6:近況報告
本編完結後、ノワール逃亡中の一幕。
出てくる「魔女」さんは、『知識屋(https://ncode.syosetu.com/n1022bw/)』の登場人物です。ノワールとの関係性や立場的な諸々については、むしろ『異世界アパート『異世界邸』の日常(https://ncode.syosetu.com/n2000cu/)』で語られております。
『……びっくりしたなあ』
「そうだな。俺も流石に予想外だ」
身を隠している宿屋で、所持品の確認をしていた夜更け。机に置いていた魔石が唐突に起動し、眼前に見知った顔が驚きを浮かべていたというのは、逃亡している身として気持ちの良いものではない。
が。これの仕掛け人を思えば、苛立ちより先にため息が出てくるのだから、自分でも疾の引き起こすあれこれに慣れすぎていると思う。
そんな俺の表情を見て、驚き顔を苦笑に変えた相手が──魔術書の卸先だった「知識屋の魔女」が、改めて口を開いた。
『本当に、びっくりしたなあ。……魔術書の対価にってポイと投げられた魔石だから、何かあるとは思っていたけれど。これが異世界とも繋がる通信用の魔道具だとは聞いてないし、君との連絡手段だとはもっと思わない』
「そうだな、俺もてっきり奴との定期連絡用の通信魔道具だと思っていた」
二人同時にため息をつく。本当に、相変わらず傍若無人というか、好き勝手こちらを引っ掻き回してくれる。
一応次に会った時に文句くらいは言おうと心に決めつつ、備え付けの椅子に座り直し、俺は意識を切り替えた。
「まあ、いい。正直、そちらの様子は少し気になっていた」
俺が管理者を務めていた彼女たちの世界は、俺が総帥と敵対したというだけで総帥がちょっかいを出す危険性を抱えることになった。もちろんマスターが保護魔術をかけているが、書の取引他諸々でとりわけ関わりが強かった魔女が住む街に関しては、不安要素が排除しきれないままだ。疾も本格的に協会を破壊すべく世界を渡っていることの方が多いはずで、果たして本当に無事なのかとは少し気がかりだった。
そう告げると、ふっ、と魔女の目が遠くを見た。嫌な予感が背筋を這う。
『おや、そう。じゃあ話させてもらおうかな』
「いや、良い。むしろ話すな」
『おかげさまでうちの街は不思議なくらい、魔法士協会の襲撃「は」ないんだよね。本当に不思議だなあ、私の忙しさは増える一方なんだけど』
「……今俺は聞きたくない、と言ったんだが」
『どうも君が行方不明になってから偏頭痛が酷くてね。あとは通信の問題かな、君の言葉が時々聞こえづらいみたいだ』
魔女が口元だけで笑う。元々いい性格はしていたが、どちらかというとこれは自棄に近い。それほどに暴れているのかと、癖で身構える。
『泣いて土下座してくるんだよ』
「は?」
『単独で魔王幹部級の妖を消し飛ばせる魔法士さんたちがね、泣きながら土下座して懇願してくるんだよ。どうか災厄を止めてくださいって』
「……そうか」
他に何も言えず、それだけ相槌を打つ。魔女は死んだ目で遠くを見たまま、吹っ切れたように続けた。
『顔が広いってだけで頼ってきているのかと思いきや、災厄と最悪の両方と顔が繋がってるけど敵対していない、かつ利害関係の一致で手を借りたことがあるうちの街が、彼らには最後の命綱に見えるらしくてね。災厄を止めるかうちに匿うかどっちかしてくれって、魔力込めた手のひらを自分の頭に押し付けながら懇願される私の気持ちわかる? 人質でも取られたらと一応警備は増やさざるを得ないし、けどそんなことしたら人生終わりだろうとか真顔で言い切ってくる魔法士ばかり。その結果、戦力増強を疑う他地域との折衝が増えるわ、最悪さんのところにおし……お願いして引き受けてもらってもまだ追いつかずにうちで引き取ることになってその手続きやら役人の苦情やらまで私に回ってくるし、折衝が行き詰まって不穏な空気が流れると図ったように誰かさんが帰ってきて状況を思い切り引っ掻き回すだけ回してさっさといなくなるし、そもそも自分が撒いた種なんだから後始末くらいきちんとしてほしいというかするのが当然だと思うんだけどそう言っても鼻で笑うばっかりだし』
「各所調整に忙殺されているのとそれに関する恨みつらみはよく分かったから、そろそろ現実に帰ってこい」
相槌すら打つ暇のない、怒涛の愚痴をやっとのことで引き止める。
案の定というべきか予想以上というべきか。ものの見事に余波を喰らっていた上に、どうやらさらに引っ掻き回されているらしい。途中、ごく自然な流れで瀧宮羽黒が巻き込まれていたが、まあ疾に手を貸した結果だからと苦笑い混じりに処理しているだろう。……あと、魔女への同情。
瞬き一つで現実復帰した魔女が、改めてにこりと笑う。
『というわけで、こっちは魔法士協会からの干渉「は」ないよ』
「……そうか。良かったな」
今度はこちらが目を逸らしてそう答える番だった。俺個人の選択が及ぼした影響はないようで何よりだし、魔女の現状に俺の行動は基本責任がないはずなのだが、協力者としてはどうにも居た堪れない。
