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明治巡逢帖  作者:
序章
1/8

 思えば何も愛着などなかったと思う。


 茅帆は公園のベンチに腰掛け、今にも雪が降りそうな分厚い雲が蔓延る空を見上げていた。

 もう真夜中の筈なのに雪雲は妙に白く明るくて暮れかけの様だ。開けたものの一口で飽きてしまった妙に甘い缶チューハイと、浅く腰掛け背凭れに身を預けただらし無い姿勢で茅帆は健全な筈の緑化公園で浮いている。

 今日は外に出るつもりなどなくて、車で送り迎えでの彼氏の家なのだと高を括っていたから薄着なのが悔やまれた。似合わないと自分でも十分理解している背伸びしたブランドの服は冬物にも関わらず胸元が深くて剥き出しの鎖骨に寒風が痛い。


 口喧嘩がエキサイトして、怒った彼氏に通りすがり丁度見つけた公園へ置き去りにされてしまった。


 最初は他愛も無い苦言だけだったのだと思う。例えばコンビニの支払いの時に限ってスマホを弄り出す妙な小芝居とか、やたらと命令形の物言いとかそう言うものが積み重なって結局黙って要られた数年のストレスが蓋の隙間から零れ落ちたというか。

 気になってしまえば何故今まで耐えていたのかと言うほどに不条理なことが山積みだった。それでも茅帆に自信が無さすぎて、はっきり言えばこの結び付きを逃してしまえばもう二度と出会いなど無い気がして我慢を重ねて来た。

 ぐびり、一気に缶の半分まで喉を焼くアルコールを飲み込んでベンチにまた背中を預ける。ベンチは公園の遊具に合わせてあるのかポップな色合いの樹脂製で、金属製よりもまだ少しは背中からの寒さはマシだろうとは思うけれど冷たいものは冷たい。触れた背後からジワジワと体が冷えて来た。


 ここが何処だか分からないから動く事も出来ない。でもスマホを見たら現在位置は把握できる。

 流石に鬼じゃ無いのだから、置き去りにした彼も程々に頭を冷やした後まるで茅帆が冷静になる時間が必要だったかの様に「反省した?」なんて言っていずれ戻って来るだろう。茅帆は言い訳せず兎に角必死に謝って、先程コンビニで買ったお菓子と缶チューハイと一緒に彼の家に連れて行って貰えばいい。

 _____でも、そもそも迎えに来てくれるのを待っているのか。自分でもよく分からなかった。

(私がいなくても買い物袋だけがあれば良いのかもしれないし)

 自嘲気味に乾いた笑みを浮かべる。


 たまに問い掛ける事がある。この人と居て自分の未来があるのか、と。

 先は見えない。

 塗り潰されている未来を茅帆は立ち竦み眺めながら、これしか無いんだと思い込む。耐えれば良い、彼が幸せになるのなら自己犠牲など尊いものだと。腰まで浸かった締め付けるこれから続くだろう静かな絶望と、自分で考えなくても何もかもを決めて貰える自堕落に安堵する自分に嫌気が刺しても全て切り捨てられる程強くはなくて、もうずっとここから動けない。


 指先が赤くなっている。

 コートの袖から出た手の甲は寒風で荒れていた。

(バッグにハンドクリームがあったのになあ)

 コートのポケットにはスマホだけ。一本だけ諍いの原因になったやたらと値段の高い缶チューハイ、こんな物を持っているのにその癖財布の入ったバッグは去った車の助手席に乗ったままだ。

 吐息で痛む指先を暖めて、包み込む自分の指の感触に奥歯を噛み締める。違う、心の奥が言っている。この暖かさを茅帆は求めているのでは無い、そんな事ずっと分かっている。ほろりと目尻に涙が滲んで下唇を噛んだ。

 荒れた手指はハンドクリームでどうにかなるものでは無い。寒さに震える茅帆の手を包んで温めてくれる唯一無二の存在は信じていたくても今の彼では無い。どれ程に自己犠牲を強いて守ろうとも同量どころかその半分も優しさは戻って来ない。

 本当は今すぐ電話をして平身低頭したら一番スムーズに行くのだと、茅帆は今までの経験で嫌な程思い知らされている。彼の自尊心を損なわず自身を貶めてれば彼が満足するのだと。でも。


 彼は茅帆を大切に思っていない。自尊心を守り優越感に浸る為、パワーゲームに茅帆を巻き込んでいるだけだ。

(知ってるよ)

 そんな簡単な事に今更気づいてしまった。


 息が白く大気に溶けて行く。見上げた空からは茅帆を中心として放射線状に雪が舞い落ちて来る。幾つもの粒が頬や額に落ちてあっという間に消えて、顎を辿り首から鎖骨まで流れて行った。


 _________茅帆


 迎えに来ることを望んでいるのだろうか、名を呼ぶ微かな声が聞こえ茅帆は辺りを見回した。


 遠くで濡れた道路を走るタイヤの音が聞こえて来る。

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