第5話 賢者、本気を出す
まずは距離を取るために敵の剣を流してから左手に持ったナイフで突きを狙う。打ち合った感じでは未だに騎士は、僕の力を測っている最中に思えた。だから、ここでの一撃は……そうだよな。
安全策を取って多少でも後退をする。
その一点読みで僕も後退させたが上手く噛み合ったみたいだ。これで一秒程度は時間を稼げるだけの距離は取れた。そのまま魔法の準備を整えて詰めに来た敵にぶつける。
「風刃ッ!」
「風魔法……すごい威力だねー」
「そうだろうな!」
ふん、これでようやく一泡吹かせられたか。
十数もの風刃で牽制、本当の狙いは今のような斬撃による一撃だ。わざわざ詰めてきてくれた分だけ動く手間が省けたよ。……とはいえ、左肩を大きく傷付けるだけで終わってしまったが。
ここまで準備を整えて致命傷にならない。
いやはや、舐めてかかったわけではなかったけどバフ盛り盛りでコレとは想像していなかった。さすがは帝国の上位騎士だ事……いや、それも僕の過去の記憶のままだったらだけどね。
もしかしたら、これで帝国の最下級騎士の可能性も……さすがにそれは無いか。だとしたら、クーベル王国なんてとっくに滅ぼされている。王国が滅ぼされずに済んでいたのは圧倒的な力を持つ勇者と王国兵士長のおかげだった。その二人だって今はいないだろうし……。
「さすがは勇者の力を知っていると豪語するだけはあるね。ボク、油断しちゃったよ」
「……致命傷にもならない癖によく言えたものだな」
「まぁ、そうならないように躱したからね。下手な避けだと死んでいた可能性もあったから一番、マシな選択を取っただけだよ」
……そうだ、本当にその通りに攻撃した。
時間の関係上、付与できたのは左手に持つナイフ一本のみ。それを刺せれば一発で状況が逆転していたというのに……わざわざ剣の攻撃を体で受けてきたんだ。一瞬でそれを判断したとなると僕の目が狂っていた可能性すらある。
というか、ボクっ娘ですか!
よくよく見たら顔も可愛いし、ララのように幼女ってわけでもない。年齢からして十三歳程度だろうか。銀髪のショートカット……はララと少し被るけど垂れ目なところは似ても似つかない程に可愛らしい。
って、そんな事、言っていられないか。
「……そして、その傷もすぐに回復すると」
「そうだよ……でも、魔力消費は激しいからさ。こう見えてギリギリではあるんだ。ほら、ボクってまだ成長期だから」
「成長期でそれとは末恐ろしいな」
いや、それは僕も同じではあるか。
うーん、その観点から言えば僕の方が余裕はあるだろうし……それに成長期を伸ばす方法だってあるにはあるのだから大丈夫だ。長い関係になるとしても抜かれる心配は……。
「それにボクは神魔族の先祖返りだからね。後百年くらいは成長期のままだよ」
「……はぁ? それは狡くないか?」
「うんうん、ボクもそう思うよ。……だけど、その前に殺されてしまったら長い成長期も意味は無いけどね」
それはつまり今のうちに殺してみろ、と。
挑発にしては少しだけ遠回しで安くも思えるが悪くは無いな。むしろ、仮に倒せたら神魔族とかいう過去に滅ぼされた最強種族の女の子を手に入れられる可能性もあるんだ。……あ、いえ、不純な気持ちなんて少しもアリマセンヨー。
ギンには申し訳ないけど……最後の強化でどこまでいけるか確認しておきますか。
「運命之采配」
これが僕の物理面での最強技。
全てを周囲の流れに任せて敵の攻撃を躱し、勢いのままに敵を切り刻む……薬物増強の三倍程の強化が行える本当の意味での隠し球だ。それでも、ここまで来て下級魔法で強化した今の僕と同格くらいの力なのは少しばかり不安ではある。
間違いなくギンが壊れてしまうが……完全に壊されてしまう事に比べればまだマシだ。全てを破壊されてしまえば修復は困難……いや、完全に不可能と言える程に難易度が跳ね上がるからな。
そう、だから、ギンには悪いけど使わせてもらう。別に神魔族の女の子が欲しくて唾が止まらないとか、そういうわけでは決してない。ギンが完全に壊されないように本気を出すだけであって、倒せたら仲間に引き入れられるかもしれないとか淡い希望のために使ったわけでは……。
「フッ」
「うん? どうかしたの?」
「あ、いや、何でもないな。ただの自嘲だ」
あれれ……声は出していなかったのにな。
まさかとは思うけど……ギンが勝手に声を出したのか。いや、そんな機能は付けていなかったはずだけど……まぁ、いいや。でもさ、もしも精神が勝手に加わったのならギンの体は女の子にするべきだったな。
ちょっと後悔したが……この体は元々、ネームレス・ヒュポクレティの分身として作っただけだ。その役割を担ってもらうためには女の子の体にするわけには……。
