1撃 今、貴方に会いに行きます
ハーウェイ公爵家には少々お転婆だが、とても可憐な令嬢がいる。
その令嬢は父だけでなく、領民からも"姫"と呼ばれ、とてもとても大切に育てられていた。その令嬢が、5歳年上のアルフレッド゠ボーフォットという侯爵家の長子と婚約したのは、およそ10年程前。
両親の決めた婚約だったが、不満はなかった。
それは貴族だから仕方がないというより、恋だのを知る前に婚約したので、異論や反論しようがなかっただけ。
そもそも、否と言ったとして、白紙になったのだろうか。
娘可愛さか、政略か。父がどちらを取り侯爵家長子と婚約させたのか、訊いたところでそれが真実とも思えないので、聞く意味はないと思っている。
それに、姫自身が彼と交流をしていく内に好意を持ち始めたのだから、父の思惑などどうでも良くなったのである。本音を言えば、これが本当に恋かも分からない。だが、一緒にいて楽しいと感じるのだから、きっと恋だろうと思っている。
政略から始まったが、好ましく思える相手に恵まれた事に、今姫は素直に感謝していた。
その彼と結婚するのは来年の春。
学園の卒業を待ち、そう決まったのだが……その彼が突如消えた。
いや正確には、姫が知らない内に、義父ボーフォット侯爵の命を受け、僻地とも言われるダイル領に向かってしまったのだ。
そこは領地として一向に落ち着かず、紛争を繰り返している危険な場所。
そこを統治している辺境伯だけでは先行きが悪いらしく、優秀な我が婚約者に白羽の矢が立ってしまった……という話だった。
優秀だと認めてもらったのは良い事だが、いつまでも安定しない僻地に送り付けるのは納得がいかない。
しかも、半年も経つというのにまだ統治出来ないのかと、姫はヤキモキしていた。
「ジェス。ダイルの戦況は?」
公爵である前に、王弟であり宰相である父は、基本王宮にいてあまり屋敷に帰って来ない。
優秀であれば継ぐ可能性もあった弟は、つい最近やらかして、父から叱責を受けていた。一応擁護したものの、弟は軽く一発ぶん殴られ、自分も知らない場所に飛ばされてしまった。
勘当されなかったのは良かったが、今現在、我が公爵家を支えているのは自分だけなのが厄介である。アレでも、補佐役としてそれなりに役に立っていたので、いなくなると仕事量が少し増え、ティータイムの時間が減ってしまった。
「良くも悪くも均衡を保ったままだとか」
「進歩なしって事ね」
執事長兼、当主代理補佐であるジェスに訊いたら、そんな答えしか返ってこなかった。
件のダイル領は昔から、隣国マイサルと小競り合いを繰り広げている。
その根底にあるのが、およそ二百年程前に隣国マイサルとは一つの国だったから。
それが、王権争いで二分した。
当時の王妃が双子を生んだまでは良かった。だが、王が早逝すると、王子二人による継承争いが勃発したのだ。勿論、兄弟仲良く共に支え合っていくケースもある。しかし、この二人は真逆だった。
ただでさえ、兄弟は比較されて育つものなのに、双子である。
それ故に、特に比較され育ってしまったのだ。
比較されれば、己が優位に立ちたくなるもの。そして、王子の仲が悪くなればなる程に、その下に就く貴族達も二分する。
結果。権力争いに歯止めはかからず、最後には国を二分したとされている。
その片方、ダイル領は紆余曲折があり、現在ではこのファーリア国の領地となっていた。
マイサル領はそれが気に入らないのか、しょっちゅう戦闘を仕掛けてくるのであった。
国と国との領地争いなのだから、兵を出して早々に終わらせればとの議案もあるのだが、ファーリアの国王は今のところ出兵しないでいる。
他に兵力を割いているとの理由もあるが、重要拠点ではないダイル領に兵を送り込むのを渋っているのだろう。
ならばと近隣の領地に手を貸して貰いたいと書簡を送るが、自分の領地も安定していないからと、丁重に断られたらしい。
