表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/11

登れ! 登れ!(愛宕山~御岳山縦走)

 私が登山を始めた途端に梅雨に突入するとは、いったいなんの嫌がらせだ。

 もちろん、梅雨になる直前に私が登山を始めたと言うだけの話だが、そんなことはどうでもいい。とにかく、私に必要なのは山だ。俺をマウンテンに登らせろ。

 仕方ないので、アマゾンで買った10キログラムのウェイトベストを着込んで、家の階段を登ったり下りたりして登山気分を味わう。まったく味わえない。

 それでも飽き足らず、晴れ間を見つけては家の近所の坂道を登ったり下りたりする。中には目立たないウェイトベストを着込んでいるため、見た目はフツーなのに歩みが遅い。不審者度アップ。

 つまるところ、筋トレ初心者がよく陥るという「中断したらどんどん弱くなるのではないか」という強迫観念、あれに似てる精神状態なのかも知れぬ。

 しかしまあ、運動するぶんには損をすることはないだろう。


 とかなんとか言いつつも、ネットで調べるのは天気予報ばかりである。

 一番利用しているのは「天気と暮らす」、通称てんくらと言う、各地方の山の週間天気や登山指数をピンポイントで教えてくれる、ナイスなお天気サイトだ。

 数時間おきに「変化してねえかなー」とか淡い希望を込めてピンポイント予報をクリックする中毒症状っぷりだが、そんな私の目に「大岳山:登山指数A」という記号が飛び込んできた。

 大岳山。こないだ行こうとして挫折した山だ。

 個人的には、「御岳山→大岳山→鋸山→愛宕山→JR奥多摩駅」と縦走できたら、富士山ツアーに申し込んでみようかなーとかおぼろげながら考えている、ひとつの指標にしている山でもある。登山指数Aなら申し分ない。

 ついでに周辺の登山指数も見てみよう。「御岳山:登山指数C」

 ……ダイジョーブ、ダイジョーブ。平気、平気。何しろ大岳山は登山指数Aなのだからセーフセーフ。さあ、都合の悪い情報は見なかったことにして、準備しよう。2週間ぶりの登山だ。


 そんなわけで、7月も10日ほど過ぎた某日。

 例によって始発電車でやってきたのはJR奥多摩駅である。前回の御嶽駅ではない。

 なんでも直前に見た詳細天気予報では、午後になるほど天気は崩れるそうなのだ。できれば、早いうちに登り始めたい。

 しかし、JR御嶽駅から御岳山に向かっても、バスもケーブルカーも動いていない。自分の脚で登ったところで、途中でバス・ケーブルカーに追い抜かれる。意味ねえ。

 ならば、反対方向から攻めてみてはどうか。奥多摩駅から愛宕山に登れば、御岳山に着く頃にはとっくにケーブルカーも動いている。それだ。それで行こう。

 山行計画は前回考えた縦走コースの逆バージョン。JR奥多摩駅から歩き始めて「愛宕山→鋸山→大岳山→御岳山」完璧だ。


 午前6時。ホームに降りて正面に見えるのは、完全に雲に覆われた山である。いきなり嫌な予感がしないでもないが、地図で確認すると愛宕山は反対方向だ。ここからじゃ見えん。まずは駅を出よう。


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


 JR奥多摩駅。木造、白壁に瓦屋根となかなか趣がある。だが、あまりにも綺麗に整いすぎて味わいは深くない。まあ、駅だし、小汚いよりはずっといい。

 歩き始めて数分。いきなり道に迷う。まだ登山道どころか普通の市街地である。

 橋が二つあって、左側の橋を渡らねばならないのだが、「あれ? こっちだっけ?」「おっと、こっちか」などともだもだしてる間に「左って、どっち向いて左?」状態となり、結局そこらへんを歩いているおじさんに道を聞いた。市街地、侮るなかれ。

 どうにか正しいほうの「左側」の橋を見つけ、渡り終えるとすぐに遊歩道みたいなのが見えてくる。ここにある階段が登山道入口らしい。


挿絵(By みてみん)


