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魔術師様のお飾り妻のはずが身ごもりました  作者: 氷雨そら


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光と闇の精霊 1

 季節は晩秋に差しかかろうとしている。

 私のお腹はすっかり大きくなった。医務官のマリアさんも、もうすぐ生まれるだろうと言っていた。


「アレンディオ様?」

「君は座っていたほうがいい」

「ある程度は動いたほうがいいと、マリア医務官も仰っていたでしょう」

「だが……」

「アレンディオ様こそ座っていてください。ずっと働き通しだって、知っているんですからね」

「――魔力が多い人間は、そうではない人間より体力が……」


 アレンディオ様の言葉に、私は想わずムッとしてにじり寄る。

 彼はどうして私がこんな表情を浮かべているのかわからないのか、困惑した顔になっている。


「寝てるとか、食べてるとか、魔力や体力があるとか、そういう問題じゃないんです!」

「そのほかに、一体何が……?」


 アレンディオ様は、本当にわからないのだろうか。


「心です!」

「心?」

「ええ……心が疲れてしまうんです!」


 私は胸に両手を当てた。

 彼は不思議そうに私の手を見つめる。


「――魔力の循環が確かに悪くなる? 精神状態は魔力と密接に関係しているから……」

「そういう問題じゃないんですけどねぇ……」


 確かに、学術的に分析すればそういうことになるのだろうが、私が言いたいのはそういうことではないのだ。


「……あら? でも、それでアレンディオ様が休息を取るなら、それでもいいのかしら」

「確かに、君が言いたいことは少しのんびりしろということだろうに、分析するのは違ったか」


 私たち二人の考え方は、かなり違う。

 けれど、夫婦として一緒に過ごしていると、不思議なことに同じ結論になることも多い。


「では、昼寝しようか……一緒に」

「えっ」


 胸に当てたままだった手をアレンディオ様が掴んだ。

 引き寄せられると、アレンディオ様の胸に頬がぶつかる。

 お腹を潰してしまわないようになのか、彼の腕の力は緩い。


 昼間だというのに、寝室に向かうのはちょっぴり背徳的だ。

 といっても、私たちがこれからするのはお昼寝なのだ。


「おいで、シエラ」


 アレンディオ様は、さっさとベッドに入り込むと、ブランケットを持ち上げて私を誘う。


「……は、はい」


 顔が赤くなってしまう。アレンディオ様とは、夫婦の部屋で一緒に寝ているのだけれど、未だにそのことに慣れない。


 カーテン越しに部屋を照らす光に、アレンディオ様の白銀の髪と金色の瞳が照らされている。

 美しいな……そんなことを思いながら、少し緊張してベッドに潜り込む。

 でも、妊娠してからとっても眠いのだ。


 今日は朝から屋敷の女主人としての仕事をして、散歩もして、少し庭いじりもした。

 昼ごはんを食べたら、眠くてしかたがない。


「アレンディオ様……温かい」

「うん、君も温かいな」


 お腹が大きいから、仰向けもうつ伏せもできない。

 いつも横になって寝てるから、ちょっと腰が痛い。


 やはりアレンディオ様は、お腹を潰さないようにそっと私のことを抱き寄せた。

 密着しているわけではないのに、とても温かい。

 アレンディオ様の手のひらが、私のお腹をそっと撫でる。


「俺の手を……蹴り返してる」

「そうですね。きっと、あなたの声を覚えているはずです」

「俺の……声?」


 お母様が言っていた。お父様は私が生まれるまで、毎日ずっとお腹に話しかけていたらしい。

 生まれた赤ちゃんは、お母様の声だけでなく、お父様の声にも反応していたらしい。

 医務官のマリアさんに聞いてみたら『そういえば、そうかもしれませんね』と呟いていた。


 ――アレンディオ様は、とても忙しいけれど、こうして時間を作っては私と赤ちゃんに話しかけている。だからきっと、赤ちゃんもアレンディオ様の声を覚えているに違いない。


 それはとても、幸せで温かい想像だ。

 そっと髪を撫でられ、優しく額に口づけされる。

 温かくて安心なベッドの中。私はいつの間にか、眠りに落ちていた。


 * * *


 ――目が覚めると、夕方になっていた。


 いつもより、長めにお昼寝してしまったようだ。

 すでにアレンディオ様は、ベッドにいなかった。


 彼は忙しい。きっと、持ち帰った仕事をしているのだろう。

 寝かしつけられた子どもみたいだな……と思いながらベッドを降りる。


「少しは、アレンディオ様も休めたのかしら」


 ポツリと呟いて、寝室を出る。

 おそらく彼は、執務室にいるはずだ。

 私は、いくつもの扉と大きな窓が左右に並ぶ長い廊下を歩き出した。


 予想通り、アレンディオ様は執務室で書類とにらめっこをしていた。


「……起きたか」


 アレンディオ様は、書類の確認を中断して立ち上がり使用人を呼ぶためのベルを鳴らした。

 すぐに執事長が部屋に現れる。


「何か飲み物を……そうだな、温かい物が良いか」

「かしこまりました」

「君はここに座るといい」

「ありがとうございます」


 アレンディオ様は椅子を引いてきて、私が座れるようにしてくれた。

 彼の過保護さは、増すばかりだ。

 学生時代には、こんなにも過保護な人だとは思いもしなかった。


 ――本当に?


