赤ちゃんと魔力酔い 2
――あれは、王立学園入学式の出来事だった。
「そこ、俺の席」
「え?」
確かに最前列の右側の席だと説明されたのに……。
そんなことを思いながら顔を上げる。
白銀の髪に金色の瞳。そこには別世界から現れたような、美貌の男子生徒がいた。
「すみません……」
――王立学園に通うのは、貴族ばかり。
没落した男爵家の長女である私は、この中で一番家格が下だ。
王立学園では、身分差はないという方針があるが、そんなもの建前だ。
高位貴族の反感を買ってしまったら、在学中はともかく卒業後に苦労することだろう。
私は立ち上がると、しばらくの間迷って、それからもう一度受付に向かった。
受付には、すでに人はいなかった。
「え……どうしたらいいのかしら。式が始まってしまうわ」
「良かった!」
「え……?」
振り返ると、そこには先ほどの男子生徒がいた。
もしかして、私のことを探してくれていたのだろうか。息が切れている。
「君は、俺の隣の席だ」
「あ……」
最前列の右側の席とは言われていたが、右端とは説明されていなかった。
つまり私の席は、右から二番目だったのだ。
「成績順の並びになっているようだ。遅れてすまなかった」
「わざわざ、確認してくださったのですか……」
「すまない。君は入学試験で次席だったんだな。俺と近づきたくてわざと間違った席に座っているのかと」
「失礼です……」
「よくあるんだ。気を悪くさせたなら、詫びる」
その言葉を聞いて、私は改めて彼を見た。
スタイルがいい、顔がいい、成績順の並びなのであれば、彼が入学試験の首席ということになる。
私にでもわかる。彼はとてもモテるだろうし、厄介な女性が近づくこともあるに違いない。
「――大変ですね」
「君は……そういうことは、ないのか?」
「だって、ただの貧乏男爵家の娘ですもの」
「自覚したほうがいいのでは」
「え? 何を自覚したほうが良いのですか?」
話の流れが掴めずに質問をすると、彼は急に真顔になった。
なぜか、頬と耳が赤い。ここまで走ってきたからなのだろうか……。
「そろそろ入学式が始まる。席に着こう」
「ええ、本当に助かりました。ありがとうございます」
私たちは、並んで席に着いた。
一緒に戻ったせいなのか、周囲からの視線が痛い。
そういえば、名前を聞きそびれた。
けれど、クラス分けは成績順なのだ。つまり、この列にいる生徒たちとは、クラスメイトということになる。後ほどわかるだろう、と私は気楽に考えた。
「――新入生代表。アレンディオ・フィアレ」
「はわわわ……」
しかし、首席としての新入生代表挨拶を終えた彼の名を聞いて、私はようやく思い出した。
王立学園の奨学生は、試験十位以内を死守する必要がある。
次席というのは、十分な成績だったから、近い成績の人たちがクラスメイトになるという認識がなかったのだ。
だが、確かにアレンディオ・フィアレ様の名は、成績順の並びで私の名前の真上にあった。
アレンディオ・フィアレ侯爵令息。
同じ貴族でも侯爵家と男爵家では、天と地ほどの家格の差がある。
――侯爵家令息に、馴れ馴れしくしてしまった……。
王立学園では、家格による序列はつけないことと校則で定められている。
だがそれは大義名分であり、感情は別なのである。
今後、不敬を咎められたとして、誰一人私を擁護する者などいないだろう。
「おい」
「はい!」
「――在校生から新入生への花束贈呈……次席の役目だぞ」
「あっ……!」
すでに在校生が花束を持って、こちらを見つめている。
驚きが大きすぎたせいで、自分のするべきことをすっかり失念してしまった。
私は大慌てで壇上へと駆け上がり、最後の段に躓いて盛大に転んだ。
* * *
「……?」
「どうしてそんな表情になる」
「一目惚れする要素、どこにありましたか?」
アレンディオ様が金色の目を見開いて、私のことを見つめた。
「席を間違えて、花束贈呈を忘れて、段差で躓いて盛大に転びました……一目惚れの要素が見当たりません」
「くっ……はは!」
すると、アレンディオ様が思わずと言うように笑った。
私はちょっとだけむくれる。
「――どこで一目惚れしたんですか?」
「学生時代、君はいつも『気持ちというものには理由がないものだ』と言っていたじゃないか」
――口づけされた。
驚いて、目を閉じそびれてしまった。
慌てて目を閉じると、今度ははっきり温かい唇の感触を感じる。
柔らかくて温かくて、少し物足りない、ついばむような口づけだ。
だから私は、この気持ちを正直に口にする。
「――君の存在は、俺の心の隙間にストンッと入り込んでしまった」
「……一目惚れ、ということですか」
「なるほど、その言葉が一番しっくりするな。だが、逆に聞きたい……君こそ俺のことをどう思っていた?」
アレンディオ様のことを見つめる。
ずっと好きだった、尊敬している、とても優しい、格好いい、素敵だ。
たくさんの言葉が脳裏をよぎっていった。
でも、その言葉のどれもが一つでは当時の気持ちを言い表せそうにない。
「えっと……はじめはちょっとムッとしたんです。わざとあなたの隣に座ったように言われて」
「それは……そうだろうな。すまなかった」
「謝ってほしいんじゃなくて……クラスでも、はじめの席替えで席が隣になってびっくりしました」
「……」
「それから、王立学園で三年間一緒に過ごすバディになったことも……」
「……」
「校外学習でも、なぜかいつも同じグループで」
「……」
「え?」
アレンディオ様が、顔を背けてしまった。
まさか、まさか、である。
「ずっと……私のことが、好きだった――ということは、もしかして一緒になったのは意図的だった?」
アレンディオ様は、もはや耳まで真っ赤になっている。
だって、彼は皮肉ばかり言っていたし、困ったときは助けてくれたけれどほかの人にもそうだったし……私のことを好きという素振りなんて少しも見せなかった。
だから私も、この気持ちを『友情』という枠にはめ込んだのだ。
「全部が全部そういうわけでは……」
「やはり、可愛すぎます」
「俺が可愛いはずがない――それに、君は俺の行動に引くべきところだ」
「まだ十代の学生がしたことです。可愛い以外にありません。むしろ、告白しなかったのはなぜですか?」
「――君が、子ども好きだから」
私の心の中の大きなガラス窓が、割れたような衝撃だった。
ガシャンと音を立てて崩れ去ったガラス。
その向こう側に、私のことを切なげに見つめる、学生時代のアレンディオ様がいる。
――気がつかないようにしていた。その表情の意味に。
だって、私たちは魔力の量が違う。生まれも育ちも――未来に科せられた使命も何もかもが違う。
そばにいられるはずがない人だった。
私だって家族や領民が大事だから……それを優先するのだと言い訳して。
「ずっと、大好きでした……今も」
「君に好きになってもらえるようなこと、何一つ……」
「――好きです」
正直な気持ちをようやく伝えられる。
友情という言葉の中に押し込めていたのは、好きだという気持ちだったと、今なら素直に認めることができる。
「俺のほうこそ、君を知るたびに好きになる一方だ……今も変わらない」
もう一度交わした口づけは、先ほどよりほんの少し温度が高かった。