 現在時刻、6時20分。靴紐を締めて、ハイドレをセットして、準備完了。

 さあ、冒険の始まりだ。


 階段を登っていくと……なんだこれ。石像があっちこっちにある。最初はなにか由緒あるものかと思ったが、どうやら前衛芸術っぽい。

 これはいただけない。前衛芸術そのものについてどうこう言うつもりはないが、どうして山に前衛芸術を飾る気になったのか。はっきり言って、景観ぶち壊しである。

 まあ、こんなものにくさくさしても仕方がない。どんどん進もう。

 愛宕山あたごやまは山頂が愛宕神社となっており、中腹には広い原っぱがあるようだ。だが、原っぱはスルーして神社方面に向かう。

 梅雨の影響で少しぬかるんだ道を歩くと、見上げるような階段が現れた。遥か上まで一直線に続く上に、途中で角度がきつくなって反り返っているように見える。

 だが、驚きはしない。地図を見てあらかじめ知っていたからだ。それによれば、187段。なに、お家の階段(13段)をウェイトベスト着て50往復するのに比べれば、軽いものだ。


挿絵(By みてみん)


 石段はわりと小幅に整えられていて、登山歩きにマッチしている。手すりがあるのもいい。思いのほかすいすいと登れた。

 登りきってしばし歩くと、五重塔が見える。お、ここが愛宕神社か? 広場に入って近づいて見ると、思いのほか小さな塔だ。足元には「戦没者慰霊塔」とある。同じ広場には鎮魂の鐘もある。どうやら神社の一角がこのような場所として使われているらしい。

 更に登ると、規模は小さいが神社の本殿らしき建物が見えてきた。

 ……裏口? どうみても裏口である。表に回り込むと、なるほど神社だ。どうやら奥多摩駅から登ってくるルートは、愛宕神社の裏参道だったらしい。


挿絵(By みてみん)


 時刻は6時55分。

 お参りしてから、手すりから乗り出して下界の風景を眺める。この辺りからは、まだ市街地がはっきり見て取れる。どこの街だろうと思っていたら、電車の音が響いてくる。どうやら、さっき軽く迷った奥多摩の街みたいだ。

 神社を後にして、緩やかな石の階段を下りていく。10分も歩かぬうちに、また開けた場所に出た。車道が横切っている峠道といったところか。鳥居には愛宕神社の看板、横には由来が書かれた石碑が立てられている。やはりこっちが表参道だったようだ。


 さて、ここまでは愛宕神社という「自動車でも来れる、街外れの神社」といった感じだったが、ここからが本番と言えよう。

 ここから先は鋸山のこぎりやま。マウンテンである。

 今までに学んだ歩行技術を総動員。まあ要するに「のったり、のったり」である。

 10分も登ったろうか。なんだか、前方のほうで霧が流れている。雲が出てきたのか? いや、出てきたと言うよりは、私が雲の中に入り込んでいくと言ったほうが正しいだろう。

「これ、大丈夫なのかね?」一抹の不安を覚えつつも、とにかく進む。なに、大岳山まで登れば登山指数Aだ。いやまあ、大岳山のてっぺんだけ晴れててもしょうがないのだが、それだけを支えに登っていく。


挿絵(By みてみん)


 登山道は木の根っこや岩場がいい感じに入り混じり、ワイルドな雰囲気が楽しい。薄い雲の中を歩いているので、地面が完全にウェットだ。加えて、風が吹くたびに水滴が落ちてくる。雨が降っているというわけではないが、雲の水分をたっぷりと吸った杉の葉から大粒の水滴が落ち、帽子を叩くのだ。

 うーん、結構濡れる。雨合羽を出すべきか……。少し迷うが、まあ、雨がまともに降っているというわけでもないし、大丈夫だろう。登山指数Aだし。

 地面もぬかるみが多いが、ゲートル(靴とズボンの裾の境界を覆う泥除け)を出すべきだろうか? ……いや、ぬかるんでいると言っても、足の裏に泥がつくと言った程度だ。ゲートルもまだ必要あるまい。

