チョウチョ、きれい(高尾山~小仏城山ピストン)
令和元年6月某日。午前6時。
正確には、前回の翌々日。
このゴリラ、なにを血迷ったものか、やばい右膝を抱えたまま再び高尾山祈祷所駐車場に降り立ったのである。
何故か? 理由は単純だ。今、私の背中には赤黒のかっちょいいザックが背負われている。ついでに、両手にはトレッキングポールが。
まだ富士山に挑めるかどうかわからないというのに、なぜこんなものを買ってしまったのか?
いや、別に錯乱してしまったわけではない。
一昨日の登山で、最大の課題のひとつをクリアしていたことに気づいたのである。
登山を始めるに当たり、私が抱えていた最大の不安。それは、腹筋がないという事実だ。
正確には、腹筋のうちの腹直筋(真ん中の部分)がまったく機能していない。背筋の力を腹筋側に回せる特注コルセットがなければ、外出すらままならない。
当然、登山をするときもコルセットは外せないが、そもそも登山という行為が腰に想定外の負担をかけることになるのではないか。もしかしたら、脊椎やら背骨やらが、想像もしないような酷いことになるのではないか。その考えは常にあった。
そして、一昨日の登山を終えて翌日、つまり昨日。丸一日経っても腰にはまったく異変はなかった。むしろ、コルセットを装着している分だけ、山登りには有利なのでは。
これはいける。
そう判断した私は、すぐに好日山荘に向かい、前から「買うならこれだな」と考えていたザックとトレッキングポールを購入してしまったのであった。
ともあれ、買っちまった以上、これを使ってみたいという欲求が湧き上がるのを、誰が止められようか。……やはり、少し錯乱していたかも知れない。
ドラクエなんかでも、念願の「はがねのつるぎ」やら「はがねのよろい」やらを手に入れたら、その威力を試すべく睡眠時間が削られていくのは自明というものだ。
更に、そんなときに限ってレベルが上って超強い魔法のひとつでも覚えたりしたら、もうおしまいだ。駄目ゴリラの誕生である。
つまり、このトレッキングポールは私にとっての「はがねのつるぎ」、ザックは「はがねのよろい」というわけだ。
余談だがこのゴリラ、ドラクエの知識は3で止まっている。伝え聞く話ではネトゲ化だの11だの、随分とまあ遠い話になったものである。
ともあれ、ドラクエで「はがねのつるぎ」を手に入れたら、冒険に際してどのような変化があるか。サクサクである。これまで3発殴らないと倒せなかった敵が一撃で終わる。気持ちいい。
「はがねのよろい」も同様、敵の攻撃を受けるたびに体力をごっそり削られていたのが、ごく僅かなダメージで済むようになる。宿屋に帰る頻度が減って、行動範囲も劇的に広がっていく。
トレッキングポールとザックを装備した今、私に恐れるものなどない。行動範囲も今までの何倍にも広がろうというものだ。
さあ、リベンジの始まりだ。
――中略――
現実はいつもシビアである。
同じ「はがねのよろい」でも、ドラクエでは「ぼうぎょりょく:20→30」の効果が見込めるが、現実でザック背負ってトレッキングポール握ったところでお察しである。
一日おいて二回目となる高尾山頂にて、そんな当たり前のことを痛感していた。
いや、一応トレッキングポールはかなり「とざんりょく」を上昇させるのに役立ってるようだ。でなければ、膝に故障を抱えたこの身体で登れるはずがなかったからだ。
タイムは1時間と20分。一昨日よりも10分多くかかったが、しかし標準コースタイムを切ってる。上出来だ。
だが、これで終わるわけには行かぬ。
今回、改めて高尾山に挑んだのには、少しばかりわけがあるのだ。
一昨日、高尾山頂を散策した際、とある看板が目に止まった。
いわく、
『この先、奥高尾』
奥高尾。なんと甘美な響きであろうか。
ダンジョンを攻略したと思ったら、実はそのダンジョンは遥かに巨大なダンジョンの玄関でしかなかった。これほど汗だくになって頑張って登った高尾山が、ほんの玄関口に過ぎなかったというのだ。
