筆頭魔術師様のお飾り妻 2
「……婚約が解消になった?」
アレンディオ様が、眉根を寄せた――彼が、こんな表情を見せるなんて珍しい。
ワインはもうすでに、半分ほど空になっている。
グラスを手に淡々と語った私本人より、彼のほうがショックを受けているようだった。
「ええ、そうなんです……相手が浮気相手と子どもができたそうで」
「――それで、黙って帰ってきたのか?」
アレンディオ様が私よりも怒ってくれているからか、今になってふつふつと怒りが湧いてきた。
なんとなく、私が悪いと言いたげだったが、そもそもレオン様と私は夜をともにすらしていない。
だから、あれは自分を正当化するための言葉だったのだろう。
私は残ったワインを一息で飲んでから、口を開いた。
「――愛の結晶を大事にしたいそうです」
「……君が子ども好きなことを利用して、婚約を有責で解消する際の慰謝料から逃げようという魂胆が見え見えだ」
「……」
「君は人が良すぎるからな」
アレンディオ様が言うほど、私は善良な人間ではない。
むしろ、善良なのは彼のほうだろう。
だが、不思議なことに彼にはまだ婚約者がいない――こんなに格好良くて性格も良くて筆頭魔術師という地位にいるにもかかわらず。
「君は、次の婚約者を探すつもりか?」
「ええ、ところで――アレンディオ様こそ、まだ婚約しないのですか?」
アレンディオ様は黙り込み、しばらくの間、グラスを見つめた。
そして、一息にワインを飲み干した。
「庶子だから、家督争いに加わらずにすむし自由に過ごしている」
「そうですね……学生時代にも、そう仰ってましたね」
「ああ……この人生は、魔術と王国の平和に捧げようと決めていた」
――魔法に関する彼の才能は本物だ。彼は、この国の魔術師の最高峰である筆頭魔術師に任命されている。
銀色の髪は月の光のように美しく、金色の瞳は……お日様と言うには少し冷たい印象だ。
彼は筆頭魔術師としての責任と王国への忠義に人生を捧げるつもりなのか。
彼の地位や美貌を考えれば、周囲が放っておくはずがない。
それは学生時代から変わらないだろう……。
学生時代、彼はよくモテた――だが、少しばかり女性が苦手な印象だった。
もちろん、先ほどの言葉は本音なのだろうが、それがすべてでもない気がした。
けれど、これ以上聞くのは彼のプライベートに踏み込み過ぎかもしれない。
そんなことを考え、私は話題を変えることにした。
「それにしても、婚約解消された直後に偶然お会いするなんて……遠征に行ったと聞いていました」
「……丁度戻ってきたところだったんだ。それにしても浮気とは。確かに君の家は資金繰りに困っているようだったが、彼は子爵家の三男。貴族と結婚しなければ平民になる。だから、君の家の状況は理解した上で婚約を決めたはず」
「よくご存じですね。私たちが結婚した後は、我が家と男爵領に支援してもらえることになっていました……でも、お相手の女性は平民のようでしたし、きっとそこまで貴族籍に興味がなかったのでしょう」
「国王陛下の意向もあったはずだ」
「ええ……」
私の家、リエール男爵家は流行病の蔓延のせいで落ちぶれてしまっているが、元々は土壌の良い豊かな土地だ。
国王陛下はリエール男爵領が立ち直れば、国の為にもなると計算したのだろう。
――アレンディオ様と私はしばらくの間、黙り込んだ。
「つらい思いをしたばかりなのに、聞きすぎたな……」
アレンディオ様が言葉を濁す。
社交界では、貴族家の没落や婚約の事情などは格好の噂話のネタだ。
このあとは、面白おかしく噂されるに違いない。
――やはり、次の婚約者を見つけるのは難しいだろう。
リエール男爵家は、私が子どものころまでは羽振りが良かったが、領地に流行病が広がり荒れ果ててしまった。今は回復しているが、当時は母も病に倒れたことも災いした。
それでも私が王立学園に入学できたのは、奨学金制度を利用できたからだ。
けれど、どれほど努力しても幼い頃から家庭教師に習っている者が多い学園で成績上位になることは難しかった。それでもなんとか、奨学生のまま卒業できたのは、同じクラスだったアレンディオ様が、苦手な教科を教えてくれたからだ。
――でも私が特別だったわけではない。アレンディオ様は誰に対しても紳士的で親切だった。
軽く深呼吸してから答える。
「……仕方ないと思います。私には魔力がほとんどないですから」
「――は?」
アレンディオは、眉間のしわをますます深くした。
彼がこんな表情を浮かべることは少ないから、ちょっと驚いてしまう。
――そういえば、彼は学生時代、私に魔力がほとんどないことを知ったときも気にするような素振りは見せなかった。
だからこの表情は私が自分を卑下したせいだろう。
それだけ親身になってくれたということだ。
「でも、事実です――貴族には私と同じくらいの魔力量の人なんていませんから、もう一度婚約者を見つけるのは難しいと思っています」
