友情有情
「おーい、飯だぞ。お前、授業中ずっと寝てたろ?」
なんだよ。こっちは気持ちよく寝てたって言うのに、と思いながら藤田一は目を覚ました。周りを見渡すと授業は終わっており、クラスメイト達は各々昼食をとっていた。
「は?寝てねえし」
「いやいや、バッチリ寝てるとこ見たから」
前の席の二宮継は呆れたように言った。自分のことを棚に上げている。こいつも授業となれば起きている時間の方が少ないくらいなのだ。
「いやいや、俺は要領良いから」
どの口が言いやがる。いつも赤点ギリギリのくせに。
二宮がむかつく奴なのはいつものことだからこれ以上は触れないことにして、昼休みだと言われて初めて自分が空腹であることに気付いた。今まで寝ていたので気付いていなかったのは当然と言えば当然なのだが。
「んで?飯はどうするんだよ?」
いつものことだが、弁当を持ってきているわけではないし、何か食べるものを買ってあるわけでもない。となれば、売店に買いに行くしかない。どうする、というのは買いに行くか行かないかではなく、どうやって買うか、もっと言えば誰に買いに行かせるかのことだ。
「そりゃ、磐田君にお願いするっしょ?な?頼むぜ?」
磐田伸五は、クラスメイトで、最近のパシリである。地味で気が弱い性格だったので、二宮が1度パシリに使って以来、何かあるごとに頑張ってもらっている。
「…実は、もうあんまりお金がなくて…、まだ1度も貸したお金返してもらってないし…」
「あぁ?それじゃあ何?もう俺たちと仲良くするのは嫌だってことか?あ?」
「いや、違うよ!…そうじゃなくて、…たまにはほかの人に頼むのもいいんじゃないかなぁ、なんて」
「へぇ、んで?誰に頼むわけ?」
「それは…、その…」
磐田はきょろきょろと自信なさそうな眼差しで辺りを見渡す。そして、教室の一番後ろの席の辺りで視線が動かなくなった。
視線の先にいたのは虚実。大人しそうな見た目をしているものの、決して発言がないわけではない。しかし、どんな人間なのかと聞かれると答えに困る、藤田にとって虚とはそんな印象だった。
「そんじゃまあ、虚くん。せっかくのご指名だからさ。俺たちの昼飯頼むわ」
「なんで?」
突如教室内がひりつく。この教室内で藤田、二宮以上に力を持っている生徒などいないのだ。その二人に反抗するということが意味するところは1つである。
「なんでって、俺たちは腹が減ってて、しかも飯がないんだ。困ってる時には助けてくれるのが友達ってもんだろ?」
「へえ、僕たちが友達同士だなんて思いもしなかったよ」
「てめえ…」
藤田の拳に力が込められたその時、教室に駆け足で入ってくる一人の少女がいた。
「私、1秒でも遅れたら許さないって言わなかったっけ?まーくん?」
少女はどうやら虚に用があるらしい。虚の制服をつかんで連れて行こうとする。
「ちょっと待ってよ。まだ話の途中なんだから」
「私との約束よりも大事な話があるってこと?」
「そうなんだ。今、僕たちは仲のいい友達同士だねって話をしてたんだ」
「………親友ねぇ」
少女はそうつぶやきながら、藤田をにらむ。
「きれい事を並べて都合のいいように使っているようにしか見えないけど」
「そ、そんなわけないだろ?これから昼飯をどうしようかって話をするところだったんだ」
少女に迫られ取り繕うように言葉を発する藤田。
「へえ。まあどっちでもいいんだけど。でももし、まーくんに手を出したら絶対に許さないから。ほら、行くよ」
「藤田君ごめんね。今日は先約が入っててさ。また今度誘ってよ」
そう言い残すと、虚は少女に連れられ教室を出て行った。
「あーあ、これは嫌われちゃったかな?あんなに怒った異々我さん見たことないぜ?」
「うるせえ」
虚を連れて行った少女は異々我心。藤田たちと同じ学年で、容姿端麗、成績もトップクラス、友人も多いというまさに完璧超人として有名だった。そんな彼女に対して特別な感情を抱いている藤田は、かなりの悪印象を彼女に対して与えてしまったことになる。