 始発電車で来ただけに今日はまだ誰も通っていないらしく、蜘蛛の巣が多い。木の枝で払いながら進まざるを得ないが、中には水滴を纏ってキラキラと輝く見事な蜘蛛の巣もある。枕草子にこんな描写があったような、なかったような。帰ったら調べてみよう。


挿絵(By みてみん)


 左右に斜面を見下ろす森の中を、一時間も歩いただろうか。

 突然、視界が開けた。足元は岩場っぽくなり、特に右方向の木々が開け、一面の霧で真っ白に見える。雲がなければさぞ良い展望であろう。

 そして、その岩場の真ん中に石造りの祠が一つと、石碑に刻まれた天狗の像が二体。天聖神社である。


挿絵(By みてみん)


 なんとも不思議な空間である。霧が音までも吸い込んでしまうのか、物音一つしない。思わず、声を失った。……というよりも、音を立てるのを禁止されているような気分になる。かといって、恐ろしさはない。心地よい静寂とでも言おうか。

 なるほど……昔の人がここに祠を建てる気になったわけである。

 確かに、誰も居ない岩山の上で静寂に包まれていると、「ここにいるのは、自分と神様だけ」という気もしてくるというものだ。

 あまり静寂を壊さないように、控えめに参拝して先へ進むことにする。

 今度は、晴れた日にここに来たいものだ。


 さて、地図によれば、天聖神社の先には梯子があると言う。

 鋸山に登っている最中なのだから、当然梯子も登りだと思いきや、現れたのは下りの梯子だった。

 梯子と入っても、ビルなどにある避難梯子のような垂直のそれではない。ここにかかっている梯子とは、勾配が70度くらいの鉄の階段みたいなものをイメージしたほうが良いだろう。本来の梯子で必要な昇降技術がなくとも安全に降りていける。

 降りた先は植生が少し違っているようで、背の高い藪や小さな木立がこぞって生えており、ある種の植物園に迷い込んだような感覚を覚える。

 他の場所とは少し趣の違う道を歩いていくと、また梯子があった。今度は登りである。


挿絵(By みてみん)


 つまり、植物園みたいなところは小規模なコル(鞍部。峰と峰の中間に位置するくぼんだ部分、特にアップダウンの激しい鞍部をコルと呼ぶそうだ)だったわけだ。

 なるほど、天聖神社といい退屈しない。鋸山も楽しい山だ。

 だが、それだけでは終わらなかった。

 梯子周辺の岩場を歩いていくと、不意に「この先、鎖場。巻道あり」という看板が見えてくる。

 鎖場。あるということだけは聞いてはいたが、どんなものかは想像していなかった。せいぜいちょっとスリリングな崖沿いの道で、手すり代わりに鎖が打ち込んであるのだろう、程度に考えていた。

 違った。


挿絵(By みてみん)


 崖である。数メートルか、あるいは7,8メートルあるかも知れない。傾斜はさっきの梯子エリアと同じくらいの70度と言ったところだろうか。そんな崖に、上から鎖が垂れていた。

 やばい。考えていた鎖場と違う。これは、右腕力のない私には不可能なルートではないのか? 巻道もあるということだし、おとなしくそちらへ行くべきではないのか?