だが、本音は別の所にあるのだと算段している。
近隣の領地の当主は、ダイル側が勝ちマイサルと吸収統合したとしても、大した旨みがなく想定以上の見返りがないと思っているからだ。
後は、ただ単に昔から辺境伯が気に入らないから。
辺境伯は第一王子派でそちらは第二王子派。上が落ち着かないと下も落ち着かない。弊害が出る悪い例の見本である。
「マイサルの地下には金脈があると、噂は以前よりあるけど、実際あったら話は、より複雑になるのでしょうね」
「ないので?」
金脈が確かなら、戦況はガラッと変わる。
国は勿論だが隣国も、兵どころか口も出してくる事だろう。
姫は返答の代わりにポケットから、金貨を1枚出すとジェスに向かって指でピンと弾いた。それはゆっくりと綺麗な弧を描いて、少し皺のあるジェスの手の上に落ちた。
「マイサルのですか?」
「ん、そこで流通している金貨よ。自領で採掘された金かと言われたら眉唾物かな……どちらかと言うとコッチの方が信憑性は高いのよね」
そう言って今度は、ポケットから違う物を取り出し指で弾いた。
先程と違いキラキラと光る小さな何かが、ジェスに向かって落ちてきた。ジェスが慌てて受け止めれば、それは輝く大粒ダイヤモンドが付いている指輪だった。
「コレは?」
「マイサル産のダイヤモンド」
「まさか、マイサル領にあるエベステ山はダイヤモンド鉱山なんですか!?」
「おそらくは。まぁ、最近になっての話だから、どのくらい採れるのかも全く分からないけど」
「ダイルの辺境伯や、セイル様はそれを知っているのですか?」
セイルとは家の父の事だ。
その父が知っているかいないかで、現地に手を貸している婚約者や当主への対応、今後の付き合い方が変わるだろう。
「アルフレッドのお父様は知っていそうよね。知っているからこそ、わざわざ王に了承を得てまで、私兵とアルフレッドを派遣したのだと思うし」
ダイルに何かあれば、隣地であるボーフォット侯爵の妻の領地にも支障がある……それがアルフレッドの父側の出兵理由だった。
だけど、一見正当そうな理由の裏に、利権が関わっている気がしてならない。だとしたら、そんな危険な地に婚約者を送ったボーフォット侯爵を、義父だろうが張り倒してやろうと姫は思っていた。
ダイヤモンドに目が眩んだ? そんなくだらない理由なら、自分が出向しろ。我が婚約者を送り込むなんて事は、アルフレッドの父が許しても、私が許さない。
「アルフレッドのお父様が知っているなら、ウチの父が知らない訳がない気がする」
ハーウェイ公爵とボーフォット侯爵は、知る人ぞ知る金蘭の友である。
だからこその息子と自分の結婚なのだが、表立って仲良しこよしな関係を見る機会はないので知らぬ人も多い。
――と、それはおいておくとして。
父が知っているのなら、何故静観しているのか。家からは一切、私兵が送られていないのが謎だ。
いや、自分が把握していないだけで既に送られているとか? 可能性は大いにある。
「ジェス。ダイルまでの地図を」
「姫。まさか?」
「これ以上、戦況を長引かせても互いに疲弊するだけよ。大体、私はもう待つのに疲れたわ」
「……」
「終わらせに行って来る」
自分の婚約者が、自分の知らぬ間に戦地に向かうなど、業腹である。
アルフレッドは、心配をかけまいと手紙さえ寄越さないのだと思うのだが、我が父と義理の父はどうなのか。
アルフレッドと最近会えないし、手紙の返事すらないと訊いたら、"ダイルに行っている"と事後報告であった。ならばと諦めて大人しく待っていれば、全く帰還する気配すら見えない。
女の私が手を出すのもと憚られ、ジッと我慢していたがもういいだろう。
ハーウェイ公爵家の姫がそう言えば、ジェスを含めた家令達は、頭を深々と下げた。
普通なら、公爵家の令嬢が戦地に向かうなどもっての外だ。まして、終わらせてくるなんて言った所で、何が出来るのだと困惑するし、皆で身を挺して止めるだろう。だが、この姫だけは別だ。