「そもそもお前が変なことを言い出さず、素直に言うこと聞いてりゃあ…」
「そっ、そんな…」
藤田の怒りは、結果的にきっかけとなった磐田へと向かう。
「ちょっと!いらいらしてるのか知らないけど、けんかならよそでやってよね!教室にいるのはあなたたちだけじゃないんだから!」
藤田を止めたのはこのクラスの委員長、三井由紀子だった。正義感の強い彼女は、藤田たちとはまた違った意味でクラスメイトたちから一目置かれていた。
「あー、わかった。騒いで悪かったよ」
そう言い残すと藤田は教室を出て行った。
「いやー、ぎりぎりだったね。委員長に感謝しな、磐田君」
そう言うと二宮も、藤田の後を追い教室を出て行った。
「磐田君、私が力になれることがあったら言ってね。私たち、その…、クラスメイトだから」
「うん。ありがとう、委員長」
残された磐田は、額を汗が伝うのを感じながら、全身の力がすべて抜けるかのような深いため息をつき、そしてほんの少しだけ微笑んだ。
放課後、藤田は野球部の部室へと歩いていた。といっても、部活をするために向かっているのではない。そもそも藤田は形式上野球部に在籍はしているものの、練習に参加することはなく、気が向いたときのみ大会に出場する、いわゆる幽霊部員であった。顧問には学校外のクラブチームに所属していて、そちらの練習が忙しいなどと嘘をついてごまかしていた。ほかの部員はそのことを知ってはいたものの、たぐいまれな運動神経を持つ藤田が大きな戦力となること、そして余計なことを言えば、自分の身が危ないという恐怖で、藤田に干渉しようとはしなかった。
そんな藤田が突然部室に現れたのだ。居合わせた部員たちに緊張が走る。
「藤田君、どうかしたのかな?」
「あぁ?ちょっとバットを借りに来たんだよ。俺も部員なんだから別にいいだろ?」
もちろん野球部のバットは学校の備品で、校外に持ち出すことは原則禁止だなんてことを言い出す人間はここにはいない。
「そ、それはかまわないんだけど、何に使うのかって聞いてもいいかな?」
「おいおい、バットは野球に使うもんだろ?自主練に使うに決まってんだろ?もうちょっとうまくボケろよな」
そう言った藤田は笑っていたものの、その目は笑顔からあまりにもかけ離れていて、それを見てしまった部員たちは、早く時間よ過ぎ去ってくれと願うことしかできなかった。
「明日には返すからさ。練習熱心な野球部員を応援してくれ」
それだけ言うと藤田はバットをケースに入れ、部室から出て行った。
部室から出てきた藤田の携帯が鳴る。二宮からの電話だった。
「遅いぞ。てっきり部室で暴れてんのかと思ったぜ」
「そんなわけあるか。んで、今どこだ?」
「ああ怖。あいつならもうすぐ校門を出るところ」
「ご苦労様。んじゃまた明日」
「あーあー、冷たいな。そんなんじゃ嫌われるぜ?」
「てめえの腹黒さに比べたらかわいいもんだろ?」
「あー、ひでー。涙が出てきたぜ」
いつも通り軽口しか言わない二宮。くだらない話に付き合っていたら日が暮れてしまう。藤田はそれ以上何も言わず電話を切った。
もし、大の大人が町中でバットをそのまま持って歩いていたならば、目立ってしまうだろう。逃げ出す人もいるだろうし、警察に声をかけられたりもするだろう。バットは数あるスポーツ用品の一つであるのに、その形状が故にあるいは人の命を奪うことも可能だからである。
だが、持っているのが高校生であればどうか。おそらく誰も注視することは無いだろう。野球はメジャーなスポーツであるし、その道具を持ち歩く高校生なんてそれこそ腐るほどいる。そのほとんどがバットをケースに入れているだろうが、ものによってはバットケースなんてほんの数ミリの厚さしかないビニールのようなものだ。そのままでも人を殴れば人の命を奪うことができる。
