啓太の必死の逃亡劇
国体道路はカリーナエアーベースの金網に沿って走っている二車線でコザシティーに通じている道路である。コザシティーはカーブの多い路地が多くありコザシティー一帯は迷路のようになっている。コザシティーは啓太が生まれ育った街だ。道路はよく知っている。コザシティーの迷路のような路地に逃げ込めば追跡車から逃れることができるだろう。啓太はコザシティーを目指して車を走らした。
国体道路入り口から数百メートル進むと、国体道路は緩やかな上り坂になっていた。上り坂は激しい雨が降り続けたために赤土が混ざった濁水が激しく流れて濁流の川のようになっていた。スピードを出すと濁水がエンジン部分に入り、エンジンがストップしてしまうかも知れない。しかし、追跡者に追いつかれないためにはスピードを落とすわけにもいかない。啓太はエンジンがストップしないことを祈りながら濁流の中を進んだ。
追跡者はエンジンストップなど気にする様子もなくスピードを上げて次第に啓太の車との距離を縮めてくる。
前方に一台の軽自動車が濁流の中で立ち往生しているのが見えた。軽自動車が立ち往生している場所は凹地になっているようだ。運がなければその場所でエンジンストップするかも知れない。啓太はエンジンストップするのを恐れながらもスピードを落とさずに濁流の中を走り続けた。泥水のしぶきがどーっと舞い上がり、フロントガラスを泥水が覆い視界はゼロになった。スピードはがくんと落ちたがエンジンストップは免れた。ゆっくりと濁流から出ると啓太は車を止めて車から下りた。激しい暴風雨に飛ばされそうになりがら、身を屈め足を踏ん張って歩き、立ち往生している軽自動車に近づいた。軽自動車の中を覗くと誰も居なかった。運転手は避難したようだ。激しい濁流が啓太の足をすくおうとする。足をすくわれたら一気に濁流に流されてしまう。啓太は軽自動車を掴み、激しい雨に打たれながら追跡車を待った。
豪雨の中から追跡車は現れた。追跡車は勢いよく濁水に突っ込んで来た。車の両サイドから泥水が高く舞いあがって、追跡車のスピードはダウンした。啓太は渾身の力を込めて軽自動車を押した。軽自動車は滑り、追跡車の正面にぶつかって追跡車を止めた。いきなり止められたショックで追跡車のエンジンが止まった。啓太の運がよければ追跡車はそのままエンジントラブルを起こして動かなくなるだろう。そうなれば啓太は追跡されることはない。例えエンジンが再始動したとしてもフロントにぶつかっている軽自動車を取り除くのに時間がかかる。その間にできるだけ遠くまで逃げれば追跡者が啓太の車を見つけることは困難になる。これで追跡車から逃げることができると思い啓太はほっとした。啓太は背を屈めて急いで自分の車に戻り、その場から去った。
なだらかな坂を登り、イヘイを通り過ぎ、ウエセドを通り過ぎてヤマウチも過ぎ、ウエチの十字路を右折して啓太の車はコザシティーの市内道路に入った。市内道路に入る前に後方を見たが追跡車の姿は見えなかった。なだらかな上り坂になっている市内道路はコザシティーの中央通りである国道三三〇号線に出るが、啓太は途中で左折して細い路地に入った。
幾つかの路地を曲がり啓太はコザシティーで一番大きい飲み屋街である仲ノ町に入り、仲ノ町の一角で車を停車した。ここなら追跡車が追ってきたとしても簡単に見つかることはないだろう。啓太はコンビニエンスに電話した。電話に出たのはパートの澄江であった。
「もしもし、店長だが、店はまだ停電をしていないか。」
「店長、どこに居るんですかあ。店のウインドーは今にも割れそうなくらい曲がるし、恐いですよお。」
澄江の声は今にも泣き出しそうである。
「ウインドーが割れるということは絶対ないよ。大丈夫だ。まだ停電はしていないようだな。」
「停電しそうになったです。早く帰って下さい。美紀ちゃんと私では心細いです。一分でも早く来て下さい。お願いします。」
「分かった。急いで帰る。」
啓太はアパートに戻って、濡れた服を着替えてからコンビニエンスに行く積もりだったが、そういうわけにはいかないようだ。啓太はすぐにコンビニエンスに行くことにした。しかし、ずぶ濡れの服は着替えなければならない。啓太は由利恵に着替えをコンビニエンスに持ってきてもらおうと考え、由利恵の携帯に電話した。由利恵は幼稚園の先生をしている。