やると言ったら本気でヤルのがこの姫なのだ。その事を皆が知っているから、誰一人として何も言わなかった。
皆は当然、次の日の早朝に向かうものだと思っていたのだが、有言実行なのがこの姫であった。
早速、自室に執事長や侍女頭などを呼び付けると、動き易い服装に着替えながら、次々と指示を出していた。
しばらく留守にする旨と、その間に起きた事に対する対処。早急に采配が必要な物に関しては、ジェスに判断させるか父に連絡するか、その権限をジェスに与える事。
姫は想定しながら、肩からベルトを斜めがけにすると、背中に大剣を帯剣した姿で現れた。しばらく暮らせる金子と予備の武器を持ち、脚が強く速い馬を連れて来るように言うと、ひらりと華麗に跨ったのだった。
「半月くらいで帰るわ」
「「「ご武運を」」」
ジェスを筆頭に、家令達は皆、頭を深々と下げていた。
ダイルまで普通の人なら10日は掛かる。
それから紛争に投じて……半月など絶対に無理だ。だが、それはあくまで"普通の人"の場合。
彼女は普通ではない。そして、彼女が跨った馬も普通ではない。
それを知っているからこそ、誰もが馬鹿にはしないし戯言だと思わない。この姫が半月と言ったら半月なのだ。早く帰って来る事はあっても遅くなる事はないだろう。
正直、ご武運をなんて口では言ったものの、祈る必要性もないのだ。
それが、我が公爵家の姫なのだから。
◇◇◇
――3日後。
とある場所にある天幕の外が、何やら騒ついていた。
まだ夜が明け始めた時間帯。
ボーフォット侯爵の息子であるアルフレッドは、部下や仲間を集めこれからの策を練っている最中だった。そこに俄な騒ぎ。
「何事だ」
兵糧にもまだ余裕がある今、もう一度仕掛けるかと算段していたアルフレッド達は、その小さな騒ぎに眉を顰めた。
夜明け前であるが故に、まさか奇襲でもあったのかと帯剣に手を掛け、天幕の外にいる者に声を掛けた。
「は、はい!! その……」
「ハッキリと申せ!」
奇襲ではなさそうだが、何やら困惑した様子が声色から読み取れた。
だが、ソワソワもぞもぞと口籠もる部下に、アルフレッドは思わず強い口調になってしまった。
部下が何か言おうとしたその瞬間――
天幕の布がバサリと開いたのだ。
「「「……っ!」」」
アルフレッド達が訝しみつつ、念の為に帯剣に手を掛けていれば、そこにはこの戦場には似つかわしくない方がいた。
「元気そうでなにより」
ゆったりと入る足音さえも優美で、にこやかに笑う可憐な姿に皆は一瞬、息をするのを忘れてしまった。
まず、素直に入って来た者の美しさに見蕩れたのが1つ。
もう1つは、"何故"彼女が"ここ"にいるのかである。
いる筈のないお方がここにいれば、頭の処理が追いつかないのは仕方がない。驚愕のあまりに声が出てこなかった。皆が困惑する頭を処理していると――
――その静寂を破った者が1人いた。
「あ、あ、姉上ーーっ??」
そう彼女の弟である。
「あら、リック久しぶり。お父様に送られた場所って、ココだったの?」
まさか、リックがここにいるとは思わなかった姫は、小さいとはいえ驚きの声を上げていた。
僻地に送ったのは聞いていたが、実際ココだとは知らなかった。
しかし、リックを見て同時に、父の策略が確信に変わった瞬間でもあった。
リックをココに送り込んだと云う事ならば、父は確実にダイヤモンド鉱山の事を知っている。知ったからこそ、アルフレッドの父であり友人ボーフォット侯爵と一枚噛んだのだ。
そして、ダイルの領主も何かしら噛んでいると踏んだ。
なのに、国兵部隊は少しも遠征に加わっていないのがチラッと気になった。
加わってないのだから、王家にはダイヤモンド鉱山の事は"今は"漏らしていないのだろう。
領地を治めて、しばらくしてから見つかった事にして、国益にするのではなく、父達の功績にするつもりの様だ。
