向川寺
その土地は不思議なところだ。かつて頻繁に起きていた洪水を、あたりまえのように受け入れていた。大雨の季節になると、川辺に近いこの場所は浸水する。農民のあばら屋はもちろんのこと、金持ちの家でさえそれを受け入れるのである。金持ちならば高台に家を移すくらい容易いだろうと思うのだが。
「仕事は、川のそばでしかできないから。」
老人は平然と言った。なんでも昔はその大きな川を利用して、米俵や綿花を運んでいたらしい。そのために積み荷を積んだり降ろしたりする必要があった。
「仕事場は川原近くにあっても仕方ないですよ。ですけど、ほら。住んでいる家だけでも近くに山はありますし、移せるじゃないですか。」
「でも、行ったり来たりするのも大変だよ。」
川と山の距離はだいたい一キロぐらい。数十分しかかからない。それをわざと低地に作るのだ。
「ならせめて、屋敷部分だけでも土を盛って高くはしないのですか。」
「しないね。」
あたりまえのように答えた。逆になぜそこを不思議がるのか解せないようだった。老人の小さいころは、ひとたび氾濫が起こると自分の膝小僧ぐらいまで水に浸かったらしい。土地の人は慣れっこで、わざわざ川に堤防を設けて水が溢れるのを防ごうとしなかった。
なぜだろうと私は考えた。羽前第一の大河、最上川。民に大いなる恵みを与えてくれる。もしやその実は暴れ川で、昔の人には堤防を作ろうなど無理だったのではないか。何度作っても、すぐに壊されてしまう。すべてが徒労に終わるうちに、あきらめてしまったか。
ふと、老人の顔を覗く。十一月の晴れ渡る空に照らされて、表情が一層にこやかに見えた。ここで私は悟った。きっと老人に限らずここの土地の人は、おおらかでいちいち気にしないのだ。水が襲ってきたって、山へ逃げればいいじゃない。川の流れに押されて住むところがなくなっても、また建てればいいじゃないか。
突然、老人はカラカラと大笑いした。そして私に言った。
「外から来た人には、理解できないだろうね。」
私はしばらく老人と談笑したのち、川岸を歩いてみることにした。川の周りは果てしなく田んぼが広がる。収穫された後で、それぞれ刈り取られた跡がくっきりと見えた。
下のほうではススキがサワサワと音をたてている。川の水は輝いており、左のほうから右の方へ流れていた。いずれは日本海へと注ぐ。昔はここに小舟が行き交い、たいそう栄えたのだろうなと思いながら歩いた。たまに大きな流れに逆らって、倒れたススキや雑草が水流をせき止めている。ささいな抵抗に過ぎないが、その一帯においては確かに彼らが勝っていたように見えた。ほかには……ちょうど真ん中くらいで泡がでているところがあった。何故かわからないが、あとで調べてみることにしようか。
今年は雪が降るのが遅いらしい。厚着をしていたせいもあるが、あまり寒くはなかったのが幸いして、予定より遠くへ足を進めた。ひとっこ一人もいない。カラスも鳴かなかった。市街地からはすでに遠いので、車も見かけない。ただ周りに見えるのは十字に区画された田んぼと、横を流れる最上川だけだ。
すると、向こう側に赤めの橋が見えてきた。その先の左前方より山が寄ってきて、対岸側の田んぼはついえた。目を細めると、緑と黄色が入り乱れたその山に古っぽい建造物が見える。何だろうと思い少しだけ興味がわいたので、そこまで行ってみることにした。
橋は案外丈夫そうで、車もしっかり走れる幅があった。一応は鉄筋で手すりは赤く塗装されてはいたが、所々剥がれかけている。私は川のちょうど真ん中から下を覗くと、ここでも先ほど見た不思議な泡がいくつか出ている。魚が泡を吹いているのではないかと想像したが、確かめるすべはない。
橋を渡り終えて体を右に進ませる。少し下がったかと思うと、山へ続く小道があった。そこを歩んで少しすると、今までに見たことのない光景があった。
すべてが黄色い。イチョウは美しく、落ちた葉は上へ続く石階段を埋め尽くしていた。私はこの場を独占している。ただ一人、誰も存在しない。
しばらく経って、彼方に見えていた寺へ登った。足元はひたすら黄色い。至る所で勢い余ったイチョウの根が、石階段が積んであるところから突き出ていたようだ。足の感触はそう語っている。
ざっと二十段ぐらいだろうか。前には寂れた寺が一つ。奥にはイチョウに隠れて松の木も見える。後ろを振り向くと、川が見えた。すっきりと全てが望めるわけではないが、それで充分すぎる。この寺は”向かう川の寺”と書いて、向川寺と言う。普段から人はいないようで、石段を埋めつくす葉を掃いた形跡はない。寺の右側に小さな作業小屋はあるが……ホウキはないようだった。
私はここで、整備されていない美しさを解したような気がする。“整わない美”……。自然のなすがままに任せることで生まれる。京都の寺社とは違う。観光客用に整備された参道やきれいに掃除された境内とは真逆だ。
そうだ、この地方の住民は、そうなのだ。かつて川の氾濫も防ごうとしなかった。危なかったら山に逃げて、なるがままを見守るという。田んぼの稲がやられても、それを許すだけの度量。もちろん生活は苦しくなるが、山の恵みや川伝えの交易による富でなんとかなる。
立場が当時の人と入れ替わったとして、果たして私自身は許せるだろうか。無理かもしれない。せっかく作った米は収穫したいし、家も壊されたくない。心が狭い男だ。それが一般的な考えかもしれないが。だが……この土地の人と一緒に暮らしていくうちに、はたして同じ考えを持つに至るのか。
きっと、心に余裕があるのではないか。余裕があるから、許せるのだ。