俺の対応が面白かったのか、魔女はくすくすと笑い出す。ひとしきり愚痴を吐き出して少し気が晴れたか、普段の調子を取り戻し始めたようだ。
『それにしても、君が黒以外を身に纏うと違和感があるなあ』
「らしいな。だからこそ目眩しにはなるんだが」
視界の隅でちらつく茶髪を軽く摘む。魔術で色彩を誤魔化しているだけだが、闇属性の色彩は変えられないという常識があるため、逃亡中の身には有用な技術となっている。
『そもそも、色を変えていることが驚きだよね。光属性と闇属性はそれができないというのが常識だっただろ?』
「逃亡中に持て余した時間で完成させた研究だからな」
『……逃亡中って暇なんかあるものかなあ』
「俺もそう思っていたが、不自然なほど「それどころじゃない」とばかりに追っ手が止まることが時折あるからな」
もちろん「それどころじゃない」理由なんぞひとつしかないだろう。俺の発言に、魔女は乾いた笑みを浮かべて頷いた。
『そうだね、君達の非常識ぶりに関しては、私も今更驚くことじゃないと思っているよ』
「……あいつらとまとめて称されるのは不本意なんだが」
疾にしろ瀧宮羽黒にしろ、本当に魔法士協会相手に被害を出し続けている。逃亡先でもその暴れぶりは耳に入ってくるが、正直脱退しておいて良かったと心底思う。
『目の色は変えてないみたいだけど……なんというか、壮観だなあ』
「うるさい」
少し楽しげにそんなことを言ってくる魔女に、つい顔を顰めると魔女がまた笑い出す。
『あはは。それにしても魔力の圧が強いよね、その金色。かなり魔力効率がいいのかな、私から見てもわかるよ。……あとまさかとは思いたいけど、魔力増えてないかい?』
「そのまさかだな。ちなみに魔法だけなら闇属性以外の俺の魔法に相性無視して打ち勝つほどだった」
『わーお……』
魔女らしくない相槌が返ってきた。驚いているのは俺の魔力量についてか、それともソルの魔法効率についてか。
「まあ、これでも少し色は薄れてきているんだが」
『え、待って。どういうこと?』
「俺の魔力が増えて薄まっている」
『この短期間で見てわかるほどに……?』
魔女が今度こそ引いた顔をする。魔力量に関しては俺も流石に辟易しているので、しかめ面でその反応に甘んじる。
魔女はしばらく唖然としていたが、やがて気を取り直したように一つため息をついた。
『まあいいや……君が無事なのも分かって少し安心したし』
「俺が?」
少し意外に思い、繰り返す。魔女とは書の売買で関わったのと、魔女が守る街が天災とも言える事態に見舞われ続けた時期に管理者として関与した程度の縁しかない。魔女の中では善良な部類ではあるが、それでもその程度の関わりでしかない俺の安否をこれほど明確に気にかけているとは思わなかった。
そんな思いが露骨に声や態度に出てしまっていたのか、魔女が微苦笑する。
『一応、うちの街を助けてもらった恩人なんだし、それなりに関わりも長いじゃないか。心配くらいするよ』
「……そういうものか」
『そういうものだよ。それに、何より──』
そこで言葉を区切った魔女に問いかけるより先、真っ直ぐに向けられた柔らかな眼差しに、思わず瞬く。
『──よかったね』
「……」
『君が、ずっと追いかけ続けていたものが果たせた。それは本当に良かったな、と思っているよ』
穏やかな声と、言葉。偽りのない響きに、驚きだけではないもので束の間言葉が詰まる。
「……どうも」
とりあえずそれだけを押し出した俺に小さく笑って、魔女はひらりと手を振る。
『いくらあの非常識男でも、そろそろこの魔石も限界みたいだ。それじゃあね、災厄の協力者さん。色々、それはもう大変そうだけど、頑張ってね』
「……どう聞いても応援というよりは哀れまれている上に、盛大なブーメランだという自覚はあるのか」
『嫌だなあ。分かっているからこそ、私より大変そうな人を見て自分を励ましているんだよ』
「堂々と言いやがって……」
思わず漏れ出た悪態に魔女が声をあげて笑ったところで、通信用の魔石が砕けた。
「……はあ」
背もたれに体重を預ける。椅子が小さく軋む音を立てるのを聞きながら、俺はゆっくりと目を閉じた。
見ているつもりで、見ようともしていなかったもの。それをきちんと見ろと真っ直ぐな眼差しで告げた、翡翠の瞳を思い出す。正論ではあるが必要ないと、切り捨てた俺にも譲らなかった頑固な少女の言葉を、今になって、別方向から突き付けられるとは。
見ようともしていなかったからこそ、いや、目を背けるよう誘導されていたからこそ。あの世界に落ちるまでの俺は、脇目も振らずに自滅へと突っ込んでいたわけだ。
「……つくづく、お前は苦手だ」
それを知っているわけではないはずなのに、1年にも満たない時間で見透かしてきたあの目が、本当に。
心の中でそう言葉を落とし。目を開けて、元々やっていた荷物整理に戻った。