心霊漫才
ここは東北のとある田舎町の中学校。俺たちは校舎裏で打ち合わせをしていた。
「やっぱりここはこうするべきだろ!」
遠藤は俺にそう言って台本にマーカーを引く。
「いや違うって、ここはまだ抑えるべきなんだよ」
俺はその手を力づくで止める。
「おいおい寺田。お前は何も分かっていないな。ちゃんと最近、漫才見てるんか?」
「うっ・・・それはまた違うだろ」
俺たちは今週末に控える文化祭にて漫才の出し物をする手筈でいた。すでに手続きなどは済んでいるが、その台本は未だ完成されていない。完成されていないということはリハーサルすらやっていないということだ。俺たちは誰が見ても明らかに焦っていた。
「いやもう時間がない、これでいくぞ!」
「ごめん、もうちょっと待って、ここだけ修正させて!」
「お前も頑固だなぁ」
そうして出来上がった台本は決して綺麗なものではなく、注意書きと付箋でめちゃくちゃだった。しかもどこかで泥に濡らしたのか、表紙までも小汚く、正直言って見るも無残な状態だった。でもそれは俺たちの勲章とも言えるものだった。努力の証なのだ。
「よっしゃ、じゃあ練習するか!」
「絶対成功させるぞ!」
二人で拳を突き合わせて成功を祈った。前回は失敗に終わったから今回は成功させるんだ。
それから毎日練習をした。間の取り方、ツッコミの仕方、引かれない程度のズッコケ。何度も練習して何度も台本を修正して何度も注意し合った。本気の練習だった。取っ組み合いの喧嘩に発展するときもあったけど最後にはどちらも笑顔だった。お互いに真剣だからの衝突だ。そこに他意なんてない。
日にちは驚くほど速く過ぎて、気付けば文化祭当日となっていた。その晩はよく眠れず、何度も起きた。心臓の高鳴りが止まらない。豪華に縁どられた校門の前に立つと心臓の高鳴りは一層際立った。死んでしまうかと思うくらいだった。そんな時、後ろから勢いよく肩を叩かれた。
「よう、本番だな!頑張ろうぜ!!」
遠藤だった。
「心臓が口から飛び出るかと思った」
「なに言ってんだよ、空き時間できたら最後の練習するぞ」
「すごいなお前。俺は昨日よく眠れなくて睡眠不足だよ」
「弱いなあ。俺なんてぐっすりだったぜ」
「さすがだよ」
「じゃあ今日もよろしくな!相棒!」
肩を軽く小突きながら校舎に向かう遠藤。でも俺はちゃんと見たぞ。お前の目の下にある隈をな。強がっちゃってまぁ。でもそれがあいつのいいところなんだよな。
俺も遠藤の後を追うように校舎へと向かう。不思議と心臓の鼓動は収まっていた。まぁ本当に心臓が口から出てて、無くなったからかもしんないけど。
俺たちの出番は閉会式間近の午後3時。昼休憩やクラスの出し物の休憩時間を使って最後の練習をした。本当に面白いかどうか分からなかった俺たちの漫才は練度を増していく。これは面白いぞ、このままテレビに出れるかもしれない。遠藤は興奮して俺に詰め寄った。頑張ろう、俺はそう答えた。
出番はすぐに来た。個人の出し物はそれほど多くなかったようだ。体育館のステージ、舞台袖で俺たちは向かい合った。
「俺たちならできる」
「うん、できる」
「みんなを笑わせてやろう」
「うん、やろう」
「よし、行くぞ」
「おう!」
ステージの真ん中に一本のスタンドマイクがあるだけ。そこが俺たちの晴れ舞台だ。俺たちはそこに出ていった。田舎ゆえにそれほど多くないが全生徒がこちらを見ていて、それに対して少しだけドキッとする。息が詰まる。言葉が出てこない。やばい、喋り出しは俺からなのに。心臓の鼓動が高鳴る。やばい、やばい、やばい。
ドンっと背中を叩く遠藤。それに対して前のめりになる俺。振り向くと、遠藤が笑っていた。口が「いけ」と声に出さずに言う。俺はそれにこくんと頷いてから喋り出した。最初は拙かったが、遠藤は自信満々にボケていく。次第に体の力が抜けて小気味よいテンポになってきた。いいぞ。この調子だ。