「もしもし、啓太だ」。
「由利恵よ。」
「今どこに居るのか。」
「家に決まっているでしょう。」
「そうだよな。由利恵。台風の風速はどのくらいになっているか。」「三十メートルを越したわ。」
「そうか、まいったな。」
「どうしたの。」
「由利恵に頼みたいことがあるが、しかし、風速が三十メートルを越したか。どうしようかな。」
「どんな頼みなの。」
「由利恵は外に出れるかな。台風だが。」
「このくらいの風なら大丈夫よ。」
「そうか。すまないが僕のアパートに行って、着替えをコンビニまで持ってきてほしいんだ。頼めるかな。」
由利恵は啓太の恋人でコンビニエンスの経営が軌道に乗ったら、由利恵と結婚をする積もりでいる。啓太がコンビニエンスの店長として一人前になろうと懸命に努力しているのは由利恵と結婚する目的があるからである。結婚の約束をしていた由利恵は啓太のアパートのカギを持っていた。
「いいけど。どうしたの。」
「ドライアイスを買いに行ったが、途中でトラブルがあってさ、ずぶ濡れになってしまった。アパートに寄って着替えをしたいが着替えをする時間がないんだ。急いでコンビニに行かなければならないんだ。」
「分かったわ。私がケイの着替えをコンビニに持っていくわ。ケイ。運転に気をつけてよ。」
「由利恵こそ気をつけてくれ。本当は頼みたくないけど、店は美紀ちゃんと澄江ちゃんの女の子二人だけでみているから、女の子二人では心細くてとても恐がっているんだ。僕が一分でも早くコンビニに行って二人は早めに家に帰した方がいいだろうと思って。」
「二人は十八歳だったかな。恐がるのも無理ないわよ。それじゃ今日はケイと私の二人でコンビニの店番をしましょうか。」
「え、それは悪いよ。どうせ客は来ないだろうから僕ひとりで充分やっていけるよ。」
「うふふ、暴風の中の二人だけのコンビニエンス。二人の愛を育むというのもロマンがあっていいんじゃないの。台風十八号がウチナー島を直撃するのは間違いないみたいだから、長い台風の一日になるみたいだし。」
「台風直撃か。店は確実に停電するな。」
「停電したら、ろうそくを灯して二人で過ごしましょう。ロマンティックにね。」
「それはいいな。停電するのを期待しようかな。へへへ。」
由利恵とは時間を忘れてついつい長話になってしまう。啓太は父親の啓四郎にも急いで電話しなければならないことを思い出し由利恵との電話を切った。啓太は啓四郎に電話をした。
「もしもし、親父か。」
「ああ、啓太か。ドライアイスは買ってきたか。」
「うん、買ってきた。親父、ドライアイスを買って帰る途中で大変なことに巻き込まれたよ。」
「え、なにがあったんだ。」
啓太はミサイルを積んだトレーラーと乗用車の交通事故のことから拳銃を撃つ不気味な追跡者などこれまでのことを詳しく啓四郎に話した。啓四郎は半信半疑で聞いていたが、啓太のリアルな話を聞いていく内に啓太の話は本当であると信じて真剣になった。
「親父よ。なぜあいつらは僕をしつこく追いまわしたんだろうか。」
「お前が防衛庁の人間と話していたからだろうな。お前が防衛庁か警察に通報するのを恐れたのだろう。」
「ふうん。僕は防衛庁の電話番号は知らないし、警察には電話したが警察は僕の話を信用しなかった。もう、警察に電話する気はないよ。」
「そうか。啓太の話を警察は信じなかったのか。」
「うん。」
「まあ、そんな荒唐無稽な話を信じないのは仕方のないことではあるな。」
啓四郎は苦笑した。
「親父、あいつらは何者なんだろう。」
「お前の話によるとアメリカ兵は二、三人で日本人も二、三人。そして残りの人間はインド系やアジア系の人間たちなんだろう。」
「うん。軍服を着けていたのはアメリカ人の二人だけだった。」
「ということは彼らがアメリカ軍の兵士でないことは明白だ。だからアメリカ軍によるミサイル移動とは考えられない。」
「そうだよな。」
「啓太が見た連中は暴風雨のどさくさに紛れてカリーナエアーベースからミサイルを盗んだ泥棒達であることには違いないだろう。」
