学生の悩みは未来の考察
僕には居場所がなかった。
本当に居場所がないのかはわからないけれど
自分には居場所がないと思いながら生きてきた。
学校と家という2つの場所を行き来するだけの日常に
僕はうんざりしながら日々を過ごしていた。
学校へ登校すれば、クラスメイトたちは
訳のわからない話題で笑い合ったりしている。
僕は会話に入るのが結構苦手である。
頑張って入ってみたこともあるのだが
ぎこちなさが向こうにはすぐ感じ取れたのだろう。
僕のことなんか無視して話を続ける。
僕は会話にさえ上手く関わることのできない
どうしようもない学生だった。
周りの流行りとかにも結構鈍感な方だった。
今何が流行ってクラスで盛り上がっているのか
正直興味はなかったが、取り残される恐怖も
あったから今の流行りのものを調べたりもした。
けど、僕がやっとその流行りの話に乗れるときには
もうすでに別のものが流行り始めている。
会話というものはとても難しいものである。
小学校低学年くらいから、会話の難しさや厳しさを
心に刻んで生きてきた。
会話だけではなく僕は勉強もできなかった。
よく周りは「やる気がない」という一言で
反論し、いい気持ちになっているがそれは違う。
勉強というものはあまり楽しくないものであり
好奇心が全く沸かないというのが現実なんだ。
何事をやるにも始めるにも好奇心は必須。
興味がわいたから魚釣りをやってみよう。
面白そうだからギターを始めてみよう。
そんな感じで必ず好奇心から全てが始まる。
ただ、勉強に好奇心がわくのは頭の良い大学とかを
目指している人たちが多いと僕は思う。
ただ、大学も特に目指していないのに
こんな将来どこでいつ使うかわからない知識を
50分という時間をかけ叩きこまれなきゃいけない。
しかもそれを6回やっている間に僕たちの半日が
失われる、奪われるということになる。
じゃあ家に居た方がマシなのか。
ここも非常に難しいポイントである。
家に居たらみんなは趣味とかを中心的にやるだろう。
趣味は自分自身に快楽を与えてくれる。
そう、勉強とは真逆な感情を趣味は与えてくれる。
だからみんな趣味をやっているときに幸せを感じる。
やる意味のない方が多い勉強。
将来つながる可能性がある趣味。
だけど趣味のための勉強にはそこまで苦痛は
覚えないという難しい人間の心理。
まとめると僕は必要がある勉強だけやって
将来絶対必要のない勉強はしなくていい。
勉強についての考え方は、僕はそう思っている。
あと学生は人間関係で悩むことが多い。
学校という組織は実は狭い方なのである。
だけどそんな狭い組織の中に自分の苦手な人とかが
大勢いたりすると、これから先のもっと広い
社会に出なきゃいけないと考えたとき。
もう不安で溺れそうになるんだ。
僕も人間関係は大の苦手である。
さっきの会話なんて1個の例にすぎない。
けど、僕は人間関係なんてぶつかり合って
当然、当たり前なことだと思っている。
人間ひとりひとり、顔、性格、性別、趣味など
全て違う、だから人間関係は奥が深い。
共通点が多い人はいるかもしれないけれど
その人を果たして完全な仲間と呼べるのか。
いくら共通点が多くても、人間関係をパズル化して
ピースを当てはめていってみれば絶対どこか
はまらない、違う部分が見つかるから。
そういう部分が見つかったときに無理にピースを
埋めようとするのではなくて、ふたりで考えて
その考え出した結果に生まれたふたりの新たな
共通点のピースをはめてみればいいと思います。
ここまで、会話や勉強や人間関係について
僕の意見を述べてきましたが
あくまで僕の意見というだけであるので
この話を鵜呑みにしてしまわないように
気をつけて頂きたいです。
これは半自伝的小説であり、僕の経験のもとに
書かれている作品です。
けれどこんなのはほんの1部に過ぎないです。
他にも、いじめ、家出とか様々な経験小説を
書きたい気持ちもありますがやめておきます。
暗い小説を読んでもらいたくないので。
物語というより自分の経験を書いただけの
作品になってしまいましたがご了承ください。
少しでもこの小説の僕の考えで気持ちが楽に
なってくれる学生の方がいれば幸いです。
世界は自分の個性を披露するステージです。
頑張りすぎずにゆっくり進んでいきましょう。
読んでいただきありがとうございました。