赤ちゃんと魔力酔い 4
お腹が大きくなったから、歩いていても地面が見えない。
アレンディオ様が心配そうについてくる。
でも、髪の毛は侍女が洗ってくれるし、着替えだって手伝ってもらえる。
赤ちゃんが生まれれば、きっと忙しくなるだろう。
「アレンディオ様、お城に行かなくては……」
「もう少し一緒にいたい」
アレンディオ様は、家にいるときはまるで子どものようだ。
少しだけわがままだと思うこともあるけれど、それすら可愛い。
彼はひざまずいて、私のお腹に耳を押し当てた。
「心臓の音が……聞こえる」
アレンディオ様は、しばらくの間、お腹の中の音を聞き、ようやく仕事へと出掛けていった。
* * *
穏やかな昼下がり。
赤ちゃんはいつ生まれるだろう。
もう生まれても良い時期になっている。けれど、人によってずいぶん違いがあるらしい。
「――少しだけ、張るかしら?」
キュッとお腹が収縮することが増えてきたかもしれない。
出産になれば、お医者さんが来てくれることになっているし、母も来てくれる予定だ。
まだ想像がつかないから心配なことは心配だけれど……きっとなんとかなるだろう。
そんなことを思いながら、庭で空を眺める。
美しく高い空。どこまでも青く澄み渡っている。
私は外の空気を存分に吸ってから、屋敷の中へと戻るのだった。
* * *
――小さな問題はあったとしても、概ね平穏な日々が過ぎていった。
「順調ですね」
「良かった」
診察してくれるのは、王立魔術研究所の医務員マリアだ。
彼女はとても親切だ。だが今日は、彼女の後ろに知らない男性がいる。
「……君が、フィアレ君の奥方か」
「……えっと、初めまして」
健診にマリアとともに現れたのは、白衣に身を包んだ男性だった。
淡い水色の髪と瞳をしているその人は、細身の眼鏡で知的な印象だった。
「――初めまして。ノーランド・シェルと言う。王立魔術研究所の所長を務めている」
「王立魔術研究所の……所長?」
私は慌てて、礼をしようとした。
王立魔術研究所と言えば、この国の魔術医療全般、魔術師による防衛、魔術の研究による国の発展すべての中心となる巨大な組織だ。
そんな組織の所長となれば――国王陛下ですら無下にはできない権力を持つ。
「やめてくれたまえ。妊婦にお辞儀などさせる趣味はない。よろしければ、ノーランドと気軽に呼んでくれたまえ」
「では、私のことはシエラとお呼びください」
「……それは、遠慮しておこう。魔術師というのは総じて嫉妬深い。フィアレ夫人と呼ばせていただく」
「……?」
「君は、あのアレンディオ・フィアレ君の奥方……彼を敵に回してしまったら面倒なことになる」
「は、はあ……」
アレンディオ様は、最近は私の前で魔法を使わない。
しかも、毎日何かしら失敗をしてしょげかえっている可愛い人だ。
だから、つい忘れてしまいそうになるが、彼はこの国の魔術師の頂点、筆頭魔術師の地位に立っているのだ。
筆頭魔術師は魔術師を統べる存在であり、この国の研究機関の頂点である王立魔術研究所所長に匹敵する権力を持つ――らしい。
――本当に、あの可愛い人が筆頭魔術師なのだろうか。
不思議でしかたがないが……。
「さて、今日来たのはほかでもない。魔力酔いについてだ」
「……魔力酔い、ですか?」
アレンディオ様の魔力とおそらくお腹の赤ちゃんの魔力が影響して、ひどいつわりのような症状が起こったが――彼が魔法を使わなくなってから、症状はまったくない。
だから、王立魔術院の所長であるノーランド様がいらっしゃったのは、私の治療のためではないのだろう。
「所長、説明もなく失礼ですわ」
「マリア君……」
「フィアレ夫人、所長が失礼いたしました。実は、胎児が原因で魔力酔いが起きることは、とても珍しいのです」
「……そのようですね」
気分が悪くなったのは、一回だけだったから、本当に赤ちゃんが原因なのかはわからない。
しかし、わざわざ王立研究所所長が来るほどのことなのだろうか。
「失礼だが、君とフィアレ君の間に子どもができたのも不可解だ」
