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第10話 戦争学の新設

結局、旦那様は、もう朝食はどうでも良くなったのか、ちょっと出掛けてくるとウマに乗って出ていった。


きっと事の真偽を確かめに、仲人口をきいた人物のところへ出かけたのだろう。


偽物をつかされるにしても、程がある。(つぼ)や宝石ならともかく、妻である。被害が甚大すぎる。



メアリとアンが、こっそりと盗み聞きしていて、顔を見合わせていたことを私は知っていた。


だが、それもどうでもよかった。いつかはバレる話だ。


結婚が決まって以来、恐れていた事態が、ようやく動き出しただけだ。早すぎる離婚ということで、多少噂にはなるだろうけど。



離婚はやっぱり、少し嫌だなと思うのは当たり前だけれど、ちょっとだけ、がっかりしている理由がよくわからなかった。


思いのほか、旦那様は人間としては悪くなかった。男性なのが玉に瑕だ。それさえなければ、いいお友達になれたかもしれない。




とはいえ、離婚が成立するまでには、まだ多少時間がかかるだろう。

旦那さまは大急ぎで馬を飛ばして行ったけれど。


その間、私は手綱(たずな)(←たづな)を引き締め続けなければならなかった。


メアリは、家政のお金を私から受け取らなくてはいけないことになったのがムカつくらしく、表面上は従順だったが決して親切ではなかった。

アンもだ。


既婚夫人の称号を授けてくれた上、ここ数日の食費まで見てくれた旦那様に、せめてものお礼をしなくてはいけない。健全で普通の家政運営という形で。





そして、せっかく旦那様はいなくなったと言うのに、私は大事なマーガレット様からの手紙を胸にかき抱いたまま、自室のドアの前で立ち尽くしていた。


事情を知ろうと、メアリやアンがうろつく食堂なんかで、大事な大事なマーガレット様からの手紙を読みたくない。


でも自室のドア、開かない。どうする。


うっかり、極めて厳重にドアをガードしてしまった。


「どうしよう」


私だって努力した。


まず、カギは簡単に開けられた。


旦那様の秘密の宝箱を一瞬で開けた、私のヘアピン・ピッキング技術を舐めてはいけない。


だが、押しても引いても、ドアがビクともしないのだ。


樫材の重いテーブルと、その上にソファと椅子を積み上げたのが、よくなかったのかも知れない。一つずつなら動かせても、まとめてとなると重いのか……。


この家に味方はいない。


だから、誰にも手伝いが頼めない。


どうしようもないので、私は、旦那様の書斎で、マーガレット様からの手紙を読むことにした。返事が必要だったら、まず、そちらを片付けないといけない。


マーガレット様だって、返事を待っていらっしゃるのだ。


『シャーロット! 元気にしていた? あなたの結婚が決まって、私はとても嬉しいの!』


相変わらずのマーガレット様!


女学校時代と何も変わらない。明るくて、他人思いで、面白い。


マーガレット様は実家の勢力と拮抗(きっこう)するくらい立派な家へ、身分上はスライド婚した。


旦那様も見目麗しい優しい方だと聞く。


『あなたの旦那様のファーラー卿は、男らしくて立派な人物だと夫は申しておりましたわ……』


え? それはどうでもいいんだけど。


『彼は、私の夫の部下なの。これからもずっとご縁が続くわ!』


ぱああっと世界が明るくなった。


そうだわ。旦那様、このまま離婚しないで、私をどこかで飼ってくれないかなー。


そしたら、マーガレット様が言うように、対等の……対等ではないが、マーガレット様のお友達として恥ずかしくない立派な貴族夫人の一人として、社交界でご一緒できるのに。


私が至らないばっかりに、あっという間に離婚に……。


『有能な騎士なの。いずれ騎士団を任せるかも知れないって夫が言ってたわ。見た目も押し出しも悪くないでしょ? 未婚なのが玉に瑕だったけど、由緒ある伯爵家から妻を(めと)ったし万全よ!』


この程度の由緒ある伯爵家は山ほどある。そのご令嬢も腐るほどいるだろう。実際、私は腐りかけていたわけだし。


『……爵位移譲のお披露(ひろめ)の会には絶対来てね! 知っての通り、あの公爵令嬢は今は侯爵夫人になってるわ。取り巻きも大勢いるのよ! だから、あなたも堂々と参加してちょうだい。あなたは私の取り巻きになるのよ! ファーラー家は子爵家だけど、実家は金持ちだし、彼ほど優秀な騎士なら、お金に困るなんてことないはずよ。バッチリ着飾って来てね!』