そう、このまま高尾山で満足してしまっては、遠足で登ってきた子供たちとなにも変わらない。いい歳こいたゴリラが、子供たちの遠足レベルでキャッキャ喜ぶわけにはいかぬではないか。
なんだか、思いっきり小学生に対抗意識を燃やしているような気もするが、とにかく、私の登山と小学生の遠足の違いは、「奥高尾を目指すかどうか」に尽きるのである。
どうだ、小学生諸君。君たちには奥高尾に踏み込むことは出来まい。まいったか。……などと、相変わらずの浮かれポンチ野郎と化した私は、しばしの休憩ののち、奥高尾への道のりを踏み出したのであった。
……やめときゃよかった。
こう考えるまでは、あっという間の出来事である。時間にして10分といったところか。
何がつらいって、高尾山頂から奥高尾への道を踏み出したらすぐに下り階段があったのだ。
ま、そりゃ山から山へ渡り歩こうというのだ。(この山を連続で歩くことを「縦走」と呼ぶことを、帰ってから知った)多少は下りる場面もあろう。
しかし、現実は違った。「多少」ではない。「ものすごーく」下りる必要があったのだ。
階段が終わらない。石作りのきれいに整った階段だが、終わらない。しかも下り。膝のやばさが身に染みる。トレッキングポールがなければ、絶対に不可能だろう。
そして、ようやく階段が終わって振り返って、「帰るときはこれ登るのか……」と愕然とした。振り返らなきゃよかった。
はっきり言って今の階段だけで体力は尽きかけてて、これを書いている現在の私だったら絶対に引き返す判断をしていたところだ。
しかし、このときの私はライバルである小学生に負けまいとする意地のほうが勝っていた。歯を食いしばって、先へ進んでしまったのだ。
このコンディションでは、階段というものが本当に辛くなる。上り階段を見ては絶望し、下り階段を見ては愕然とする。
今回の計画は、小仏城山という高尾山の隣の山まで行って引き返す、いわゆる「ピストン」をすることになっている。(この言葉もあとになってから知った)
思うにピストン山行というのは、相当に慣れた山でなければ、かなりきついのではないだろうか。
なぜって、階段を下りるたびに「あとでこの階段を登らにゃならんのか……」と、そして登るたびに「あとでこの階段を下りなきゃならんのか……」と、精神的重荷となってのしかかってくるのだ。
すでに知っている六号路のように「まずは琵琶滝、その次は大山橋、飛び石、最後に階段」と頭に入っていれば、計画段階の時点で「あの階段を登るのか」と覚悟が組み込まれる。
だが、初めて足を踏み入れた道に現れる階段の厳しさは、そのまま帰路の厳しさを示唆することとなり、精神力をガリガリ削ってゆくのだ。
だが、下りてしまったものは仕方がない。今更戻るわけにも行かない。
さんざん苦労して階段を下りておいて「今下りた階段が辛かったので登ります」とか言ったら、まるでアホではないか。さあ、ゴリラよ、歩くのです。
しかし、この辺りはどういうわけか木の遊歩道で整備されてて、登山感が少ない。脚が楽なのは助かるが、その反面ほんのちょっとの勾配でもご丁寧に階段が作られている。
その階段が微妙に私の歩幅と合わなくて辛い。一歩一歩がしんどい。とかなんとか脂汗流してたら、道が別れた。
正面の階段:もみじ台。トイレ、茶屋、休憩所あり。
左の平らな道:もみじ台を回避して城山方面へ。
いったい私にどうしろというのだ。休憩したいのは山々だが、休憩するためには階段を登らねばならぬ。
ああ、登るさ。登れば良いんだろう。もうヤケクソみたいに階段を登る。勾配はそれほどでもないが、もう階段そのものがきつい。一歩一歩が本当に重く感じる。
それでも、歩かねば先には進まない。真理である。
真理に従っていたところ、人の気配が。なにやら小洒落た雰囲気のお茶屋さんにベンチ。もみじ台である。
かき氷など売っているようだ。魅力である。