「うーん、準備はできたのかな」
「ああ、大丈夫だ。来るなら来い」
「そっかー……分かったよ」
さっきよりも速度が上がっている。
これが相手側の本気なのだろう。もっと言えば神魔族という割には物理攻撃しかしてこなかった。魔法が使えないというのなら別だが……常時、魔力の流れがある時点でそれは無い。魔法での自己強化が行えているという事は魔法を覚えているのと同じだからな。
物理だけなら幾らでも対応できるぞ。
こう見えても元賢者だからな。それなりに多くの事を経験してきたし、暇過ぎて人並み以上には剣の腕もあるんだ。……とはいえ、剣術スキルレベルが低いせいで一転攻勢には回れないけど。
いや、攻めに回ろうと思えばできる。
速度だけなら隠し球を切った僕の方が速く、連撃においては致命傷まで持っていける自信はあるからな。だが、魔法の腕がもしも立つのであれば話は百八十度変わってしまう。絶対に攻めに回るのは悪手になってしまう自信が、いや、確証があるから守りに回れ。
受けて流して受けて流して、そこに一瞬の隙でも作れれば……その時点で僕の勝ちだ。もう少し欲張れ、前に来い。後退を続けている僕を追いかけ続けろ。その位置に来た瞬間……そう、今だ。
「堂々廻」
後退して仰け反った体を風魔法で前へ突き出す。一転攻勢とまではいかないが虚をつくには十分だろう。そしてオーガでは本来の意味をなさなかった一撃でもある。これが決まれば———
「それは許さない」
「いや! 許すね!」
受け止めてくれた。そうだ、それでいい。
相手は知っているはずだ。オーガを倒した瞬間を狙ったのであれば使っている時の違和感を……それを受け止めてくれたのなら決まった時よりも良い結果を出せる。ガードは取れない、逃げられるだけの速度差も無い……そこを突くッ!
「感染猛毒」
「え、毒魔法!?」
「貴様は愛おしい程に可愛らしいからな。我が抱き締めてやろう。感謝しながら死ぬが良い」
全ての攻撃を防ぐ毒の鎧を作り出す。
触れれば敵を殺戮し、触れている時間だけデバフ効果も付与していく最悪な技。そして僕が最高に愛している技でもあるんだ。その修練度は他とは比べ物にならないぞ。
「消去ッ!」
「感染猛毒を消し去った……!?」
「死ねない! ボクはまだ死ねないの!」
チッ……ヤバいな、これ以上は無理だ。
相手の強さが測れなくなった上、最後の手段すらも消された今、どうする事もできない。感染猛毒を消し去っただけならいざ知らず、毒の効果も残っていないとなれば戦闘継続は無理だ。
それに……時間稼ぎは既に済んでいる。
「……悪いが逃げさせてもらうよ」
「ま、待って!」
「無理だな、倒せる相手と倒せない相手は理解しているつもりだ」
はぁはぁ……転移は完了した。
既に僕の異次元の倉庫の中だ。それも色々な場所を経由しての転移だからな。敵にも僕の位置を特定される心配は無いはずだ。……それに化け物がいると分かっただけでも成果としては十分だ。
あー……少しだけ楽しみになったぞ。
そうか、僕も強くなったと思ったが上には上がいたんだな。まだまだ強くなっても楽しめる相手がいる。……それこそ、あの子が言っていたように夜空を僕のモノにしてやるのも悪くは無い。だが、今は確実に無理だな。
倒せないわけではないが……確実では無いのなら戦いに行くのはリスクしかない。アッチの方から攻めてくるのなら別だけど、監視範囲に入ってこないのなら無視するのが賢明だ。
って事で、僕は寝る! もう無理! 疲れた!
適当に回復魔法が常時、かかるようにして……後は魔力が切れ次第、魔法も勝手に切れるだろ。寝てれば魔力も回復するから監視の人形から連絡が来るまではグッスリ寝るぞー。
おやすみ、世界……また明日……。
◇◇◇
「はぁ……逃げられちゃったなー」
一人の少女は大きな溜め息を吐いた。
その少女は酷く悲しんでいた。それは先程まで戦っていた男を逃がしてしまった事、しかも、本気を出した上で逃げられた事がショックで仕方がなかった。だが、その目に映るのは悲しみだけでは無い。
「まさか、ね……遊びに来るものだよ」
「偉く機嫌が良いな。ロゼヴァルトよ」
「うーん、そりゃあ、機嫌も良くなりますわぁ。楽しい経験ができたし……良い事も知っちゃったからね」
突如、現れた男の声に少女は上機嫌なままに返答をする。その姿に男は冷や汗をかいた。明確な歪みがあり威圧感も残る視線、そして年齢には似合わない妖艶さまでも感じられたのだ。
その男の事など興味も無くロゼヴァルトは少しだけ前へ進んで空を眺めた。
「次は本気で遊べるよね……ねぇ……」
少女は晴れた夜空に手を透かした。
最後までロゼヴァルトの目に映るのは一人の男の顔のみだった。