それなのに人は、ぱっと見野球をやっているのだろうと思われる高校生くらいの男が、野球に使うのであろうバットを持っているとしか考えないのだ。中にはほほえましく思う人もいるかも知れない。
藤田はそれを非難したいのではない。平和ぼけしていると笑おうというのでもない。
自分にとってただただ都合がいいな、この世界は。そう思った。
だから、自分の思うようにならなかった虚が憎かった。思い知らせなければと思った。
虚が人気の無い路地へと入る。学校から後をつけてきた藤田もそれに続く。虚が藤田に気づいたような様子はない。路地を幾度か曲がると、虚は小さな廃工場のような建物へと入っていった。
「気づかれたのか?」
虚がこんなところに用があるとは思えない。藤田は建物に入るのをためらった。建物の外周に回り込み、見つけた窓から中をのぞく。
建物の中は思ったよりも整えられており、人が生活しているような形跡があった。
ソファーに座った虚はテーブルに置いてあった本を手に取り読み始める。細かい事情はわからないが、どうやら虚はこの建物で生活をしているらしい。どういう家庭環境だよと藤田は突っ込みたくなったが、そもそも虚という人間について全くといっていいほど何も知らないことを思い出した。
当たり前だ。藤田にとって虚なんて路傍の石程度の存在だ。それなのに、そんなものに今こんなにも煩わされているなんて。藤田の拳に力が入り、奥歯がこすれる音がする。
ふと、虚の携帯に着信が入る。それをとったはいいが、どうやら電波が悪いらしい。建物の中をうろうろと歩いたかと思うと、そのまま外へと出て行ってしまった。
藤田は一瞬それを追いかけようとしたが、すぐに立ち止まる。虚は携帯しか持って行っていない。バッグは建物の中にあるし、建物に鍵もかけていない。十中八九すぐに戻ってくるだろう。藤田は、虚が路地を曲がり、見えなくなるのを確認してから建物の中に入る。
バットを取り出し、テーブルを壊す。本棚の本を手当たり次第にばらまき、本棚を壊す。
脈が上がっていくのを感じる。身体の隅々まで血が巡っているのがわかる。
空気を深く吸い、ゆっくりとはき出す。呼吸を落ち着けると、気配を殺して、バットを振り上げた。
そして待つ。その瞬間が来るまで。
足音が聞こえる。
まっすぐにこちらに近づいてくる。
あと10メートル。
笑みを浮かべる
あと5メートル。
これでいい。やっぱりこの世界は俺にとって都合がいい。
あと3メートル。
虚がいなくなれば、異々我心だって。
あと1メートル。
手に入るんだ。
鈍い音とともに赤い点が散る。
「あ、あれ?」
藤田は混乱していた。
想定したよりも虚の頭が低かったからだ。タイミングがずれ、衝撃が逃げてしまった。
想定外はそれだけではなかった。頭を抱え倒れ込んだ身体は思っていたより線が細く、髪も長く見える。
それはまるで虚とは全くの別人であるかのように。
「うぅ、痛い。頭が、あぁぁ」
腕に血を滴らせながら起き上がろうとしているのは、異々我心だった。
藤田の手からバットが落ち、全身の力が抜け膝から崩れ落ちる。
「ち、違う。違うんだ。そんなつもりじゃ…」
異々我はその言葉を聞いた途端、跳ね起きるようにして藤田に掴みかかった。
「違う?そんなつもりじゃなかった?じゃあどんなつもりだった?手を出したら絶対許さないって言ったよね?」
異々我は血の流れ落ちる手で一切の躊躇無く藤田の目をつぶそうとする。
持ち前の反射神経でその手をそらした藤田は、シャツをつかんだもう片方の手をふりほどき、倒れそうになりながらも逃げ出す。
「逃げるなぁ!まーくんを、私のまーくんを!私が守らなくちゃいけないのに!絶対逃がさない!絶対許さない!」
異々我の足はふらつき、逃げる藤田を追うことはできないが、その目は流れる血が入ろうとも瞬きすることなく藤田をにらみつけていた。