しかし、何を隠そう、この私はお腹があまり強くない。何しろ腹筋がないのだ。歩いてる最中にポンポンがピーピーしやがっても、それに耐える腹筋を持たないのだ。
故に、行程の途中ではお腹を著しく冷やす行為は避けたい。せめて、目的地についてロング休憩を取れる状況になるまでは我慢だ。
地図を確認すると、この先は一丁平という休憩地点が、その向こうが小仏城山とある。そして、小仏城山にも茶屋とトイレがあるらしい。
よし、では目的地の城山までいったらかき氷を食おう。そして、ポンポンがピーピーになるまでそこで休憩して、お腹が空っぽになったら戻ってこよう。うん、それが良い。
目的がはっきりしたら、元気が出てくるものである。いや、休憩したから少し回復しただけだが、とにかく次は一丁平だ。
それにしても、もみじ台を過ぎたら、いきなり人がいなくなった。この先に行くのはよほど物好きらしい。
道も遊歩道的な雰囲気が減っていって、どんどん山道チックになっていく。そうそう、それで良いのだ。
わりとなだらかな道が続き、一安心しつつも歩いていくと、なにやら木の伐採場っぽく開けた場所に出た。休憩所とトイレがある様子から、ここが一丁平らしい。
よし、ここまで来たのなら、あとわずかな距離を歩くだけでかき氷……もとい小仏城山である。
しばしの休憩の後、再びかき氷に向かって歩き始める。
だが、なにやら勾配がきつくなってくる。階段もやたらに増えてきて、雲行きが怪しい。
嫌な予感がしてちょっと確認。地図を見て愕然とする。
高尾山の標高:599.3メートル
小仏城山の標高:670.3メートル
標高差は71メートルである。
まあ、これはいい。陣馬山に向けて標高が上がっていくのは順当である。
問題はその真中だ。
一丁平の標高:526メートル
標高差は144.3メートル、倍以上である。
馬鹿か。殺す気か。
先程「あとわずかな距離を歩くだけで」と書いたが、「わずかな距離」で標高差が大きいということは、すなわち「勾配がメチャクチャきつい」ということに他ならぬ。
大事なことだから、もう一度言おう。馬鹿か。殺す気か。
だが、ここまで来てしまった以上、かき氷を食わずして帰れるものではない。登れ。登るのだ。そうだ、登山だ。すっかり忘れていたが、私は登山をしに来ているのだ。山を登らないでどうする。
そうこうしてるうちに、また分かれ道である。
どうやらこの辺りは勾配がきついポイントを巻道で回避して、距離は長くなるが勾配緩めで進めるようになっているらしい。
もう迷わず巻道を選択。山なんぞ登ってられるか。
巻道、狭い。右手側は、遥か下に向かう斜面となって落ち込んでいる。斜面の深さは……藪と木々に阻まれて見当もつかない。だが、一目見るだけでわかる。「ここ、落ちたら終わりだわ」
しかし、そんなデンジャラスな雰囲気になって初めて、「今、自分は誰も入ってこないような山の中を一人で歩いてる」という実感が湧き上がってきた。
不思議である。わくわくする。まるで子供の頃、自転車に乗れるようになって、調子こいて知らない町まで繰り出したときのような気分である。
うむ、これはちょっと楽しいかも知れない。また少し足取りが軽くなってきた。山登り、いいねえ。
……と思ったのもつかの間、また強烈な階段が出てきやがった。あとはもう、根性決めて登るしかない。登れ。登るのだ。
登った先になんか建物が見える。トイレだ。……ということは、ついに到着したのだ。小仏城山。最初に出迎えたのがトイレというのが中々どうしてアレだが、かまわぬ。とにかく小仏城山に辿り着いたのだ。
さあ、かき氷だ。かき氷をよこせ。
山頂広場には沢山のベンチとテーブルがあり、その中央に茶屋がある。茶屋はどうやら二軒が背中合わせにくっついてるようで、こちら側の茶屋は休業らしい。
ま、そりゃ平日だもんね。人いないしね。それではと向こう側に回ると、そちらも休業らしい。
……えーと……洒落ならんわ、これ。