 だが、動けない。なぜだかわからないが、巻道の方に脚が動いてくれない。どうしても、どうしても、この鎖場に挑戦したくて仕方がない。

 実のところ、私の右腕は肩が粉々に砕けた後遺症で、肩の可動域が50パーセント、腱のテンションが常人の20パーセント程度しかない。

 だが、脇をしっかり締めた状態に限定すると、80パーセント程度の力が発揮できるのだ。もう一つの趣味、アーチェリーの引き腕はすべてこの方法でどうにか賄っている。

 締めた脇を緩めなければ……左腕中心で登れば……。

 悪い病気だ。こうなったらもう駄目である。試さずにはいられない。

 そう、己は試されねばならないのだ。

 決めた以上は迷っても仕方がない。トレッキングポールを収納して、両手をフリーにする。鎖を掴んで、己の体重を引っ張り上げた。

 ぐ……きつい。予想以上にきつい。それに、霧で完全にウェット状態であるため、岩場が滑る。本来なら丁度いい取っ掛かりになったであろう木の根っこは、もっと滑る。

 足の踏ん張りが効かないので、脚は壁に対して垂直に保ち、推進力はすべて左腕に依存し、垂直に歩くような格好になる。

 左腕を離して上の鎖を掴む間、右腕の脇を締めることでどうにか身体を支える。脇を締める力が厳しい。油断すると脇が開きそうになる。開いたらおしまいだ。右手の力が全部抜けて、真っ逆さまだ。なんとか鎖を掴んだ左腕に体重を預け、渾身の力で引っ張り上げる! 登れ! 登れ!

 鎖の方向が水平になっていき、最後のひと踏ん張りで足場を確保。そのまま身体を放り出す。ザックを背に仰向けになったまま、ぜぇぜぇと荒い息を付く。両手と両足を、思い切り投げ出した。


 ……気持ちいい!


 こんなに気分がいいのはどれくらいぶりだ。

 なんとなく悟った。今日、この山に登ったのは、この鎖場に挑むためだったのだと。そして、何故、こうまでしてこの鎖場に挑まずには居られなかったのかを。

「こんな身体でも、なかなかやるじゃん」

 これだ。こう思いたかったのだ。自分自身でこう思うために、この鎖場に全力で挑んだのだ。

 いやホント、こんな身体でもなかなかやるもんである。ああ、最高にいい気分だ。

 (なお、三点支持という登攀技法の存在を知るのは、もう少し後の話である)


 その場で気持ちよく寝っ転がっていたのは10分くらいだろうか。

 なんだかものすごい満足感に包まれてしまったが、まだ終わりではない。というか、まだ最初の愛宕山しか登っていない。鋸山の山頂さえも見ていないのだ。

 時刻は8時20分。時間はたっぷりある。のんびり行こう。

 さて、いい気分とは裏腹、天気が良くなる様子はない。むしろ、霧はどんどん深くなっていく。すでに10メートルくらいしか視界はない。

 霧に包まれた深い森の中を歩くというのも、考えてみればものすごい体験だ。


挿絵(By みてみん)


 とはいえ、登山道はとてもわかりやすく、見失う心配はまったくない。まあ、この分なら迷いはすまい。

 お、キノコ発見。椎茸に似てるが、もうちょいずんぐりしている。毒はなさそうだが、それを試すほどの度胸はない。お、もう一本発見。


挿絵(By みてみん)


 写真に撮って帰ってから調べたところ、これはヤマドリタケモドキというキノコで、やはり食べられるようだ。まあ、素人判断じゃ怖いのでチャレンジはしないでおくが。

 更に歩くと、また別のキノコ。……キノコ? なんじゃこりゃ?


挿絵(By みてみん)


 スラリと垂直に伸びた真っ白な茎に、真っ白な花がスズランのように下を向いて垂れている。これキノコなのか? なんだか不思議な植物だ。

 これも帰ってから調べたところによれば、正式な名をギンリョウソウ、通称ユウレイタケ(幽霊茸)と呼ばれる植物だが、この別名に反してキノコではないらしい。地下茎に菌を住まわせて共生関係を作る、腐生植物と呼ばれる特殊なカテゴリの植物だそうだ。地上に現れるのは花を咲かせるこの季節のみ。なんともタイムリーな時期に居合わせたものである。


 黙々と霧の中を歩く。少し勾配が出てきたか。

 そう思った頃、不意に道が開けた。なにやら石で標識が立てられているが、何が書いてあるのかは読み取れない。

 だが、地図を見ると、ちょうどこの辺りに「1046.7メートル地点」のマークが付いている。多分ここがそうなのだろう。

 と、いうことは……。しばらく同じような勾配が続き、再び開けた場所に出る。

 木の標識が立っていた。

 10時ちょうど。鋸山到着。


挿絵(By みてみん)


