仕事ができて誠実で尊敬できる人だが……仕事が早すぎるのと察するのが上手すぎて、逆に何を考えているのかがわからない。
「フィアレ侯爵家は魔術師の大家でございます」
「ええ……確かにそうね」
執事長が言ったことは事実だが、今回の話との繋がりはまだ見えない。
「魔力が高い魔術師は、どんな願いでも叶えることができます。そして、世界を守る役目を担います」
「――確かにそうね」
アレンディオ様を見ればわかる。彼は手に入れられないものなどないし、この王国の平和を守る役目を担い続けている。
「だからこそ、世界の中心に大切な何かを定める必要があるのです」
「それは……わかるような気がするけれど……」
「地位、金、名誉、力……何もかも手に入れられるのなら、中心に据えられるものなどこの世界にはあとひとつしかございません」
「それは……?」
「愛でございますよ、奥様」
執事長の言うことは理解できなくもない。
だが、彼は重大な勘違いをしている。
――アレンディオ様にとっての私は、お飾りの妻なのである。
執事長の話を総合して判断するなら、せめて煩わしさを可能な限り減らして生きていきたい……それがアレンディオ様の願いなのではなかろうか。
けれど、このお屋敷の使用人たちは、執事長だけでなく皆が女主人ができたことを喜んでいる節がある。
――言えない。みんな喜んでいるのに、私はお飾りの妻ですなんて……。
結局、本当のことを言えないまま、少しの罪悪感とともに毎日を送る私。
彼らは有能で親切で非の打ち所がなく、このお屋敷で過ごす日々はとても快適だ。
「そういえば……」
「どうなさいましたか?」
お飾りの妻のはずなのに、一つだけ困惑していることがあった。
それは、お金のことだ。
「ちょっと、執務室に一緒に行ってもらえるかしら」
「もちろん、喜んでお供させていただきます」
アレンディオ様は、屋敷の帳簿の管理をすべて私に頼んで遠征に行ってしまった。
もちろん、帳簿の管理は一通りできるだろうが……いくら妻に迎えたからと言って、卒業以来三年ぶりに会った私のことを信用しすぎではないだろうか。
だが、文句を言おうにも当の本人は魔獣との戦いの最中。
私にできることと言えば、与えられた役割をきちんとこなすことと、彼の無事を祈ることくらいだ。
あれこれ考えているうちに、執務室に着く。
机の上には一冊の帳簿が置いてある。
そこには目を疑うような金額が書いてあるが……まだ使ってないので一行のみだ。
「こちらは……奥様個人の予算でございますね」
「執事長、この予算は自由に使っていいのよね?」
「ええ、奥様が望むことはすべて叶えるようにと命じられております」
それにしても、普通の女主人の予算と比べて、金額が二桁くらい違う。
一年遊んで暮らしてもまだ余る額だ。
それなのに、この額はたった一ヶ月分なのだという。
何に使おうか……いっそ、何も使わないのが楽だ。
だが、このままでは毎月予算が増え続けてしまう。実際、まったく使わないまま半月が過ぎようとしている。
そこで母の教えが浮かんだ。
「私の予算の管理は、執事長にお任せするわ」
母は、いつも言っていた。
『無理に全部自分でしなくていいの。頼る相手がいるのなら頼ればいいわ』
事実、母が倒れるまでは流行病が蔓延していても領地経営は何とか回っていた。
母は周りの人と協働するのが上手いのだ。
「お願いできるかしら?」
執事長は、ちょっとだけ目を見開いてから、心なしか胸を張って「お任せください」と言った。
彼に任せておけば、万事問題ないだろう。
「では、早速ですが社交のためのドレスを用意させてくださいませ」
「お任せするわ」
「ええ、では早速デザイナーに連絡いたしましょう」
執事長はうれしそうに去って行った。
「デザイナー? 既製品じゃないのね」
私は筆頭魔術師の妻になったことを、今までとはまったく違う生活やお金の使い方で実感しつつある。
アレンディオ様は庶子とはいえ、侯爵令息なのだ。
貧乏で庶民とほとんど違わない生活をしている男爵家生まれの私とは何もかもが違うだろう。
侍女が現れて、着替えを手伝い、髪を整えてメイクしてくれる。
といっても、私の服は未だ実家から持ってきたドレスと言うよりワンピースという名称が似合うものばかりだ。
「奥様、楽しみですわね」
「そうね……普段着というのもね。社交に出たときにアレンディオ様が恥をかかない程度には、揃えておかないとね」
「そうですね。きっとお喜びになりますわ」
このお屋敷の使用人たちは皆、とても親切で誠実だ。
アレンディオ様にふさわしくないと遠巻きにされるだろうと予想していたが、女主人として尊重されている。
「あ、いらしたようですよ」
「え? 誰がいらしたの」
「デザイナーです」
「早すぎるわ!?」
執事長が部屋を出てから、十分程度しかかかっていない。
「採寸が必要ですね。おそらくもう部屋の準備も整っているはずです」
「使用人たちが有能すぎる……」
「アレンディオ・フィアレ様の屋敷の使用人たるもの、当然ですわ」
「……これが……当然のレベル!?」
大変なところにお嫁に来てしまったかもしれない。
もっと女主人としてのあれこれを真剣に勉強しなければ。
そんなことを思いながら部屋に向かう。
室内は、思った以上に大事になっていた。
そこには、すでにトルソーが置かれ、デザイナーだけでなく商人たちまで集まっていた。
王都中から集めてきたように、色とりどりの布が並んでいる。
レースにリボン、ビーズに宝石。部屋中がキラキラと輝いているようだ。
圧倒されているうちに、私抜きで話が進み、気がつけば十着ものドレスを注文する羽目になっていた。