三つ目のツッコミが終わった時、観客の笑い声が耳に届いた。大丈夫だ、ウケてる。俺たちの漫才は大丈夫だ。
中盤に差し掛かった時、観客側から「ありがとう」という声が聞こえた。喋りながらそちらを向くと、生徒の一人がふわっと消えるのが見えた。それに安堵して遠藤に向き直る。視界の端ではまたふわっと別の生徒が消えるのが見えた。ふと、以前聞いたある人の言葉を思い出す。
「彼らは未だあの場所に囚われている。君たちの漫才は楽しみにされてたみたいじゃないか。きっとそれが心残りなんだ。終わらせてくれないか。救ってくれないか、彼らを」
この学校は文化祭の最中に震災に襲われた。海が近かったせいで生き残りはほとんどいなかった。すべて土と水と瓦礫に、流されたのだ。
漫才は佳境へ。徐々に消えゆく生徒の姿を横目にさらにヒートアップしていく。知らずの内に涙があふれてきた。遠藤も心なしか、涙ぐんでいるようにも見える。もう少しだ。頑張れ。漫才の最中に泣くな。そう、自分に言いながら耐える。しかし、ついに言葉が嗚咽に負けて遠藤から目を背けてしまう。初っ端にやらかしたのに俺はまたしても、そう思った時、観客側から、
「がんばれ」
と聞こえた。振り向くと、当時の担任がこちらを向いてガッツポーズをしていた。もちろん、彼も震災の犠牲者だった。自身もひどい目にあったというのに俺たちを応援してくれている。頑張る。頑張るぞ。
漫才を再開させて、遠藤は最後のボケに入る。俺は今日一番の声量で、
「もういいかげんにしろ!」
と勢いよくツッコんだ。そして、観客に向けて二人で礼をした。
「ありがとうございました!!!」
拍手が起こる。誰かが指笛を吹いている。嬉しい。俺たちはやりきったんだ。長い長い礼の後、二人で顔を上げる。もちろん、そこにはもう、誰もいなかった。みんな成仏できたのかな。
「ありがとう、遠藤。お前がいなければみんな救えなかった」
「そんなこというなよ。楽しかったぜ。お前との漫才」
「それはこっちのセリフだよ」
「ちょっと途中、色々とあったけどな」
「それは言うなよ、墓まで持ってけ」
「そうするよ。お、時間みたいだ」
遠藤の体が徐々に透けていく。
「そうか、お前も行っちゃうんだな」
「あぁ、これが俺の心残りだったからな」
「そっか、寂しくなるな」
「そんなことないだろ、またやろうぜ、相棒」
「あぁ、そうだな」
そう言って俺たちはまた拳を突き合わせた。そして満面の笑顔で遠藤は消えていった。
誰もいなくなった体育館の跡地で、ステージだった場所で、俺は一人空を見上げた。みんな楽しんでくれたかな。笑顔で行ってくれたかな。俺は役に立てたかな。大丈夫だったかな。
後ろからパチパチと手を叩く音が聞こえる。振り向くと、黒髪の若い男がこちらに歩み寄ってきた。
「いい漫才だった!すごい笑った!!!」
連れている黒猫も「にゃぁ」と鳴いた。
「上手くできましたかね・・・」
心霊解決人と名乗る彼はある日、俺の目の前に来て「彼らを救ってくれないか」と俺に言った。俺の学校のことだし、二つ返事で了承したが、これでよかったのだろうか。
「みんなちゃんと成仏できたよ」
そう言って彼は空を見上げる。知らぬ間に夜になっていたようだ。満点の星空が俺たちを照らしている。
「ありがとう。君のおかげだ」
黒髪の若い男はそう言って頭を下げる。
「こちらこそありがとうございました。それじゃあ俺もここで」
「送らなくていい?一人で行ける?」
「大丈夫です」
「わかった。それじゃあね」
「はい」
薄れゆく意識の中、「みんなを救う」という心残りを果たした俺はゆっくりと空に昇った。足元の黒猫が「おつかれ」と言ってくれた気がした。