もしかして、疑われているのだろうか。
事実、私とアレンディオ様は魔力量が大きく違う。
子どもができる可能性は、限りなく低いのだ。
「ああ、そんな顔をしないでくれたまえ。ただ、不思議に思っただけだ」
「ええ……」
「高位の魔術師ほど、子どもができにくい。しかし、魔力量は基本的に遺伝の影響が大きい」
それは、王立学園の初等魔術学でも習った。
アレンディオ様が生まれたフィアレ侯爵家は、魔術の大家だ。
だが、彼の父であるフィアレ侯爵と義理の母である侯爵夫人は魔力がそこまで多くない。
アレンディオ様の母違いの二人の兄も、魔力が多いとは言えない。
このため、庶子として生まれたアレンディオ様は、幼いころに母と生き別れになった。
――幸いなことに、家族たちとの関係は悪くないらしい。
侍女である母親とは会えないものの、彼女も生活は保障されているという。
「……フィアレ君の魔力は光属性。しかし、魔力酔いが起こっていると仮定すれば、お腹の中の子どもは闇属性だ」
「……そうなりますね」
しかし、子どもが闇属性であることは、ある程度の年齢になるまでは隠そうと思っていた。
もちろん、医務員のマリアが知っているのだから、彼女の上司であり王立研究所の所長でもあるノーランド様が知っているとしてもおかしいことではないのかもしれないが……。
「それで、どのようなご用件でしょうか」
「うん、とりあえず血を採らせ……ぐあ!?」
ノーランド様が後頭部を押さえた。
分厚い本で彼の後頭部を小突いたのはマリアだ。
「所長、ちゃんと説明してください。できないのなら、二度と同行させませんからね」
「マリア君……」
「――医務員法第三十二条。特級医務員は、治療するにあたり、患者の権利を守るため、必要に応じて現場での判断を単独で行うことができる。ここは現場ですよ……」
「そうだな。君は特級医務員だ。そして、ここでは患者の治療に関する権限は、君にある」
「よろしい……。所長に説明させると埒が明かないので、私から説明させていただいてもよろしいでしょうか」
「ええ……お願いします」
マリアさんのことは信頼している。しかも彼女は、アレンディオ様が自ら連れてきてくれた医務官だ。
「実は……光属性の親から闇属性の子どもが生まれたという記録は、建国神話以来存在しません」
「は……?」
私は呆然とマリアさんを見つめた。
黒髪をキッチリまとめた真面目な印象の彼女は、こんなことで嘘をつくような人には見えない。
「建国――神話?」
建国神話なんて、千年以上昔の話だ。
当時はすべての人間が精霊の姿を見ることができたというし、今は失われてしまった多くの魔法が存在したという。
「フィアレ君が、光属性の魔力に加えて複数の属性を持つのは、精霊の力を借りているからだといいます。あなた様を調べれば新たな事実がわかるかもしれません」
「私は……ほとんど魔力もなくて……」
魔力が少なくても、男爵領では大切にされていて、自分を卑下することはそこまでなかった。
けれど、貴族で魔力がほとんどなければ、周囲から貶められるのも事実だ。
「少しですが闇の魔力をお持ちのようです。それに……精霊に、愛されているかもしれません」
「え……?」
「フィアレ様が多数の精霊から力を受けたのは……夫人と出会ってからです」
「シエラ!」
そのとき、部屋の扉が勢いよく開いた。
血相を変えて飛び込んできたのは、アレンディオ様だった。
彼は杖を取り出すと、魔法陣を描いた。
魔法陣から現れたのは、つる薔薇だった。
薔薇はあっという間にノーランド様を拘束してしまった。
「シエラには関わるなと言ったはずだ」
「待て、話せばわかる……」
アレンディオ様が、新たな魔法陣を描きかけた――そのときだった。
「……う」
アレンディオ様が、ピタリと動きを止めた。
そう、彼が魔法を使うと、やっぱり気持ち悪くなってしまうのだ。
彼はみるみるうちに顔を青ざめさせた。
「すまない」
「大丈夫です――うぇ……」
そこから先は、一騒動だった……、主にアレンディオ様が。