 標高1109メートル。展望なし。霧がどうとかではなく、普通に森の中である。

 ちょっとロング休憩を取っていたところ、後からお兄さんがやってきた。例によってフレンドリー効果が発動、人類皆ゴリラと化す。

 登山あるあるとでも言うか、膝の故障の話で盛り上がる。このお兄さんは膝をかなり深刻にやっちまったらしく、治るのに10年くらいかかったそうだ。

 ……最初に高尾山で練習しておいて、本当に良かった。高尾山程度の山で膝やらかして痛い目見たからこそ、登山歩きを学ぶことが出来たのだ。

 もしも、もっと高難易度の山にいきなり挑戦していたら、あのとき以上に深刻に膝を壊して、それこそ富士山どころではなくなっていたかも知れない。サンキュー高尾山。

 結局30分くらいは休憩してしまったか。でもまあ、さっきの鎖場で全力を振り絞ってしまったから、休みすぎるくらいで丁度いいだろう。

 さて、先へ進もう。高尾山で学んだ下り坂歩きに従い、小股小股で傾斜を下りていく。

 しばらく下りると例によってなだらかな尾根道に出た。地図によれば、ここからが相当に長い距離らしい。のったり歩きで気長に行こう。

 ……とか思っていたのだが……。

 この鋸山から大岳山にかけての尾根、めちゃくちゃ歩きやすい。ゆっくりゆっくりと登り勾配があるのだが、ほとんど気にならない程度で、とにかくペースを崩さずに歩き続けられる。

 残り体力の少ない今の私には、きわめてありがたいコースである。

 ……が、そんな事を言っていられるのは、尾根道が終わっていよいよ大岳山が近づいてくるまでのことであった。


 時刻は11時50分。

 岩場……きつい……。岩場をヨイショヨイショと登り続けるような急勾配がかなり延々と続く。途中で休んでると、おじいさんとおばあさんが追い抜いていった。


挿絵(By みてみん)


 巻道で回避できるところは可能な限り巻道で、それでも大きな岩場をよじ登るように進まねばならない箇所が二つほどあった。

 二つ目の難所を超えたところで、再びそこらの岩に座り込んで休憩。

 いつまで続くんだこれ。とか思ってたら、なんかすぐ上の方から人の声が聞こえる。

 もしや……と思って根性決めて上がってみると、開けた場所に大勢の人がいるではないか。

 広場の真ん中には石造りの標識があって、大岳山と書かれている。山頂だ。

 標高1266.4メートル。到着時刻は12時15分。JR奥多摩駅を出発してから、6時間と言ったところか。


挿絵(By みてみん)