恐怖のあまり半狂乱になりながら建物を飛び出してすぐ、藤田は人にぶつかった。
「た、たったすけて。助けてください。こ、殺され…」
助けを求め、見上げた相手は何秒か前まで思い浮かべていた相手だった。
「藤田君。大丈夫だよ。まずは落ち着いて?救急車と警察は呼んであるから」
そう言いながら携帯電話を指さす虚。
「嘘だろ?違うんだ!聞いてくれよっ!」
「何が違うのかよくわからないけど、もし悪いことをしたならそれを償わせなくちゃね?隠して逃がすなんて藤田君のためにならないもんね?」
そして虚は、普段の彼からは想像もできないような笑顔で言った。
「藤田君の役に立ててうれしいよ。あっ、感謝の言葉なんかいらないからね?」
「ほら、僕たち友達同士だからね!」
藤田の意識はそこで途切れた。
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「あの角の病室の男の子。傷害事件を起こしたらしいんだけど、記憶喪失で何も覚えてないらしいの。お見舞いによく友達とか下級生の子とかが来てるみたいだけど、何も思い出せないって」
「よっぽど大きなショックを受けたんでしょうね。もしかしたらその傷害事件も相当追い込まれてほかにどうしようもなくて…、とかなのかもね」
「ほら、またお見舞いに来た子がいるし、本当はいい子なのよ、きっと」
病室のドアがノックされる音が聞こえたので返事をする。
「はい、どうぞ?」
一拍の間を置き、病室のドアがゆっくりと開けられる。
「こんにちは。具合はどう?」
こちらを気遣いながら、病室に入ってくる同級生くらいの男子。肩に担いだバットケースから野球少年であることが窺える。
「あ、あぁ。こんにちは。体調は悪くないですけど。…ごめんなさい。僕、記憶をなくしてしまったみたいで、あなたのことも……」
「いやいや、気にしないで。記憶のことは話を聞いてたから。今日は忘れ物を届けに来ただけなんだ」
そう言って、肩に担いでいたものを渡す。
「これは、…バットかな?」
「そう。もともと藤田君のものだったから返しておこうと思って。バッティングの記憶とか戻るかもしれないし」
「ありがとう。何かお菓子でも出せればよかったんだけど、ちょうど今何もなくて」
「お気になさらず。実は次の予定があって長居はできないんだ。記憶、戻るといいね」
そう言い残すと病室を出て行ってしまった。
「あ、名前を聞き忘れたな…」
意識が戻ってからというもの、たくさんの人が見舞いに来てくれたが、何一つとして思い出すことができていない。医者は記憶喪失は一時的なもので、何かきっかけさえあれば元に戻るはずだと入っていたが、いつまでこのままなのだろうか。
退院して学校に通い出せば思い出すだろうか。記憶をなくす前にやっていたという野球をやってみようか。などと考えながら、何の気なしに渡されたバットケースを開け、中から1本のバットを取り出す。
「うっ………」
バットを両手で握った途端、激しい頭痛に襲われる。
ポタッ。
ベットのシーツに何かが落ちるのが目の端で見えたような気がした。そんなはずはない。
シーツのシミがじわじわと広がっていくのが見えたような気がした。そんなはずはない。
シミは生臭くて鉄っぽいにおいがして赤黒く見えたような気がした。そんなはずはない。
それはバットから滴り落ちて来ているように見えたような気がした。そんなはずはない。
僕は人をバットで殴り殺そうとした事があるようなような気がした。そんなはずは
―――――――絶対に許さない。
「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!」
「藤田君!どうしたの!?何があったの!?」
叫び声を聞き、駆けつけた看護師が病室に入った時、藤田一は半狂乱で自分の頭をバットで殴っていたという。
「忘れるなんてひどいよ。僕たち友達なんだから」