……………。


困った。


マーガレット様は事情を知らないのだ。


いやいや、もちろん私が少しばかり男性に興味が薄いことは知っている。


だが、私の旦那様の大誤解はご存じない。


「あれほど聡いお方なのになー。まあ、他人の家の事情なんか知っている訳がないわね」


マーガレット様は、夫を通じてしか旦那様を知らないので、事情を知らなくても当然だけど。


そう言えば……


まあ、まれーに、ごくたまーに、さすがのマーガレット様も、勘違いされることはある。


私は思い出した。


女学校時代、たった一つだけ、男性教諭が教壇に立つ科目があった。


なんとも驚きの戦争学だった。


これほど女学校と無縁の科目はあるまい。


「要らないわよー、それ」


戦争学が新設されると聞いた時、私たちは散々こき下ろした。


「戦争なんて、男の仕事じゃないこと?」


国内きっての名家の出の修道院長以下修道女全員、下は洗濯女や掃除婦、もちろん生徒の親も、断固反対、絶対反対、徹底抗戦の構えだった。


にもかかわらず、この科目は実施されたのである。



この女学校の卒業生は、いずれは結婚し、良き妻良き母となるであろう。

夫は領主かも知れないし、王宮の文官かも知れない。騎士かも知れぬ。


いずれの仕事で王家、ひいては国を支えるにせよ、万一の時には、国家の(いしずえ)となるべき貴族の妻が、戦時に無理解では国が成り立たぬ。


好んで、戦いに赴くのではない。そこには戦略があり、最小の被害で国を守る知恵と努力があるのだ。


……などと、国王始め、騎士団長、元帥、果ては師団長、騎士学校長等々と、関係者からの山のような意見書が集まって、泣く泣く意味のわからない授業が始まったのである。


「ああ……」


修道女の一人が、この話を聞いて、いかにも合点がいったと言うような声を出した。


「騎士団長の奥様は、戦争は男の趣味だって持論なのよ」


「趣味……?」


「騎士団長がね、一日中、剣を惚れ惚れと眺めたり、せっせと手入しているのをみていると、イライラするんですって。一度なんか、百年前から家に伝わる名剣を溶かして、フライ鍋にしてしまったそうなの」


修道女たちはフムフムと頷き合い、扉の影にへばりついていた私たちは、世間と隔絶した清貧生活を送っているはずの修道女たちが、どうしてそんなに他人の家庭生活に詳しいのか悩んだ。


「元帥閣下は、再婚したところなのよ、十五歳年下の伯爵家のご令嬢と」


「まああ」


「メロメロで言いなりなのよ。でも、奥様が手が硬くなるから剣は握るなと」


理解のない妻……。そうかも知れない。


「剣術は趣味でしょうと言い出したのですって」


それは確かに……。素振りとかって、確かに何の役にも立たないような気がするわ。



「そんなわけはない!」


雷鳴のような大声が、いつもは静かな修道院に響き渡り、女生徒たちは唖然とした。


むくつけき、という言葉がものすごくお似合いな、髭を顎にも頬にも黒々と生やした上に、唇の上にはろう付けしてピンと跳ねさせた口髭を生やした、堂々たる偉丈夫が出現した。頭髪はというと、重力の法則に従って、頭頂から頬髭あたりに移動したらしく、少々寂しいことになっていた。


「まず、戦争論といったものの歴史から披露させていただこうと思う!」


声がすごい。


「あれが元帥様よ」


「手のタコが硬いとか言うのは、きっと一種の比喩じゃないかしら」


「そうよねえ。絶対、髭が気に入らないのじゃないかしら」


「男性から見た男性美。女性にアピールしないのよ」


「言葉尻だけを捉えて、女性が理解していないとか言っているわけじゃないわよね?」


残念ながら、女性からのウケはあまりよろしくなかったが、本人は自分の演説に大いに満足して、威風堂々と出ていった。


「毎回、元帥様が来られたら困るわね……」


どんなに元帥様の風貌に人気がなくても、元帥は元帥、流石に黙って拝聴する他無かった。


しかし幸いなことに?お仕事の都合とやらで、なぜか毎回講師は変わり、大体若い騎士様が来ることが多くなった。


元帥様にはおとなしかった生徒だったが、生徒だって、貴族の子女、やってくる騎士たちの家系や現在の地位、騎士としても実力などを、きっちりリサーチ済みであった。


彼女たちにだって、兄や父や叔父や従兄弟がいて、彼らは女学院で男性が講師をする件に関しては、大反対だったのだ。


「来たわね、雑魚」


戦争学の授業をぶっ潰したくても、元帥様にケチはつけられない。狙うなら、爵位も後ろ盾もない若い騎士だ。


我々も貴族の端くれ。相手が姑息なら、こちらも姑息に闘うまでだ。


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