 ここも部分的に木が伐採されているようで、景観は良い……はずだ。晴れていれば。

 見えるのは、一面真っ白な霧だけ。どういうことだ。「大岳山:登山指数A」ってのはどこに行った。

 まあ、見えないものは仕方がない。天聖神社もそうだが、やはり晴れているときにもう一度トライしたいものである。

 さて、ここでお昼ごはんを食べるつもりだ。なんと、今回の山行に合わせてカレーを仕込んでいたのであった。

 私のカレーは合計4日煮込むが、昨日で4日の煮込みが完了し、二重ジップロックで冷凍したものをザックに詰めてある。アルファ化米の白米をお湯で戻せば完璧だ。

 実のところ、カレーを山頂に持ち込むというのは一つのテーマだった。私のメイン趣味であるカレー作りを登山と絡めることができれば、さぞ素晴らしかろう。

 そう思って準備してきたのだが……。大岳山の山頂広場……なんかえらい混んでる。

 少ないテーブルは満員になってて、丁度いいスペースは他のグループがお料理を開始している。

 なんとか切り株をひとつ確保して座ってはいるが、どうにもコッヘルとバーナーを出すという感じではない。

 うーん……。なんだろう、この混雑は……。

「ヒント:登山指数A」そうだ。登山指数Aなのだ。この長く続く梅雨の中、山に飢えて天気予報とにらめっこしてたのは私だけではないのだ。

 おそらく、ここにいる全員が「登山指数A」を見て喜び勇んでやってきたのだ。なるほど、考えてみりゃ当たり前だが、山ではこういうことも起こるものなのか。

 ともあれ、ここでワタワタするのもなんだし、ご飯は御岳山に着いてからにしようかな……。ちょっと時間はかかるけど、行動食でしのげば問題あるまい。

 そう考え、ここでは行動食の一本満足バーを齧るに留めて、御岳山に向かうことにした。


 さて、時刻は12時40分。

 御岳山方面へと下りていくと、やはり、激しい岩場が続く。


挿絵(By みてみん)


 遠くの山から大岳山を見ると、山頂のあたりがポコっと飛び出ているが、あの飛び出している部分がこの岩場なのだろう。

 岩場はきついが、その反面、実に楽しい。平坦な道を歩くのは疲れた脚には優しいが、退屈な面も否めない。その点、岩場は良い。足を置く場所を常に計算しながら、瞬時に計画を立てつつ足を運んでいく。岩場とは、一歩一歩が攻略なのだ。疲れはするが、飽きるということはない。

 だが、疲れていると、やはり計算ミスも起こる。足運びを間違えて、ずっこけそうになった。危ない危ない。

 岩場を脱すると、また霧の中の森を歩く感じになる。

 この辺りで、ゾクッときた。悪寒である。というか、気がついたら身体が冷え切っている。

 原因はすぐに分かった。いや、正直なところ、かなり前から分かっていた。霧の中で歩くと、汗がまったく乾かないのだ。それどころか、化繊シャツもタオルも、帽子までも霧の水分を吸いまくって、べっちゃべっちゃに濡れている。

 迂闊だった。愛宕山を過ぎた辺りで考えたように、雨合羽をさっさと着るべきだったのだ。雨合羽の中でシャツが乾くかどうかは怪しいものだが、少なくとも霧の水分をたっぷりと吸うことはなかっただろう。

「ま、雨ってわけじゃないし」などと考え、雨合羽を着ることを怠った結果、いつの間にか身体が冷え切ってしまったのだ。

 山を登るともちろん体温が上がって暑くなるが、それは熱エネルギーを放出しているのに他ならない。そんな状態で濡れたシャツをずっと着続ければ、体温をガンガン奪われていくのは当たり前だ。

 風邪を引いたと言うほどではないにせよ、寒い。これは参った。

 更に、ついでに言うならば、足廻りが酷い有様になっている。泥んこなんてもんではない。超泥んこだ。

 確かに、ぬかるみはそれほどではなかった。汚れるのも、大半は靴の足裏だけだった。だが、岩山を登ったり下りたりする際には、自分の片足がもう片足にこすれるのだ。そのときに、ズボンの裾にべったりと泥を塗りたくっていく。

 それを延々と繰り返した結果、ズボンの裾は両脚とも泥でドロッドロになっていた。やはり、愛宕山でゲートルを着けておくべきだったのだ。

 もちろん両方とも、ザックにはしっかり入っている。特に雨合羽などは装備品の中では結構な重量を占めている。そんな重いものをわざわざ持って来ていながら、必要なときに使わなかったのだ。こんなアホな話はあるまい。

 これは教訓である。次は、「使おうかな」と思ったら迷わず使おう。


 とにかく、落ち着いて休憩できるところを探さねば……。

 そんなときに限って、落ち着いて休憩できる場所が見つからないものである。森の中、岩場はもう終わって足元はぬかるんだ泥。ちょっと座ることさえ出来ない。

 仕方なく、御岳山を目指す。

 お、倒木。すげえ巨大な倒木が霧の中でドドーンと倒れて道を塞いでいる。が、この木が倒壊したのはかなり前なのだろう。腐食もかなり進んでいて、道の部分は綺麗にくり抜かれていた。うーむ、すごい風景だ。