 改めて思い返してみれば、彼は案外過保護だったかもしれない。


 雪の日に教室に入れば、魔法で暖められていたし、雨に濡れれば魔法で乾かしてもらえた。

 ただ、そうしてもらったのが私だけではないから、わからなかっただけだ。

 そう考えると、私に対してだけ過保護なわけではないのかもしれない。


 お腹に触れてみる。今日もこの辺りに闇の精霊は張り付いているのだろう。

 私には精霊は見えないけれど……この子はいつか見えるようになるのだろうか。


「……早く会いたいですね」


 お腹を撫でながら呟く。すると、机の上に積み上がっていた書類の一部がバサバサと宙を舞った。


 窓に視線を向けるが、キッチリと閉まっていた。

 だが、確かに部屋の中を空気が対流している。


 どこから吹き込んできているのだろうか。

 アレンディオ様は、床に落ちた書類を拾いながら苦笑した。


「風の精霊が……いたずらしているようだ」

「精霊が……?」

「風の精霊はほかの精霊たちに比べていたずら好きだ。おそらく、お腹の子どもに高位の精霊である闇の精霊がついているから気になっているのだろう」

「まあ……! アレンディオ様にいつも力を貸してくれる精霊ではないのですか?」

「いや……俺に手を貸してくれる精霊は、千年近くの時を過ごしてきた精霊が多い。あの風の精は生まれて間もないようだ」


 アレンディオ様は、書類が積み上がった机をじっと見つめた。

 私もその場所を見たが、爽やかな風を感じるばかりでその姿は見えない。


「アレンディオ様には、風の精霊が見えるのですか? でも、私のお腹に張り付いているという闇の精霊は見えないのですよね?」」

「闇の精霊は高位の存在だから、契約でもしなければ見えないだろう。だが、四大元素の精霊たちの姿なら見ることができる」

「どんな姿をしているのですか?」

「基本的に精霊は属性に合わせた色合いの光の玉に見える。高位の精霊では、具体的な形がある場合もある」


 アレンディオ様は、何もない空中に手を差し出して、何かを撫でる素振りをした。

 すると、部屋を照らしていた魔導ランプの光が強くなった。


 おそらくこれは、アレンディオ様のそばにいる光の精霊が引き起こしているのだろう。


「しかし、こういたずらされては困るな……だが、魔法が使えない以上、俺のほうが上であると序列を教えるのも困難だ」

「……」


 ここで、王立学園の魔術の授業で習った内容を思い出す。

 精霊は基本的には人より高位の存在だ。


 彼らはときに信じられないようないたずらをしたり、災害を起こしたりすることがある。

 だがそれは、自然の一部である彼らが人の価値観を理解できないからなのだ。


 ――彼らをコントロールする方法はただひとつ。


 彼らよりも彼らを従わせる魔術師の序列が上であると、魔法の力で理解させることだ。

 私が妊娠して魔力酔いを起こすため、彼は私のそばでは魔法を使わない。

 だから、精霊たちのいたずらに対処することもできないのだ。


「……でも、私にも闇の精霊がついていたのですよね? いたずらはしていませんよ」

「……それは」


 アレンディオ様は、少しだけ重苦しいため息をついた。

 そして、執務室の本棚に歩み寄り、一冊の古びた本を取り出した。


「光と闇の精霊と人との関係――神代の資料から紐解く一考察?」

「さすがだな……魔術師でもこの文字が読める者は少ないというのに」

「学生時代に習ったじゃないですか」

「授業じゃないだろう」

「……あ、そういえば……アレンディオ様から習ったのでした」


 私とアレンディオ様は学生時代、学校が指定するペアであったこともあり、よく一緒に勉強をしていた。

 古い魔術書を読むために必要な言語の基礎はアレンディオ様に習い、その後は独学で習得した。

 おそらく、題名だけではなく本文も八割程度は理解できるだろう。


 とはいえ、王立学園時代に、奨学金をもらい続けるために猛勉強した結果だ。貧乏男爵家では、本は高すぎておいそれとは買うことができない。


 ――そういった意味では、このお屋敷は図書室が充実していて、永遠に引きこもれそうだ。


「すまないが、どうしても終えなければいけない書類がある。君の疑問への答えは、その書籍に書いてあったはずだ」

「ありがとうございます」

「あまり根を詰めるな。疲れたら横になってくれ」

「失礼いたします。お茶をご用意いたしました」

「ああ」

「ありがとう、執事長」


 お茶は妊婦にも優しいといわれる、異国のお茶だった。

 穏やかで優しい香りがする。


「水分をとったほうがいい、お腹が空いたら執事長を呼ぶように。それから……」

「子どもではないので、自分で頼めますよ」

「そうかもしれないが……君は、読書や勉強では時間を忘れるからな」

「……」


 ぐうの音も出ない。アレンディオ様の言うことが事実だからだ。


「そうですね……赤ちゃんに負担がかかったら大変ですから」

「そうだな。だが、君の体も大事だ」

「ありがとうございます。気をつけますね」


 微笑みかけ、お茶を一口飲む。

 優しい味がする。アレンディオ様はこのお茶を、わざわざ取り寄せてくれたのだ。


 本を読み始めると、不思議なことに自然とページがめくられていった。

 そよそよと風が吹いて心地よい。


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