ここで補給できるものはなし。ハイドレーションのスポーツドリンクは尽きていて、残っているのは予備ハイドレの水だけである。
さて、どうしたものか。
ベンチに寝っ転がってぼんやりと周囲を見ていると、そこらの藪のあたりでは春はとうに終わったというのに花吹雪が舞っている。
いや、花吹雪のくせしやがって、いつまでも落ちてゆく気配がない。チョウチョだ。100匹や200匹ではない。とんでもない数の真っ白なチョウチョの群生が、辺り一面に飛び交っているのだ。
もう何も考えたくない。死んだ目でベンチに寝そべって水をちゅーちゅー吸いながら、ぼんやりと花吹雪を眺める。
チョウチョ、きれい。
いつまでもこうして思考を退化させていたいが、日が暮れたらそれこそ洒落にならぬ。水だってダラダラと消費していては、高尾山に戻るまでもつかどうか怪しいものだ。
仕方ない。帰るか。
そう思って立ち上がって、帰り道を確認すべく案内板を見た。
高尾山:2.3キロメートル
陣馬山:7.8キロメートル
ふむ……。この数字だけを見ると、陣馬山なんて夢のまた夢といった感じである。
だが、ちょっと待って欲しい。高尾山から高尾山口までの間も距離はある。どのルートで下りても3キロ以上はあるのだ。
つまり、ゴール地点までの距離を見ると、軽く5キロ以上は歩くことになる。そう考えると、陣馬山がなんだか近く感じてくるではないか。
ほんの少し躊躇が生まれたが、すぐにぶんぶんと頭を振った。
いやいや、それだって2キロ以上距離が伸びるのだ。もう体力は限界だし、ここは引き返しておこうじゃないの。
帰路は巻道を使わずに階段でガシガシ下りる。なるほど、こっちのほうが早い。だが、斜面沿いのスリリングな道のほうが好みではある。
一丁平、もみじ台、と足早に戻ってきて愕然とする。忘れていた。もみじ台に戻るにも階段を登らねばならぬのだ。いや、巻道がある。そっちを通れば、残りの階段は高尾山へ上がる最後の階段のみとなる。
だが、この階段を登った先の茶屋にはかき氷がある。まだ閉まってはいるまい。
かき氷か、それとも階段スルーか。恐ろしく真剣に悩んだ結果、スルーとなった。何故か。高尾山にもお店はあるからだ。
高尾山に戻ったときこそ、ご褒美のかき氷タイムにふさわしい。つーか、足痛い。これ以上階段登ったら死んでしまう。どっちかというと、そっちが本音である。
しかし、高尾山頂目前の登り階段だけは、どうやっても避けることはできない。
さすがにこたえる。階段、きつい。本当に死ぬ……。三歩ごとに休憩。このペースだと階段が無限に感じる。それでも……それでも、進まねば進まないのだ。
トレッキングポールがあって本当に良かった。もう殆ど命綱と化している。既に四足の獣に先祖返りしたような歩き方で、少しずつ、少しずつ登って、ようやく山頂に帰ってきた。
どうだ、小学生諸君。などと考える余裕は欠片もなく、茶屋の方へとふらふら浮遊していく四足歩行ゴリラ。
かき氷……かき氷をよこせ。よこすのだ。
かき氷……売り切れですって。ふざけんな。殺す気か。
いやまて、慌てるな。ソフトクリームならあるではないか。ああもう、この際なんでも良いや。なべてこの世は為すがまま也。
さて、高尾山の下山の様子などを書いたところでもはや目新しいものはない故、詳細は割愛しよう。
ただ、「稲荷山コースはまだ歩いたことないな」とかいう軽はずみな考えに基づいてズンドコ踏み込んでいったところ、「稲荷山」というのが高尾山とはまた別の山の名前で(そりゃそうだ)、つまり「高尾山から一旦下った後に稲荷山に登る」という地獄を見ることになったことだけは付記しておこう。
最後には足裏が完全にオーバーヒートしており、山に入ったときには直立歩行生物だったのが、なぜか出てくるときには四足歩行生物と化していたとのことである。不思議なこともあるものだ。
なお、帰ってから調べたところによれば、あの白い花吹雪チョウチョは、実は蝶ではなく、キアシドクガという毒蛾だったそうな。
めでたくなし、めでたくなし。