挿絵(By みてみん)


 どんどん下りていく。なにやら建物が見えてくる。地図によれば大岳山荘。ただし、現在は営業していないそうだ。周囲にベンチなどないかと思うが、管理を放棄されてから久しいようで、どうにも落ち着いて休憩できる様子ではない。

 仕方なく、更に下りていく。

 分岐だ。前回の山行で登った奥の院。そこに至る鍋割山方面と、綾広の滝方面に分かれている。さすがに、この冷え切ったコンディションでもう一つ山を登るつもりにはなれない。

 綾広の滝方面へと進むと、またすぐに分岐である。ここを間違えると全然違う方へ行ってしまう。確実に綾広の滝を目指す。

 しかし寒い。なんだかお腹までヤバ気な雰囲気になってきた。まさかのポンポンピーピー警報である。そりゃ、こんだけ冷えりゃ当たり前か。

 地図を見ると、綾広の滝まであと少し。そこまで行けば、ちょっと進んだ先にトイレがあったはず。

 ほどなく、綾広の滝間近の分岐へと辿り着いた。ここまでくれば勝ったようなものだ。急げ。

 だが、そう言えば、前回通ったときにはトイレは改修中だったような……。ああ、嫌なことを思い出してしまった。

 祈るような気持ちで歩く。トイレが見えてくる。前回はこの辺で奥の院への階段を登って酷い目にあったわけだが、それはともかくトイレ。

 ……良かった。改修は終わっていたようだ。セーフ。


 御岳山エリアに入った頃から、天気はだんだん良い方向へと変化していたようだ。

 いつの間にか、霧も薄くなっている。

 トイレに入ったついで、ちょいと失礼して上半身裸になって、シャツの水を絞る。えらい量の水が出てきた。そりゃ、寒いわな。

 予備の化繊シャツを引っ張り出して着込むと、なんと温かいことか。まあ、ひとつお利口になったと言うことにしておこう。

 雨合羽を着る判断、ゲートルを付ける判断、この経験を次回に活かせれば、これもまた重要な経験値稼ぎになるわけだ。


 時刻は午後2時40分。

 天狗の腰掛け杉が見えてきた。


挿絵(By みてみん)


 しかし……木のてっぺんの辺りが霧に覆われていて、なんとも神秘的な光景を生み出している。思わず、息を詰めて見入ってしまう。

 霧の中を歩くのは、大変だしちょっと怖いしリスクもあるが……霧の中でしか見れないものも沢山あるようだ。

 ここまでくれば、あとは登山というよりも観光ルートだ。ほとんど平坦な道を歩いて、長尾平展望台が見えてきた。

 さあ、ご飯だ。ご飯。

 しかし、すっかり身体が冷えてしまった今、とてもカレーと言った感じじゃない。

 汁物だ。身体が熱い汁物を欲している。

 仕方ない。カレーは家に帰ってから食うことにして、今日のところはカップ麺で行こう。非常用にリフィル(カップ麺のカップなし版)を入れておいて正解だった。

 カレーではなくカレーヌードル。まあ、この行きあたりばったりも私らしいというものだろう。


挿絵(By みてみん)


 飯食った後はケーブルカーで下りるわけだが、その前にお茶屋さんでまたわらび餅を食べていこう。……と思ったらお休みだった。

 仕方なく隣のお茶屋さんに入ると、わらび餅はないようだ。それじゃあ、まだ身体が冷えてるし……ということでコーヒーを頼んだ。

 ちなみに、このお店(角から二番目と言っておこう)のおばちゃん、住んでいる場所が場所だけに地形効果「山」を受けているのか、フレンドリー効果x5と言った感じである。ものすごいお喋りだ。

 私が圧倒されるくらいだから、大変なものである。コーヒー飲んでる暇もないくらいお喋りしてくる。

 うん、まあ、次はわらび餅を食いたいかな。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