マイノリティーなビギナーズ・ジャズ
しばらくキースやユーチューバーの話をしていた茶髪とヒゲは、二杯目のビールを飲み終ると、その夜は早々に引き上げていった。
「マスター、ボーカルの次がソロピアノなんて順番で大丈夫なの?」
ジャズ入門には、余りにも変化球な聴き方だと思う。
「まぁ普通はメインストリームなジャズから入るよな。それを勧めとけば間違いない、ってヤツから。でもあの二人は何となく好みが分かっていたから、こちらとしても近道を教えることが出来たってことだ。もし旦那だったら、普段はどんなのから薦めるんだい」
「それはやっぱり……」
完全にマスターに見透かされているようだが、当たり前のことを言うしかないな。
「マイルスの枯葉とか、パウエルのクレオパトラの夢とか、アート・ブレイキーのモーニンとか」
あれ、全部ブルーノートになっちゃったな。マスターは“そうだろうそうだろう”って感じで大きく肯いている。
「我々のようにジャズ歴が多少長くなると、薦める演奏ってのは当然ビッグネームの代表作で、ハード・バップやファンキーなヤツって相場が決まってる。それはもう、誰もが口を揃えて“名演”と言うようなものだけど、だからと言って必ずしも万人がぴったりはまる訳じゃないんだよな。とにかくジャズって言ったら黒人だ、黒っぽい演奏から入るのがジャズの王道だ、みたいなことを言う人がいるけど、その人が聴きたいのがボサノバだったりフュージョンだったりした場合はかなり遠回りになるし、場合によっては辿り着けない可能性だってある」
確かにそれはあるな。いきなりフリーを聴かされて、ジャズを諦めた人がいたらしいし。
「まぁピアノトリオ好きの旦那には異和感があるかも知れないが、私はジャズだけでなくクラシックもかなり聴く方だから、ソロピアノは何のためらいもなくスッと入ってくるけどな」
そうか、マスターはジャズ専門って訳じゃなかったんだよな。結構いろいろな音楽を聴くって言ってた記憶がある。
「じゃあさっきのユーチューバーの演奏なんかも、イイと思ったの?」
「ああ、あれは悪くないな。今はあんなのがスマートフォンで見聞き出来るんだな」
まぁ、マスターじゃしょうがないか。
「俺も今度聴いてみようかな。それと、クラシックもちょっと気になってる。いつかマスターからクラシックのおススメでも教えてもらおうかな」
「お、その気になったかい。じゃあそのうち時間とろうか。ピアノ曲から入れば旦那でも馴染み易いんじゃないかな」
ああそうか、つまりそういうことなんだな。
「普通は交響曲とかから薦めるのかな」
「そういうこと。旦那はピアノに馴染みがあるから、薦めるのもピアノから」
うん、繋がった。合点がいった。
「実際、はじめてのジャズ、なんて言うと、さっき旦那が言ったようなものとか、クール・ストラッティンやサイドワインダー、ブルートレインとか、もう紋切型で決まり切っちゃってるからな。そこからテイク・ファイブだのワルツ・フォー・デビィだの。こうなるとみんな同じような嗜好のジャズ・ファンばかり育ってしまうと思うよ」
そう言えば俺も、最初はワルツ・フォー・デビィだったな。
「よくビル・エヴァンスとジム・ホールの“アンダーカレント”をお薦めしてる記事とかあったけど、あんなのはちょっと上級者向けだよな。インタープレイが凄いのは分かるんだけど、いきなり素人が聴かされても良く分からないだろうし、そもそも“マイ・ファニー・ヴァレンタイン”なんて、原曲のイメージと全く違うからな。あれはマイルス・デイヴィスかチェット・ベイカーの演奏から聴いた方がいいと思う」
確かに。名盤ではあるけど、もっと馴染み易い演奏から始めないと、人によってはいきなりつまずいちゃうかも知れない。せっかく興味を持ってくれたジャズファンを逃してしまうかもね。
「うん、ちょっと反省だな。俺も無条件に黒っぽい演奏ばかり薦めて来たから。何となくそれを勧めとけば間違いないような気になってた」
「まぁピアノトリオならバド・パウエルからってのは間違いじゃないけどな。そしてビル・エヴァンスにキース・ジャレットか。ソニー・クラークやレッド・ガーランドあたりはすぐだけど、私の好きなエディ・ヒギンスやジョージ・シアリングなんかにたどり着くまでは、結構長い道のりになりそうだ」
そうそう、ビル・エヴァンスは聴いても、エヴァンス派の白人とかクールやボサノバなんてのは、なかなか聴く機会がなかったりするんだよな。
「それにしてもさっきのユーチューブっての、あれはイイな。ジャズもアルバム単位であるから、自分に合うかどうか試し聴き出来るしな。あれなら結構効率よく自分好みの演奏が見つけられそうだ。しかし大したものだな」
ユーチューブぐらいは知ってないとマズいんじゃないの…。
「あそこからダウンロードして聴けば、CD買わなくてもいいからね。あ、でもそれだとアーティストやメーカーが収入減って困るよね」
「いや、コレクターならちゃんとお金出してアルバム買うだろう。特にジャズは、ジャケも作品の内だからな。だからこそ、各メーカーもっとジャケットに手間をかけて欲しい。ジャケ写で買いたくなるようなアルバムを作って欲しいな」
それはそうだな。俺もよくジャケ買いするし。メーカーさん、頑張って。