ちはるの過去1
書斎の奥にちはるしか入れない部屋がある。暗唱番号入力が必要な大事な部屋。とにかく彼女の大切なものが詰まっている部屋。ちはるしか知らないパスワードをピピピピっと押すと、扉の鍵が解除され、ちはるは扉を左にスライドし、中に入った。
四方埋め尽くされた本棚や格納家具にはたくさんの書類やファイルなどが並らべられている。真ん中にはテーブルがあり、小さな卓上ライトが置いてある。そのテーブルにも多少の資料が置いてある。ちはるは自分の過去の何かを、その部屋に確認しに来たのだった。
その何かとは、ちはるの若い時。
ちはるがまだ現役で、バリバリ働いていた当時の事がわかる資料だった。資料といっても新聞や雑誌の類がほとんどで、それらはスクラップブックにきちんと整理されている。それと日記に近いもの。
普段はあまり見せることのない、几帳面さがみえるのがこの部屋だ。
ブンタから情報が入った事でふと、気になった事があった。
ちはるは高校を卒業後、警察官となった。夢と言えるものかはわからないが、警察官になる為にひたすら突き進んできた。自分には正義感がある。それを役立てたい、と、思ってきたちはる。日々勉学に励み、必須となる体力と社会や人との触れ合い、知力、心理学とは言えるものではないが、その人々の考え方など、とにかく、警察官になる為に自分勝手だが、必要だと思う事を積み重ねてきた。高校を卒業後、無事に目指す第一歩を踏むことができ、めでたく警察官になる事ができた。が、ちはるのスタートは、男女差別の過酷さはもちろん、女性の生きづらい時代のなかで、必死に喰らい付く毎日だった。心と体の葛藤は警察という組織の一員になったことでくっついて離れない。だが自分が強く望んだ道に心が完全に折れる事はなかった。そして、強盗集団を追いかけていたある3日目の夜、その日は朝からあまりいい日とは言えなかった。案の定こんな大事な時に、どうでもいい奴らに絡まれた。だいぶ酒を飲んでるらしくタチが悪い。「お兄さんたち、とりあえず向こうの公園行こうか」と、ちはるが邪魔にならないように、移動させようと2人を連れて歩いた。1人はニコニコしながらついてくるが、もう1人は少々タチが悪い。
「なぁ〜にが偉そうに。お前もあいつらもそんなに偉いのか!俺のが数倍偉い!このやろう」と酔った勢いでどなり始めた。公園に着くと
暴れるように
「この税金ドロボーが!!」と声を上げた。
すると、ちはるの右の腕を掴み、もう片方の腕を振り上げて、今にもちはるの横面を叩きそうな動きをした。ちはるはもちろん屈する事なく、振り上げられた手を顔脇で止めると、その腕を掴み、素早く相手をねじ伏せた。
ちはるも血の気が少くは決してない。
「おい!おまえなぁ!ふざけるんじゃぁないよ!こういう時間の事を税金ドロボーって言うんじゃ無いのかい!ったく、こっちはもっと凶悪な猛者を追ってたんだ!人の時間無駄にしやがってちくしょう!」
すると後ろに気配を感じた。
すぐさま振り向く
「葛城警部!」
地面にうつ伏せになり、腕を背中に回してある状態の相手の背中に膝をつけている。
「離してやれ」
ちはるは少し顔に出しながら、膝をおろし、相手を立たせた。
「おいお前、ここに会社名と名前を書いていけ。今日は帰してやるが次はないと思えよ」
葛城警部の重く低い声が相手に響く。
酔っ払いは表情苦く帰って行った。
すぐさま、ちはるは敬礼した。
「失礼いたしました警部」
足が長くスラッとしたスタイルは警察官には似つかわしく、歳を重ねた今でも、人の目を寄せるほどの人。
「たまたま、帰りにお前を見かけたので追いかけて来た。捜査中とはいえ、1人は危険だ。」
「すみません!ありがとうございます」
葛城は来ていたジャケットを脱いで、それを左の手に持ち替えた。
「このまま仲間のところに戻っても仕方ないだろ。おまえ俺に付き合え」
なんだか良からぬ笑みを浮かべた葛城に、素直について行きたくないと思っているちはるがそこにはいた。
足の長さが厳しい、ついていくのがやっとのちはる。
でも気づかれたくない。そんなことを思いながら葛城あとを歩っていた。
