2撃 おみやげよ?
「姉上、それは何ですか??」
訊かないで無視しようともチラッと思ったが、それはそれで怖かった。
見てしまった以上、放っておく訳にもいかず、仕方がないと恐る恐るリックが訊いてみれば、皆に姫と呼ばれる姉は、澄ました様子でこう言った。
「おみやげ?」ーーと。
「「「おみやげ」」」
そのお土産とやらが、芋虫のようにモゾモゾと動いているのですが?
お土産は生き物なのですか?
怖くて即座には誰も追及しなかった。いや、出来なかった。
そんな皆の心情など気にも止めない姉は、サラリと話を続けた。
「大体、紛争しかり戦争しかり、長引けばそれなりのお金は掛かるでしょう?」
ーーバフ。
「領民だって不安な毎日を過ごす訳だし。兵の家族なら尚更だわ」
ーーバフ!
「「「……」」」
「それに信じてはいるけど、貴方達に万が一の事があったりするかもしれないじゃない」
ーーバフ。
「かれこれ1年近く待っていたけど……」
ーーバフバフッ!
「もう、いいかなって。不毛な戦いにもそろそろ終止符が必要だものね」
ーーバフバフバフッ!!
「「「……」」」
待ったとか不毛とか姉が色々と言っているが、動く麻袋がもの凄く気になって、話が全く頭に入ってこない。
こうなれば、もう話どころではなかった。
アルフレッドは引き攣る頬をどうにか抑え、部下にその麻袋を開けるように目で伝えた。
え? 私達がですか??
と悲しい目をされたが、師団長自らソレを触る訳にはいかない。リーダーを護るのが君達の職務である。
悲しい目をしたものの、そんな事は言われなくても分かっているので、部下達は諦めて開ける事にした。開ける者と万が一を考え、身構える者と分かれて。
恐々と麻袋の口をゆっくりと開けて見ればーー
「んぐーーっ!!」
途端に声にならない声が天幕に響いた。
「「「……」」」
まさかまさかとは思ってはいたが、麻袋の中身は動物ではなく"人"であった。
麻袋を開けた者達も、アルフレッド達も唖然である。
動物であって欲しいと願っていたが、現れたのは猿轡を咥えた人間なのだから。
麻袋の者とは違う意味で声が出なかった。
「誰ですか?」
え、そこ?
と云う皆の視線をよそに、リックから思わず漏れたのは、ただの疑問だった。
人外な姉ではあるが、悪魔ではない。
何か理由があって、麻袋の人がいるのだ。例えば姉を消そうとした輩とか。
リックがそう考えていたら、隣から驚きを隠せない声が聞こえた。
「……デリー=モーガン」
それは姉の婚約者のアルフレッドからだった。
"デリー=モーガン"どうやらそれが、この麻袋の住民の名前らしい。
「えっと、どちら様で?」
最近、耳にした覚えがあるが、リックは思い出せなかった。
いや、考えたくないと頭が拒否していたのだ。
「マイサルの宰相だよ」
そんなリックの心情を察しつつ、黙っているのも悪手だと判断したアルフレッドは、眉根を揉みに揉みつつ答えてくれた。
彼の名はデリー=モーガン。
今現在戦っている敵領地マイサルの宰相様なのだと。
「こんな、こんな事をして、ただで済むと思っているのか!!」
猿轡が緩んだのか、モーガンが震える声で叫んでいた。
こんな事をしたのは姉であり、自分達は関係ない。ないのだが、こうなった以上、もはや一連托生だろう。
モーガンは敵陣にいて怯えているのか、それとも違う何かに怯えているのか。はたまたその両方なのか。リックはそんな彼を見ていて、なんだか無性に同情心が湧いていた。何故か気持ちが痛い程に分かるからだ。
「そもそも、いつも仕掛けてくるのはそちらからなのですが?」
どうやって敵陣の懐から宰相を攫って来たのか分からないが、アルフレッドは今は言及しない事にした。
「この地は元々我々のモノだ!! それを貴様達が奪ったのだから当然だろう!!」
彼のいう我々の地とは"ダイル"の事だろう。
だから、返せと以前から言っていたのだが、返さないので実力行使したのだと言いたいらしい。
だが、それはそちら側の言い分で、こちら側の言い分は全く違った。