アレンディオ様が、私のことをじっと見つめた。
あまりに長時間見つめられたため、私はどうしていいかわからずに頬を赤らめる。
しばらく私を見つめてから、アレンディオ様はようやく口を開いた。
「……そうだな。君には魔力がほとんどない。そして、子どもが好きだから、魔力の釣り合いがとれる相手と婚約したはずだ」
「事実ですね。でも、残念なことに婚約は解消となりました」
私はグラスを傾けて、ワインを飲み干した。
普段はお酒なんて飲まないけれど、今日くらいはいいだろう。
少しの酩酊感。アレンディオ様が、黙ったままワインをさらに注いでくれた。
いつの間にか、私はかなりの量を飲んでしまったのだった。
* * *
ウィンター子爵家の三男であるレオン様との婚約が決まったのは、家同士の繋がりや爵位の継承問題もあるけれど……。
一番の理由は――魔力の量が同じくらいでなければ、子どもができにくいからだ。
その理由については解明しきれていないけれど、子どもでも知っている常識だ。
貴族にとっての結婚の決め手は、家格、お金、名誉、そして何より大事なのは魔力量が近いこと。
子どもができなければ、後継者を得ることもできない。家の存続を考えれば、死活問題なのだ。
「もう……私の代でリエール男爵家は叔父様たちに譲るしかないわ……」
「災難だったな。やり返したいのなら、力を貸すが?」
「結婚間近に浮気するような人とはもう関わりたくない……。領民たちの生活を守るためにも、次の婚約者を探さないといけないけど、私と同じくらいの魔力量の人なんていないし……」
「――そうか」
アレンディオ様は、しばらくの間考え込んでいた。
「君は……どうしても、自分の子が産みたいか?」
「え……?」
顔を上げると、アレンディオ様の表情は思ったよりも真剣なものだった。
酔いが少し醒めてくる。私は彼を見つめ、次の言葉を待った。
「君が子ども好きなことは理解している。だが、貴族で君と同じくらいの魔力量の人などほとんどいないし、庶民相手では……俺の生まれを知っている君ならわかるだろう?」
「……」
「子どもを育てたいなら、養子を迎えるという方法もある」
彼の母親は屋敷に勤めていた侍女だという。彼が生まれてすぐに母親は別邸で暮らすことになった。
本当は彼も母親と一緒に別邸で暮らすはずだったが、強い魔力量を持って生まれたため、フィアレ侯爵家の本邸で暮らすことになったのだ。
幸いなことに家族仲は悪くなかったようだ。
けれど、その出自のせいで、筆頭魔術師になるまでは苦労してきたことを私は知っている。
「私自身は、お相手が平民でも良いのですが……」
「確かに君は俺の出自を話したとき『そうなんですね』としか言わなかったな」
「だって……アレンディオ様はアレンディオ様ですし……」
「そうだな――だが、あのときは話を聞いてもらえただけで十分だった」
不思議なことに、彼は目を細めて少し泣きそうな顔をした。
「子どもが絶対にほしいか?」
「――選べる立場ではありませんし、仮に魔力量が近い人と結婚したとしても、子どもができるとは限りません」
アレンディオ様の喉が渇きを潤すように上下に動いた。
これから彼が何を言おうとしているのか、まったく予想がつかず否応なしに緊張が高まっていく。
「俺と君で結婚するのはどうだろう」
「え……?」
私は目を丸くした。
確かにアレンディオ様は魔力の量が多すぎるから、そういう意味で釣り合う相手なんていない。
彼と結婚したのなら『子どもができなくても当然だ』と周囲は見るだろう。
そのことを想像したら、ちょっとだけ気持ちが軽くなるような気がした。
けれど、貧乏男爵家の長女でしかない私と、侯爵家に生まれ、今や筆頭魔術師にまで上り詰めたアレンディオ様では釣り合わない。彼は魔力量を気にせずとも、いくらでも相手を選べる立場にある。
「でも……」
「君と俺には子どもは生まれないだろうが……妻としては大事にするつもりだ。少なくとも浮気はしない」
「……アレンディオ様は、女性が苦手ですものね」
私は、しばらくの間考え込んだ。
アレンディオ様は、学生時代から女性嫌いなところがあった。
もちろん表面的には誰にでも平等で優しかったが、女性を近づけようとしなかった。
私と友人関係にあったのは、魔術研究という共通の目的があったことと、成績順で決まるバディの関係にあったことと、身分差も魔力差も大きい私が、恋愛など考えずに済む気楽な相手だったからに違いない。
彼ほどの人だ。婚約の申し込みなど星の数ほどあるだろう。
アレンディオ様は――お飾りの妻を迎えれば、そういった煩わしさから解放される?
……ようやく疑問が氷解した。
彼は結婚に興味がないが、女性関係の煩わしさから解放されるためにお飾りの妻を欲しているのだろう。
アレンディオ様が眉根を下げる。
――懐かしい。学生時代にもたまにこの表情を見たわ。
その表情は、今も変わらず可愛らしい。
「君は――俺が相手では不服か?」