そこで、さらに気になるのは、王弟である父は何故、兄国王に黙っているのか。
国王を見限ったのか、ただ単に王妃の散財の抑止の為に黙っているのか、バカ王子に対する苦言も兼ねているのか、他に狙いがあるのか今は分からなかった。
「「「姫!」」」
リックの声に皆は我に返ると、一斉に声を上げた。
何故いるか謎ではあるが、本人がいるのだから本人に訊けばいい。
「姉上! 何故ココに!?」
「アルフレッドがいつまでも帰って来ないから、会いに来たのよ」
別段心配はしていなかったが、1年近くも会っていないのだ。会いたいなと思うのは普通の事だろう。
但し、現状が戦禍でなければだが。
「……私に、会いに?」
愛しい婚約者が会いたいと言って、会いに来てくれれば素直に嬉しい。
だが、何度でも言う。ココは戦場だ。
アルフレッドは喜びより困惑が勝っていた。
「そうよ? だって、来年には結婚するっていうのに、まだ"こんな事"をやっているんだもの」
そう言って姫は、憂うように小さな溜め息を吐いた。
「「「……」」」
まだこんな事と言われた皆は、顔を見合わせて複雑な表情をしていた。
姫の言い草ではこんな事とは、子供がまだ古い玩具で遊んでいるのかと言っている様に聞こえる。普通なら、ふざけるなと一言返したいところだが、返せないのが悲しい。
「随分と長引いているものだから、もしかして、ワザと長引かせているのかと心配に……」
「いや、何の為に!?」
紛争を長引かせて何の得があるのかと、アルフレッドは思わず声を上げてしまった。
これでも皆、頑張っているのだ。それをワザととは穏やかではない。さすがに文句の一つでも言い返そうと口を開きかけ――
――姫の次の言葉に絶句する。
――バフッ。
「私との結婚がイヤで、これ幸いとうやむやにしようとしているのかなぁとか?」
「……」
だからワザと長引かせ、その内ドロンと消える算段なのかと思ったと、姫は語る。
「いやいやいや? 私が姫との結婚を嫌がるなんて、ある訳ないでしょう!?」
とんだ誤解である。
確かに毎日愛を語るような事はしていなかったが、蔑ろにした覚えもまったくない。
誕生日には何がいいか毎回悩み、夜会には彼女の美しさを引き立てるドレスや装飾品を必ず贈った。
今だって蔑ろにしていた訳ではなく、戦地にいるから何も出来ないだけである。手紙とて、心配掛けるだけだと送らなかっただけ。
むしろ、早急に終わらせて姫に会いたいと願っていたところだ。
これでもアルフレッドは、彼女の隣に立つ為にどれだけ頑張っている事か。
――バフン。
「そう? でも、戦場を隠れ蓑にした浮気とか――」
「する訳がない!!」
そんな隠れ蓑があってたまるか。まさに読んで字が如く、危ない橋ではないか。
そんな事は絶対にしないと、アルフレッドは強く否定する。
――バフッ。
「なら、何故グダグダしているの?」
「「「グダグダしている訳では……」」」
アルフレッド達は頭を垂れていた。
敵を褒めるつもりはないが、少ない兵力の割りに個々が強く、領主のカリスマ性と宰相の戦略が見事としか言いようがない。
その為、中々上手くいかず、拮抗しているのである。
それをグダグダで片付けられてしまっては、憤りより脱力感しかなかった。
――バフバフッ!
予期せぬ姫の出現に頭が混乱していたが、徐々に冷え冷静になると、何やら先程から奇妙な音を出す"存在"がある事に気が付いた。
「あの、姉上」
「何?」
「えっと、手に持っているのは何ですか?」
姉の存在が大き過ぎてまったく視界に入らなかったが、よくよく見れば左手に麻袋の紐をぶら下げているではないか。
そして、その紐の先にある大きな麻袋は――
――先程からずっと"動いていた"。
――そう。
動いているのだ。
……小さな呻き声と共に。
ねぇ、姉上。
それは何ですか??
楽しんで頂けたら幸いです。
( ´ ▽ ` )