確かにダイルはその昔、マイサルと一つの国だった。しかし、二分したものの、ダイル領は荒地が多く貧困に悩み始めた。
何年かその暮らしが続くと、徐々にその地を捨て、豊かなファーリア国に移り住む者達もいた。だが、残った者達は頑張って地を耕し、なんとか暮らしていけるくらいになっていたのだ。
しかし、ガラッと変わる事態になったのが、100年近く経ったある日である。
二分した筈のマイサル国が、突如としてこう提案してきたのだ。
マイサル側に直系の血が流れた王家がある。元は一つなのだから、ダイル側はいい加減譲歩し、マイサル国として再び一つになるべきだと。
そんな身勝手な言い分に、素直に頷くダイル領ではなかった。
王家の血というなら、コチラ側も同じだ。
そして、再び争いが始まったのである。
姫が云うところの不毛な戦いが起きてから、また100年程経ったある日。
侵攻され続けていたダイル領主達は、とうとう音を上げた。
このままでは、マイサルに力を以て制圧されると。
マイサルに平伏すのか、このまま死を待つのか……皆は悩んだ。そして、悩みに悩んで一つの答えを出した。
それが、ファーリア王に助力を求める事だった。
当時のファーリア国の国王は、マイサルとの兼ね合いもあり拒否を示していた。しかし、日に日に弱っていくダイル。
懇願するダイルの領主や領民達の姿があまりにも哀れだと思い、最終的にはそれを助けた。
そして、住む場所や糧を失ったダイルの領民達の願いで、我が国ファーリアの傘下に入ったのである。
だが、マイサルから言わせれば、それは略奪なのだった。
それが、正当か否か。当時のダイル領主とファーリア王は書面を交わしたとはいえ、それすら偽造でマイサル側は侵略したと主張している。
ファーリア国側も、今更返せと言われても、ダイルが豊かになるまで投資した膨大な費用と労力。それを何事もなかった様に返す訳にはいかない。
それ故に話し合いの場を何度も設けようとしたのだが、マイサルは話し合いに参加しないどころか、逆にダイルを即刻返還し賠償金も払えというだけであった。
一方ダイルの領民達は、マイサルに戻るつもりはなくファーリア国のままでと願っているのだが、それすら洗脳だとマイサル側は言う。
しかし、マイサル側がどう言おうと、彼等の現状はもの凄く厳しい。
ダイルはファーリア国の一部となったおかげで、他国からの侵略があっても守られているし、国からの補助金もあり繁栄を遂げていた。
対してマイサルは、ファーリアを敵視している為、表立った交流も物流もない。だが、自国だけでは物資は足りないので、伝手がある者達は密入品や他国側からの輸入品を手にして生活していた。
しかし、そんな事が出来る者も極僅かだ。ほとんどの領民は領主から支給される物資だけ。自給しようにも田畑は痩せていて大した実も育たない。
その僅かな作物も兵に充てられてしまっていた。
ダイルのせいだファーリアのせいだと言われたところで、マイサルの領民もいつまでも改善しない暮らしに嫌気が差し、隣国に移り住む事も多くなっていた。残されたのは、召集されている兵と家族や、移り住む気力や体力のない者達だけだ。
そればかりか、ますます貧困が酷くなるばかりの様だった。
「モーガン殿。この際、返還や略奪云々はおいて、現状の話をしませんか?」
「何が話だ! この略奪者が!!」
婚約者が強引に攫って来たのはこの際おいといて、今まで出来なかった話し合いをしようとアルフレッドは考えた。
だが、攫われた側。モーガンからしたら、手足を縛られた状態の上、何が話だと怒声を浴びせていた。姫が強引に連れて来た事もあって、積年の恨みとばかりに次々と罵る言葉が止まらない。
「貴様達は侵略しただけでなく、この私ーーんぐっ!?」
「いいから、少し黙りなさい」
その罵声や怒号を止めたのもまた、姫だった。
素早い動きで猿轡を噛ませると、彼の耳元で何かを囁いていた。
「……っ!?」
途端にモーガンはカタカタと小刻みに身体を震わせ、反論するのを止めたのだった。
「「……」」
あの、姫? 一体何を?