葛城は充分なルックスを持っているのに結婚していない。
仕事柄出会いがなかったのか、面倒だったのかはわからない。まっすぐな仕事人間というのはわかる。
だからある意味面倒な人で、利己主義的なところもあるが、優しいところももちろんある。
人としては悪いわけではなく、どちらかといえば良い方な人なわけだけれど、1人の男として見るのはどうか。とにかく、ちはるとしては、隣にいるのはできれば避けたい人であった。
「警部?私達はどちらに向かっているのでしょう?」
ただひたすら歩ってはいるが、何か理由があるだろうとは、ちはるは感じていた。
「実はな、お前の後を追う前に気になる二人組がいてなぁ。その2人がまだ近くにいるなら様子だけでも確認できたらなぁと思ってな」
「はぁ。」
ちはるはなんだろうと思いながら、両手をひたすらおおきく振ってついていった。
しばらく歩ったが、周りが暗いせいもあり、みつかる様子がない。葛城も諦める様子を見受けられないなかで、ちはるはひたすらついて行った。
先程いた公園から、3キロくらい歩ったか。
ちはるは後ろから息を切らしながら葛木に向けて言った。
「もう、だいぶ時間も経ってますし、見つからないのではないでしょうか?しかし、なぜそんなにも気になるのですか?」
葛城の耳にはちはるの声は、入ってなかった。それは、葛城が真っ直ぐな男だから。
探し進むうち、無性に見つけたい思いが強まり、その一心で突き進んでいたからだ。ちはるは、酔っ払いの件が葛城の目に入ってしまったことを後悔していた。
「おっ!いた!多分あの2人だ。行くぞ!」
宝物でも見つけたように走り出した。
暗い街を街灯の仄かな灯りがさす。
手前から二本目の街灯はさらに暗い光が差し、2人はそこを歩っていた。
長めのコートを着た2人の男性は1人が寄り添い、歩きづらそうに歩っていた。
「大丈夫か?もう少しで家に着く」
「あっ、っあぁ。」
2人は葛城が追ってきていることをまだ知らない。
背中に葛城が迫る。「おーい君たち!そこのお二人さん」
2人は一瞬顔を見合わせた。
左側の男が葛城の声に答えた。
「何でしょう」
葛城は答えに応えるかのように右手をあげて、彼らの前に現れた。
「いやぁ、街の外れで君たちが歩いているのを見かけてね。どうにも気になって後を追いかけてきた。お連れさんなにか辛そうじゃ無いか?」
右側の男性はうつむいき、左の男性にしがみついている。
茶色に近い金の紙は夜にも美しく、凛とした受け答えに頭の良さと、生活の高さを感じた。
ちはるは葛城の後ろで、膝に手をつき息を切らしている。
「何も問題はありません。彼には持病がありますので、それで急いで家に戻っているところです。先を急ぎますのでお気遣いなく。」
右の彼を抱え込むようにして、先を急ぐ。
そんな2人に葛城はさらに話しかける。
「彼はとても辛そうだ。家まで私も手伝おう」
葛城は右側の彼の方へ行こうとした。
「結構です!!見ず知らずの方に手伝っていただく筋はありません!」
「私は警察だ。安心しなさい」
2人の空気が変わった。
「本当にほっといてください。家はすぐなので大丈夫です」
葛城は、2人を見て何かを感じていたのだろう。辛そうな彼の方にいき自分の方に彼の右腕を掛けようとした。
すると、それまでつらそうに俯いていたその彼の腕を上げた途端、うめき声をあげた。
「ううあぁぁぁぁ!!!」
葛城はコートを上げた。
突然の葛城行動に、支えていた彼の顔は驚きと、苦みなような表情にかわった。そして、悲しみの表情に変わった。
「どこで、誰にやられた。こんな深手で、どこに行くつもりだったんだ。茅野!急いで救急車。はやく呼べ。緊急だ。」
ちはるは急いで連絡した。
葛城はその場に腰を下ろさせ、怪我のひどい彼を支えた。
「気になって追ってきてよかった。君達の話は後で聞かせてもらう。ここまで歩くには相当辛かったろうに。」
彼の腹部には刃物があった。ロングのコートは隠すには十分でもあり不十分でもあった。隠すように抑えていた右手のタオルはリアルなほど赤く染まっていた。
救急車の音が響く。
暗い空間を赤いランプがせわしくてらし、救急車両は病院へとむかった。