創作メモ7
少し前の世界
優しく、抱かれている感触がした。
遠い遠い、揺籃の香りがした。
「……姉さん」
思わず呼びかけた人影が、一瞬だけ戸惑い、それから優しく頬を撫でた。
――ああ、
これは夢だ。
わかりきったことを知覚する。これが夢以外であってたまるか、とさえ思う。
故郷を襲った流行り病。緑病。腐れ病とも言われるそれは、肉体が腐敗して皮膚が緑色に偏食していくことから名付けられたものだ。
当時、原因は不明。感染経路も、不明。ゆえに恐れられた流行病。
今もなお感染経路は不明ながら、ワクチンが開発されてかつてほど怖れられなくなった。
けれど当時は。
村が、街が、国が、ひとつ滅びるほどに猛威を振るったのだ。
生温かい感触が眦に溢れる。
――絶対に、この病気をここから出してはいけない。
自らの死を受け入れて、姉は、故郷の人々は自らを隔離した。学友たちが引き止めるのを無視して留学先から戻った俺を、誰ひとりとして迎え入れなかった。どの戸口も固く締められ、実家の戸を叩いても「学校に戻れ」との一点張りだった。
どうしようもないまま立ち返った俺もまた暫く隔離され、発症しないことを確認してから解放された。
家族とは再会できないまま、ただ、ワクチンが開発された際に発表された、緑病で滅んだ村名だけが、記念碑に刻まれた。
「姉さん」
その発表から少しだけ遅れて、俺のもとに一通の手紙が届いた。病禍の中で姉が認めた、けれど渡すこともできないまま打ち捨てられた、俺宛ての手紙。肉体を腐らせる病は、しかし紙を媒介にすることはできなかったらしい。状態は決して良いものではなかったけれど、まだ読める形で残っていたことに感謝した。
――迎え入れてあげられなくてごめんなさい。
――お前の帰って来る場所をなくしてしまってごめんなさい。
――どうか、健やかに。
ワクチンは、ひとりの人間が抗体を持っていたことから作られた。
緑病に侵された村に帰省し、帰ってきた、ひとりの少年から作られた。