「防衛庁の人間もそんな風に言っていた。」
「しかし、アメリカの軍事基地からミサイルを盗むとはな。余りにもスケールのでかい泥棒たちだな。恐らく啓太が見た連中は武器の国際的な窃盗団だろうな。信じられない話だよ。」
「武器の窃盗団って本当に居るのかなあ。」
「ミサイル泥棒か。なんかピンと来ないな。しかし、啓太は実際にトレーラーに積んであるミサイルを見たのだろう。」
「うん。見た。」
「世界は広い。ミサイル泥棒が現実に居たということだ。」
「そういうことになるのかなあ。」
「しかし、分からない。」
「なにが分からないんだ、親父。」
「ミサイルをアメリカ軍基地から盗むのに成功してもだ。小さなウチナー島にミサイルを隠す場所なんかあるだろうか。隠してもすぐ見つかるだろう。それにだ。うまく隠したとしてもミサイルを海外に運び出すのはできないと思う。台風でアメリカ軍の警戒が緩んだのを利用してミサイルを盗むのは簡単にできたかもしれないが、盗んだミサイルを島内に隠すことも国外に持ち出すことも不可能だと思う。ミサイル泥棒達は盗んだミサイルをどうする積もりなのだろうか。全然見当がつかない。」
「ミサイルを解体してスクラップにして売りさばくつもりじゃないのか。」
啓太の推理に啓四郎は苦笑した。
「スクラップにして売ったら二束三文にしかならない。ミサイルをスクラップにする目的で盗むということはあり得ないことだ。」
「そうだよな。」
「とにかく奇妙な泥棒の話だ。解き難い方程式だな。しかし、啓太を拳銃で襲ったということは彼らはミサイルを盗むのに本気であるし、かなり恐い連中であることは間違いない。」
「でも、もう大丈夫だよ。追っていた車からは逃げることができたし、ここまで来れば僕を探し出すことはできないよ。」
「そうかも知れないが。まだ油断はできないよ。大通りは避けて裏道を通った方が賢明だ。早くグシチャーのコンビニに行った方がいい。」
「うん、そうする積もりだ。じゃ電話を切るよ。」
その時、前方に車影が見えた。啓太は悪い予感がした。
「親父、ちょっと待って。」
前方の車はヘッドライトを点け、激しい雨の中をゆっくりと近づいてきた。
「どうした、啓太。」
啓四郎の声に啓太は返事をしないで前方の車をじっと見詰めた。可能性は低いが啓太を追ってきた車かも知れない。車は徐々に近づいてきた。車の姿がはっきりと見えてきた。ああ、やっぱり例の車だ。
「親父。奴らに見つかった。逃げなきゃあ。」
啓太は携帯電話を助手席に放ると車をバックした。ぐんぐんスピードを上げてからサイドブレーキとハンドル捌きで車を反転させると、急発進した。携帯電話からは「啓太、啓太。」と啓太を呼ぶ啓四郎の声がしたが啓太は携帯電話を取る余裕はなかった。啓太の車は十字路を左折して仲ノ町の中央通りを北進した。
「いけねえ。ここは一方通行だった。」
仲ノ町の中央通りは一方通行になっていて啓太は一方通行を逆走していた。前から車が来れば挟まれてしまい逃げることができなくなる。啓太は次の十字路に来ると迷わず左折した。数百メートル進むと国道三百三十号線に出た。啓太は仲ノ町飲食街から国道三百三十を横切り、ウチナー子供の国公園方向に逃げた。
国道や道幅の大きい道路では追跡車は車を横につけ、拳銃を撃ってくる危険がある。啓太は道幅の狭い裏通りを選んで走った。コザシティーの裏通りを啓太の車は走り続けた。追跡車はガウリンが運転し、シンは車から身を乗り出して拳銃を撃とうとする。しかし、コザシティーの裏通りはカーブが多く、シンは啓太の車に銃の照準を合わせることができなかった。
啓太を捕まえようとあせっているガウリンの運転は乱暴になっていた。カーブを曲がる時にもスピードを落とさないものだからブロック塀にぶつかり、道路に飛び出ている電柱には何度もバンパーをぶつけた。しかし、車が傷だらけになってもガウリンは啓太を追いつづけた。車が二台しか通れない狭い道路のために追跡車は啓太の車に並ぶことも追い越すこともできなかった。啓太は心に余裕ができたので携帯電話を掴んだ。
「親父、駄目だ。あいつらを振り抜くことができない。」
「ガソリンは大丈夫か。」
「大丈夫だ。」
「携帯電話の電池は大丈夫か。」