と皆は思ったし訊きたかったが、訊かない方がいい気がして目配せ程度で、誰も何も言わない事にしたのだった。
◇◇◇
ーーその後。
借りて来た猫よりも大人しくなったモーガンは、縛られていた手足をすぐに自由にさせてもらえ、猿轡も当然外した。
敵領地の宰相ではあるが、今更ながらに手厚く迎えたのであった。
ーーそして。
現状を事細かにアルフレッドは話し始めたのだった。
過去の事は互いの認識の違いがあり過ぎる事。
ダイル自体も、マイサルから来る難民が多く支援しきれない事。
何より、ファーリア国の国王が本腰を上げるような事になるか、反対側エスピニアから今攻められたら、マイサルは完全に終わるだろうという事実を。
エスピニア国はファーリアとは友好関係にはいるが、マイサルとは違う。マイサルは土地が痩せているし、領土が小さい。その為、現状は攻める価値がないと攻め込んで来ないが、ダイヤモンド鉱山の噂が耳に入れば話は変わる。
エスピニアの国王と王妃は、自他共に認めるくらいの無類の宝石好きだからだ。
その国王夫妻に、マイサルのダイヤモンド鉱山の事がバレれば、どうなるかなんて火を見るより明らかだ。
輸出してくれなんて可愛らしい商談なんかする訳がない。それこそ、領地を強引に奪われ、マイサルの領民の生活はさらに脅かされる可能性すらあった。
マイサルという小さな領地なんて、名前すら消え去るかもしれない。
そのまま静観する事も出来るが、ファーリア国としても他人事ではない。マイサルが吸収されれば、次はダイルかもしれないからだ。
マイサルが今言っている権利を、エスピニア国が言い出さないとは限らないのだ。そうなれば上辺だけの友好関係なんて、すぐ終わりを告げる。
「……」
モーガンは姫が何か言ったせい……いや、おかげかアルフレッドの言葉を遮ったり、揶揄したりせず粛々と聞いていた。
ダイルにダイヤモンド鉱山の事を知られていた事実と、それによりこれから起きる事態を理解したのだろう。
そして、マイサルの宰相として、今何をすべきか瞬時に考え答えを出そうとしていたのだ。
このままではマイサルの滅亡すらある。
ならば、エスピニア国に何かされる前にそちらの傘下に入るか、またはファーリア国の併合あるいは傘下に入るか、考えた方がいいだろう。どの道マイサルは、もう一国として残るのは難しいのだから。
今、その大きな決断を、余儀なくされていた。
ダイルとの小競り合いで済む段階は過ぎているのだから、エスピニア王やファーリア王に鉱山が知られる前にだ。
今ならまだ、こちらから交渉し、ある程度優位に立てるかもしれない。だが、先に行動を起こされてしまっては、後手になり交渉材料がなくなる。
だからといって、今素直にファーリアの傘下に入るのは難しい。今までの蟠りもさることながら、領主や領民の意見も聞かない訳にはいかないからだ。
「私が領地に戻って説明したところで、ルダン様は納得されるか」
モーガンは渋っていた。
自分が今、蟠りが解けないのに、現状を説明して領主が納得する訳がない。むしろ、敵に絆されたか心を売ったと罵られる可能性しかなかった。
最悪、寝返りだと見做されて終わりだ。
「ですがーー」
アルフレッドや姫の両父が知る事となった。なら、エスピニアに漏れるのも時間の問題だ。ファーリア王と会談する必要性はあるが、その場に姪である姫がいれば、嬉しくも悲しい事に押し切れるだろう。
姫が言った言葉通り、すぐに終わらせる事が出来るのだ。
モーガンとアルフレッドが両地の今後の事を話し合っていると、リックの声が何故か天幕の外から聞こえた。
「リック?」
たまにポカをするが、基本的に空気を読めない者ではない。
その彼が、天幕の外で騒いでいるのだから、何かあったのだろう。アルフレッドはモーガンに断りを入れ、天幕から外を覗いた。
「姉上が……」
顔面蒼白のリック達が、今にも倒れそうな表情で立っていた。
「姫がどうした?」
天幕の周りを軽く見たが、姫の姿はなかった。
彼女に何かあったのかと、一瞬アルフレッドは過ったが、それは杞憂だとすぐに分かった。
「出て行きました」
「……何処に?」
いなくなったと聞いても、アルフレッドは姫が攫われたとは思わない。
そんなヤワな令嬢ではないからだ。
「……」
「リック」
「たぶん、その、マイサルに行ったのかと」
「……」
まさかとはチラッと思ったが、そのまさかだった。
何をしにとは、アルフレッドは訊かない。それは、訊く自体が無意味だからだ。
「あの、まさかとは思いますが?」
後ろで聞いていたモーガンが、真っ青な顔をしていた。
彼にもまた、姫が何しに行ったのか分かったのだろう。
「申し訳ありません?」
謝罪したところで、どうなのだろうと思ったアルフレッドは、肩を竦めてみせた。
アルフレッドの想像通りならーー
こちらが出向き、マイサル側の領地で会談したところで話し合いなど無理だと知っている姫は、モーガンを連れて来たように今度は領主を連れて来る気だろう。
そこは当然ーー
ーー力技で。
「ルダン様は剛拳と呼ばれる程の方なのですが、その……」
姫は大丈夫なのかと、モーガンはおずおず口にしてみたものの、アルフレッド達の表情に頬が引き攣り、言い方を即座に修正した。
「ウチの領主は大丈夫ですよね?」
普通なら、敵陣に単身乗り込んだ姫を、真っ先に心配するだろう。
だが、誰も彼もが、彼女の事を心配していないのだ。むしろ、モーガンに憐れみの表情すら見せていた。
なら、心配すべき事はあの令嬢の身の心配ではない。我が領主様だとモーガンは瞬時に悟ったのであった。