第53話 それは、亡霊の影か
「あ、ルナさん。お手数ですが、手伝ってもらいたいので職員室まで来てもらえますか?」
ロッド先生が赴任してから数週間後の放課後。
授業が終わるや否や、彼はルナに頼みごとをしてきた。
「えー。なんで私ー」
「まあまあ、私も手伝うから」
「お姉様が行くなら私も行くよ。先生、いいですか?」
めんどくさがり屋のルナのフォローをしているとエヴァが先生に都合をつけてくれた。
先生は大きく頷いて、助かります、と一言呟いた。
「それならば私達もご一緒しましょう。人手は多い方がいいでしょうし」
ロゼリアさまがムースとユウリィを連れて合流する。
あまりの多さにロッド先生は口を一瞬つぐんだが「お願いします」と言った。
先生の後に続くように、全員で移動する。
その背中を見ながら、私は今日の授業について思い返す。
(今日の授業もすごかったなぁ……)
ロッド先生が赴任してから時間が過ぎたが、その人気はとても高い。
どの授業もレベルが高く、分かりやすいからだ。先生の人柄の良さも理由だろう。
事実、私の魔法のレベルも、この短期間で着実に伸びている。
「……そういえば、皆さんは放課後に全員で訓練をしているのですか?」
「え?あ、はいそうです。みんなで頑張っています」
急に振られた質問だが、実際にその通りなので肯定する。
すると先生は顔だけをこちらに向けてきた。
「もし何かわからないところがあれば聞いてください。魔法理論であればお教えしますよ。熱心な生徒は好みですので」
「あ、ありがとうございます!」
先生は微笑んで再び前を向いた。
彼の心配りに感動していると、間もなく職員室へと到着した。
職員室の中でプリントとなにかの器具を分かれて持つ。
先生も器具を手にして、職員室を後にした。
「すみませんね、こんなに人数がいると軽すぎるくらいでしょう」
「いえ、大丈夫ですよ」
すまなそうに目じりを下げた先生にロゼリアさまが返事をする。
すると先生は何かを思い出したように、そういえば、と呟いた。
「風のうわさで聞いたのですが、皆さんはテスタロッサの調整は第5寮のミストさんにやってもらっているんですか?」
「「「…………」」」
「……あ、はい、そうです」
珍しく誰も返事をしなかったので慌てて返答する。
私たちとミストの仲が良いのは周知の事実だ。ミストが私たちのテスタロッサを調整しているのも有名な話だった。
「いいですね。学生のうちからテスタロッサの調整ができる人とコネクションがあるのは良いことですよ。私もテスタロッサ調整はさっぱりで、専属の人と契約をしていますので」
「ロッド先生は、ここに赴任する前は魔法師団の研究所に居たんですよね?そこでもやはり魔法理論を?」
「え?ああ、はい。そうですね。特に制限などは設けずに、全部の魔法の理論を研究していました」
突然のロゼリアさまの質問にロッド先生は一瞬驚いたが、すぐに返答した。
彼は懐かしむようにつらつらと話を続ける。
「魔法がどのようにして成り立っているのか。どうして人それぞれで魔法の細かい部分が変わるのか。そういった細部を研究していました。あれはあれで楽しかったですよ」
「なら、なぜ教職に?」
「人に教えるのも好きだったからですよ。よく後輩の面倒も見ていましたからね。知識を皆さんに吸収してほしい、それだけですよ」
先生の言葉は本当のように思えた。
ロゼリアさまはその後はなにも言わず、私たちは教室に到着する。
プリントや器具を置きながら、私は書かれている内容を確認した。
「これ、明日の授業のプリントですか?」
「はい、そうですよ。明日はファイアボールですね。初級魔法なので皆さん習得していると思いますが、それの後押しです。どうせなら出力が大きくなっていることも確認できればと、器具も借りてきました」
先生の熱意はすごい。
書かれている内容も、かなり分かりやすい。
ここに先生の説明が追加されるなら、理解はさらに進むだろう。
(これは明日も楽しい授業になりそうだ)
そんなことを思っていると、同じようにプリントを手にしていたロゼリアさまが興味深そうに聞いた。
「魔法師団の研究所が提唱している内容からは随分と離れているんですね」
「……まあ、自分は研究所の中でも異端でしたからね。すでに知れ渡っていることを、さらに深く研究する変人として。けれど、分かりやすいでしょう、ウリアさん?」
「はい」
先生の言葉に私はコクコクと頷く。
研究所の提唱している内容は教科書とほぼ同じだが、なんというか、堅苦しい言葉回しが多くて理解が難しいのだ。
それに比べれば、ロッド先生の授業は天と地ほど差があると言えるだろう。
「教科書や研究所の内容なんかよりも、生徒が成長できれば私はそれでよいと思いますよ」
先生は持っていたプリントを戻し、私に視線を向けた。
「皆さんは、この後も訓練を?」
「はい」
そう答えたとき、私は奇妙な感覚に襲われた。
ロッド先生の細い目の向こうから、黒い瞳が私を見ているような、そんな錯覚に襲われた。
体中が寒くなるような、そんな感覚。
「そうですか。頑張ってください。ただし、あまり無理はしないように」
しかし次の瞬間にはその寒気は消えていた。
ロッド先生の目は細められていて、その隙間は見えない。
視線は外していないし、瞬きもしていない。
(……見間……違い?)
そんなことを思っていると、ロッド先生は私の横をすり抜けて教室を出て行ってしまった。
私の勘違いだったのかもしれない。次の瞬間には、そのことも忘れてしまっていた。
その数週間後の朝、教室について荷物を整理していると、ミストが入ってきた。
彼女は私の姿を見つけると、一直線に歩いてくる。
その顔を見て、私は驚いた。
「ミスト、どうしたのその顔?」
ミストの顔はそれはもう酷いものだった。
顔色はとても悪く、目の下にはクマができている。寝てないのは明白だった。
テスタロッサ弄りに夢中になることはこれまでもあったが、睡眠に関してはきちんと取っていたはずだ。
ミストは縋るような目を向けて、答えた。
「クローネ……先生を……見た……」
「え?」
ミストの口から飛び出したのは、絶対に見るはずもない人の名前だった。