「車から充電できるから大丈夫だ。」
「よし、よく聞けよ。コザ十字路近くのヨシワラに急坂があるのを知っているか。」
啓太は必死の逃走劇の最中だから父親のいうヨシワラの急坂が直ぐには思い出せなかった。
「え、ヨシワラ、急坂。」
「ああ、寺があるところだ。」
啓四郎と話している内に啓太の車は裏通りから国道三百三十号線に出てしまった。コザシティーは裏通りから裏通りへといつまでも走り抜くことはできない。裏通りはいつかは四車線の国道に出るようになっている。広い道路になると追跡車が横に並ぶことができる。電話をしながら車を運転するのは危険だ。
「親父、電話を切るよ。」
啓太は携帯電話を助手席に置くと、国道三百三十号線を左折してスピードを上げた。啓太の車はコザシティーの下町からゴヤに向かっているなだらかな長い上り坂を走った。啓太は再び裏通りに入ろうとした。しかし、行き止まりになっている裏通りもある。そのような裏通りに入ったら万事休すである。啓太はコザシティーの道路を思い描きながら、行き止まりになっていない逃走するのに都合のいい裏通りを探した。しかし、土砂降りの暴風雨のために視界が悪い。視界が悪くても追跡車に捕まらないためにはスピードを落とすわけにはいかない。啓太は視界が悪いために何度も裏通りに入るタイミングを逃した。追跡車は啓太の車に追いつき、後ろから衝突した。しかし、幸いにも上り坂だったので追跡車に衝突されても車が突き飛ばされることも、回転させられることもなかった。啓太は裏通りに進入するタイミングを掴めないまま坂の頂上まできた。坂を登りきるとゴヤタウンである。ゴヤタウンは子供の頃から遊び回った場所だ。ゴヤタウンの道路なら啓太は表通りから裏通りまで知り尽くしていた。
啓太は国道三百三十号線を右折してパークアベニュー通りに入った。パークアベニュー通りの最初の信号を右折し、突き当たりになっている三叉路を左折すると、次の十字路を左折して再びパークアベニュー通りに出た。パークアベニュー通りを右折すると、二番目の十字路を右折して、次の十字路を左折した。啓太は路地裏の道路をジグザグに走り続けた。啓太のジグジグ走法は効果があった。ゴヤタウンの路地裏の道路に精通していないガウリンの運転はカーブをうまく曲がることができず、啓太の車との距離はどんどん離れていった。啓太は追跡車が視界から消えたのを確かめてからゲート通りを横切り、地元の人でも知っている人が少ない、狭い一方通行の道路に入り仲ノ町の裏通りに出た。啓太は啓四郎に電話した。
「親父、聞こえるか啓太だ。」
「ああ、聞こえる。今はどのような状況だ。」
「なんとか、あいつらを振り切って仲ノ町の裏通りを走っている。親父の言った寺の近くのヨシワラの急坂は知っている。その急坂で何をするのか。」
「うん、あそこに啓太を追っている車を誘い出して急坂を転げ落とそうという戦術だ。」
「おもしろそうだね。俺もさ、逃げている内にだんだん腹が立ってきた。善良な市民を理由もなく追いかけて殺そうとするんだよ。仕返しをやらなきゃ気がおさまらないよ。」
父親が反撃のアイデアを出したので元暴走族の啓太の血が騒いだ。
「こらこら、俺という言葉は使わない約束だ。俺は店長にはふさわしくない言葉だと注意したことを忘れたのか。善良な市民なら僕とか私とかと言いなさい。コンビニの店長になって、真面目に働くとお母さんと約束しただろう。」
「う、うん。」
啓太は啓四郎に注意されて意気消沈した。
「まあ、元暴走族だった血が騒いだかも知れないな。しかし、一番いいのは逃げ切ることだ。啓太を追ってくる車を完全に振り切ったか。」
啓太は後ろを見た。走って来る車は見当たらなかった。
「振り切ったようだよ。」
「そうか。追跡車から逃げ切れたのなら、早くグシチャーシティーのコンビニに行った方がいい。お前を追っている奴はお前を探して回ってコザシティー一帯を走っているはずだ。コザシティーに居ると見つかる可能性があるからな。早くコザシティーから出ることだ。」
「うん、分かった。これからコンビニに向かうよ。」
「急いで行けよ。」
啓太は電話を切るとクシチャーシティーに向かって車を走らせた。